The Curtain Rises(3)
龍とは。
山のような巨大な体躯に大空を自在に飛び回る大翼を持ち、鋼鉄よりも硬い鱗に覆われた古の生物。
五種の龍が存在しており、天変地異を引き起こす比類なき力を有していると言われる。
それらは人から「祖龍」と呼ばれ、精霊術ではない魔術を使うとも。
そして祖龍は人と交わる事で眷属を増やす事もしている。
眷属は「龍人」と呼ばれ、人に近い外見を持ちながら桁外れの身体能力を有している。
祖龍と同じく魔術を使う事も出来、その恐ろしさは見た目からでは計り知れない。
ただし精霊を捨てた存在であるため、例えどれほど祈ろうとも精霊術は使えない。
これこそが人に非ざる存在の証明でもあるだろう。
そして魔術とは、この世界を破壊するものであり存在してはならない禁術である。
詳細については次項より語らせて貰うが、これだけは先に言っておきたい。
龍も、魔術も、共々絶対に許してはならない。
これらはこの世から消さなければならない、唾棄すべき存在なのだ。
(ランドライト出版・フロバディ=C=ヌーン著『世界を破壊する禁術』より)
「確かそんな内容だったかな」
「……それで、どういう反応が欲しいんだ?」
「別に。大変そうだなってだけ」
物騒な内容の本を暗唱した彼女の反応はそれだけだった。
それ以上話す事は無いと言わんばかりに、手元の紅茶を飲み始める。
正体がバレた今、無視出来ない問題なだけに素っ気ない態度が気がかりだった。
私の中にも龍の血が流れているのにあまりにも興味がなさすぎる。
「いや、ラフティはどう思ってるんだよ。……私が怖くないのか?」
「何?危ない事するためにわたしの事誘ったの?きゃー、こわーい、って言っておけば良い?」
数日前の依頼斡旋所でのやり取りを意趣返しされる。
生意気な所はちょっとムッとするが、彼女なりに気を使っているのは分かった。
「そもそも私の出身地じゃ種族差別なんて以ての外だわ。平和を謳うなら子鬼も森人も、それこそ龍人だって平等なの」
「……小鬼に知性ってあるのか?」
「差別で困ってるくせにいきなり差別発言するのやめてくんない?」
物凄く睨まれてしまう。
いや、だって、小鬼って危険度の高い害獣みたいな扱いだし。
「……イルミナにも分かる様に言ってあげるけど、確かに人と比べると子鬼種の頭部の大きさだと獲得出来る知性は人と比べると大きく差が出るかもしれない。でもね、だからといって知性が無いわけじゃないし、人と同じ様に生きて家族を持つし、仲間が害されれば復讐だってする。情を持ってる証よね。まぁ、確かに世間一般からは知能ある危険な害獣扱いされてる事は知ってるけど、それは子鬼種の生活様式が狩猟と敵対種族からの略奪が基本だから。お互いの生存領域が重なってしまうと悲しい事になってしまうわけね。と言っても昨今の森林開拓具合からすると子鬼の方からしてみれば一方的に生活の場を奪われてるようにしか感じないし、人間からしてみれば武装した略奪者でしかないし、相互理解は今後ずっと出来ないでしょうね。だからこそ人の言語を習得して、人と共に生きようとする子鬼の学者がいかに素晴らしい存在か──」
長過ぎてほとんど頭に入ってこなかった。
でもまぁ、ラフティの早口にも慣れてきたので全部聞き流した。
今は子鬼の話がしたいわけじゃないんだ。
「ごめんラフティ、その話はどうでもいい」
「人が説明してるのに!!…………いや、うん、確かに脱線した、かも」
「ともかく、ラフティが差別しない人だっていう事は分かった。……ありがとう」
「……どういたしまして」
少し照れくさそうな、小さい返事だった。
気に入らない事に一々突っかかる癖さえなければ素直で優しい子だと思うのだが。
あとは生意気な言い方が直ればなぁ、とぼんやり思っているとラフティが口を開いた。
「それで、今日はどうするの?また草むしり?」
露骨に嫌そうな顔をしながらそう訊かれるが、あの仕事は一度切りだと伝えた。
傷薬は需要が高いため、原料になる薬草自体が農家の手で大量生産されている。
本来であれば人一人が集められる量などたかが知れており仕事として成り立っていないが、依頼受諾から完了までの過程を覚えるための練習として存在しているのだと職員に聞かされた事がある。
というのも、私自身が安全に日銭を稼げるからと二回目を受けようとしたらこの話をされて断られたからだが。
「珍しい物の買取はやってくれるみたいだけどね」
「ふうん。また歩かされるかと思ったから助かった」
ラフティは「なら今日の仕事はどうするんだ」という顔をしているが、全く当てがない。
安全で実入りの良い仕事なんて早々ない、というより仕事そのものが無い。
合流する前に確認してきたのだから間違いない。斡旋所も閑散としていた。
収入が無くなろうが何の保証もない、所詮使い走りの日雇い労働者である。
仕事が無い事もあり私の手持ちも相当辛くなってきてはいるが、多分どうにかなるだろう。
今こうやって茶店でラフティが紅茶を飲んでるのに自分はお冷だけで済ます程度に困窮してはいるが。
最悪、野宿でもすればいいし、食い物と水さえあれば当面なんとかなる。
「……当てがないって顔してるわね」
「さてな。でもまぁ良いじゃないか、毎日働き詰めなんて疲れるだろ」
「お金無くて水だけ飲んでる人間が余裕ぶっても虚しいだけだと思うけど」
「お前ホント遠慮しないな……一応年上だぞ……」
「事実だし。っていうか言い返されて年上強調するとか余計最悪じゃない?」
この野郎、子供じゃなかったら張り倒してるぞ。
でも私は年長者なのだから我慢が出来る。偉いぞ私。頑張れ、私。
いつか泣かす。
「……はぁ。ともかく、飲み終わったなら出ようか。まだ街の案内もしてなかったし」
「そういえばどこに何があるとか全然知らないな。イルミナ、美味しい冷菓の店とか知ってる?」
「貧乏人にンなこと訊くなよ……」
脱力しつつも席を立つ。
勘定を済ませると店員が冷ややかな目で私を見てきたが、これくらいじゃ私の心は折れないぞ。
でももうこの店に行きづらいかな。畜生なんでこんなことに。
ラフティを泣かす前に私が泣きそうだ。
店から出ると、気持ちの良い風が頬を撫でる。
港町だけあって潮の香りがするのも、私にはいつまでも新鮮で良い気持ちだ。
さっきまでの暗い気持ちも少しは晴れる感じがする。
「あー磯臭い……髪もべたつくし最悪……」
「匂いは好みもあるだろうけど、頭は洗えば済むだろ?」
「嫌なもんは嫌なのよ」
疎ましそうにそう呟く。
もっと楽しまないと人生損をすると思うのだが、大きなお世話だろうか。
そのまま取り留めのない話をしながら大通りを歩いていると、後ろから誰かが近付いてくる気配がした。
足音を消してはいるが、歩く度微かに金属が擦れる音を鳴らしている。
明らかにこの街の住人ではなく、ご同輩だろう。
そして尾けられる心当たりは今の所一つしかなかった。
相手に行動される前に動くため、ラフティへ短く告げる。
「ラフティ、逃げるぞ」
「え?いきなりなぅヴェッ!!」
いちいち返事を聞いていられないので、ラフティを肩に担ぐ。
そのまま駆け出すと、後ろの方で「待て」や「捕まえろ」などと叫ぶ声がするが、誰が待ってやるものか。
大通りを一気に駆け抜ける。
途中、住人とぶつかりそうになり罵声を浴びせられた。後で事情を話して謝ろう。
唯一の入り口である門をくぐり、更にそのまま走る。そして1kmほど離れた場所で一息つき、門の方を見やる。
しばらくして追ってくる気配が無い事を確認してから、ラフティをその場に下ろした。
「ゔえ゙……気持ち悪ヴッ!」
「だ、大丈夫か?」
「……あ゙の、さぁ……はぁ、せめて……一言、言ってよ……パンツ……丸出しに、なるとこ、だったでしょ……」
開口一番、どうでもいい事を口走る。
ろくに説明をしなかったのはあるが、あの状況で気にするのがそんな事というのも図太いというか、なんというか。
「また殺されそうになって言うことがそれか……?」
「……うっさい……ていうか、何なのよ……あいつら……」
「多分、昨日のお礼参りかな」
先日の薬草摘み中、こちらを殺しに来た連中の事を思い出す。
確かに、結構な傷を負わせたとは思う。一人は顎を砕いたし、もう一人は肋と膝の皿が粉々のはずだ。
ラフティがふっ飛ばした相手は治療したし、そっちは考えなくてもいいだろうけど。
それにしたって、人を殺そうとしておいて反撃されたから更に復讐するなんて、逆恨みが過ぎる。
「それにしても、まだ仲間が居たなんてなぁ。ここの治安はどうなってるんだよ」
「ワーカーズに通い詰めてる人間なんて、大体ろくでなしばっかでしょ……」
「否定しにくいけど、私達だって今はワーカーズに登録してるんだ。それと、そういうのはラフティの嫌いな差別じゃないか?」
「…………ふん。たった数日で二回連続あんな目に遭えば、そういう言葉も出るわよ」
気持ちは分かるけど。でも、私に説教した以上そういう態度は良くない。
その場で意見をころころ変えるようでは誰も納得してくれなくなる。
「ラフティ、私に言ったよな。自分の住んでるとこじゃ差別は以ての外だって。あれは嘘か?」
「………………」
「確かにワーカーズにはごろつきや犯罪者が登録してるのは事実だ。でも、皆がそうじゃないのは分かるよな。……こんな目に遭って今すぐ納得しろとは言わないけど、もう少し考えてみてくれ」
「…………うん」
伏し目がちに頷く。自分が何を口走ったのか理解したといった所か。
しおらしく反省してると年相応というか、生意気さもなく可愛げが出るのだけど。
しかし、これからどうしようか、と思いを巡らせる。
街にはしばらく戻れないというか、もう留まらない方が良いだろう。
かといってお互い宿に残してきた装備や持ち物があるし回収には行かなければならない。
連中とまた会うのも厄介だし、どうにか穏便に済ませたいところだが。
悩んでいると、パン、と乾いた音が響いた。それとほぼ同時に、右足に衝撃と熱のような痛み。
何が起きたか理解出来ず、その場に崩折れる。
「う、あ?な、なんだ……?」
「イ、イルミナ……!?何、いきなりどうしたの!?」
熱っぽくなった部分を触ると、ぬたりとした液体が指を伝う。
明らかに自分の血だった。太腿に空いた穴から流れ出す血を見て、ようやく現実が襲ってくる。
脈打つ度、ズキン、ズキンと痛み、額に脂汗が滲む。
「ぐぅ……!く、そっ……なんだ、一体……!?何を、された……!?」
「おーおー、喚き散らさねえのか。根性だきゃあるな、クソ女」
そんな言葉を吐きながら、眼鏡をかけた男が顔を出す。
手には黒っぽい、小型の筒がついた鉄の塊を持っている。
実物を見たことはないが、おそらく小型銃というものだろう。
「怪力な上に足も速いって聞いてたからよ、陽動かけて待ち伏せしたらドンピシャだったってわけだ。もうちょい仕込みもあったんだがなぁ、まぁ、ガキの頭じゃこんな仕掛けすら見抜けねえってか」
「……お、お前……何が、目的だッ……!なんで、執拗に殺そうとする……!」
「おいおーい、質問してえのはこっちだっての。……あ、そうだ」
パン、ともう一度銃声が響く。今度は左太腿を撃ち抜かれた。
「ゔッ!?あ、ぐ、うぅぅ……!!」
「逃げられても、捨て身で来られても困るんだよな。これで質問しやすいかな」
「イルミナッ!?……ちょっとアンタ、ふざけるのもいい加減にしなさいよ!何の恨みがあって──」
銃声と共にビシリと音を立てて、ラフティの足元の地面が弾ける。
ラフティは小さい悲鳴を漏らすと、そのまま意気消沈した。
「黙ってろクソガキ。静かにしてたら、まあ、楽に殺してやるからよ」
「や、やめろ……!この子は、関係、ない……!!」
「ほーん……お前の返答次第ってことにしとくか。んじゃ訊くが、何で俺らの仲間を殺した?」
なんだ、こいつは。何を言ってるんだ。
殺した?誰が、誰を?まるで理解出来ない。
「何の話だ……!殺そうと、してきたのは……お前らの──」
言い終わる前に、頭を蹴られる。地面に倒れ伏した私の頭を、何度も踏みつける。
まずい、殺される。いや、殺しに来た相手にそんな感想はおかしいのか。
頭が回らなくなってきている。
「……人の神経逆撫ですんのウメェなマジ。言葉わかんねえか?なんで殺したのかって訊いてんだよこっちは。え?おい、質問に答えられねえんだったら今すぐドタマに穴空けるぞ」
「お願いだからやめてよ……!わたし達、人殺しなんかしてない……!」
「てめーにゃ聞いてねえけどよ。まぁいいさ、それがお前らの言い分なら、あくまでシラ切るってことで良いんだな?」
もう一度、こちらに銃口が向けられた。
朦朧とする頭で、ラフティを庇う。
私が巻き込んでしまった。せめて、助けないと。
「ちょ、ちょっと、イルミナ!?」
「頼む……この子は、関係ない……」
「……もうちょい会話してくれよ、同じ人間と話してるかどうか怪しくなってくるぜ」
「私達は、知らない……殺して、ない…………」
「知らないわけねえだろが。俺の仲間がよ、ちゃんと二人分の死体を持って帰ってきたんだぜ。そりゃひでえ死に様だった。一人は顎がぐちゃぐちゃな上に喉笛掻っ切られて失血死、もう一人は背中が矢だらけで針鼠みてえになってたよ」
「そ、そんなの知らない……!!本当に殺してないの……!」
「もういいって、お前らからまともな答えが返ってくるなんて思ってねえしよ。安心しろ、楽には殺さねえぞ」
男は狙いをつけてはいるが、私かラフティのどちらを撃つか迷っていた。
もう今しかない、一か八か、この男を倒すしか生き残る道はない。
私は死ぬかもしれないが、せめて、ラフティだけは。
「もしもーし、お取り込み中すみませーん、少しよろしいでしょうかー?」
えらく、気の抜けた女性の声が響いた。
見れば少し離れた位置だが男の後に立っている。いつの間に来たんだ。
「あァ?ンだお前、今何やってるか分かって──」
男がそれ以上喋る事はなかった。
ガシュン!という弩の発射音と共に、男の脳天を矢が貫いていた。
どさりと倒れ込むと、銃爪に指がかかったままだったせいか銃がまた音を立てる。
「うっひゃあ!あぶなっ!……もう、びっくりさせますねぇ」
腰に手を当てて「んもー」という声を出しながら、可愛らしく怒っている。
可愛らしいのは仕草だけだった。
革鎧で隙なく武装し、その左腕には小型の弩が装着されている。
背中には両端に滑車のついた大型の弓を背負っており、弓使いであることが伺えた。
今、男を殺したのは彼女だ。それなのに顔色一つ変えていない。
朦朧とする意識の中だが、得体の知れない恐怖を感じた。
「……あ、あの!助けてくれてありがとうございます!本当に、ありがとう……!!」
「いえいえ、良いんですよ。それよりも……そちらの赤毛の方、両脚を撃たれていますし治療を優先した方が良いのでは?」
ラフティは状況が分かっているのかいないのか、感謝の言葉を述べている。
そして、そう言うなりこちらへ近付いてきた。
私としては逃げたい気持ちだったが、痛くて身体がいうことを聞かない上に思考力もいまいちだった。
されるがまま、傷口を触られる。
「うあ゙っ!!や、やめろ、弄るな……!!」
「そういうわけには参りません。左は幸い貫通していますし、出血もそこそこですから致命傷ではありませんが、右は貫通していません。弾丸を取り出さないと後が酷いですよ」
「だ、だからって……!あ、あ゙あ゙あ゙ッ!!」
ぐちゃり、ぐちゃりという不快な音と、傷口を抉られる激痛で頭がどうにかなりそうだった。
しばらくして、彼女が嬉しそうな声を上げる。
「あ、出てきましたよ!ほら、これ!こんな金属の塊が身体の中に残ったらって思うと怖いですよね。後は止血の処置をしておきましょうか」
指でつまんで私に見せつけてきたそれは、血と肉に塗れていた。
もうどうでもいいから早く終わらせてほしかった。
痛くて、涙で前が見えなくて、涎まみれで。早く、宿で休みたい。
「……あ、あの、ごめんなさい。治療中、申し訳ないんですけど……その、さっきのやつの仲間が、まだ居るんです。早く逃げないと……」
「あぁ、その連中なら心配要りませんよ。ここへ来るまでに片付けておきましたから」
「え、っと……それ、って……?」
「言わぬが花と言ったところでしょうか。ふふ、これも少し違う気もしますね?」
屈託なく笑うその顔は、美人と言って差し支えないのだろうけど。
それはつまり、あの人数を全員、始末したということで。
そして、弓使い。私達が殺さなかったはずの相手が、矢だらけになって死んだ事。
確証はないけど、彼女が殺したのだと直感が告げていた。
「あぁ、そういえば申し遅れました。私、クラリス=シルベストリと申します。お二人のチームに入れて頂きたいと思いまして今回ご助力致しました。以後お見知りおきを」
そう言って、もう一度満面の笑みを浮かべる彼女は、空恐ろしかった。