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振り返ると、今くぐり抜けた穴の向こうで密猟者たちが、いまいましげにドウドウ鳥の頸を巡らせていた。城壁の間際まで追って来たものらしい。これで追う立場と追われる立場が逆転した。おそらくかれらは、大急ぎで獲物のもとへ引き返し、最も金になる四本の牙を切り取って、ガル山へ雲隠れする心算だろう。
あとには牙を失った蛟竜の亡骸が、むなしく転がっているのだろう。想像するだけで胸がむかつく光景だが、今から引き返すわけにもゆかない。
それにしても、城壁のすぐ後ろに人家が密集していないのは幸いといえた。この速度で突っ込んでいたら、何人はね飛ばしたか知れない。辺りは広々とした廃墟で、砂地の所々から、石の壁や柱の残骸が露出していた。ただ、ぼろ布を張りあわせた三角形の屋根が散見されたから、こんな荒れ地にも人が穴居しているのとおぼしい。市街より一段高く、森へ向かって半円形に突出した地形から推して、巨大な砦の跡と考えられた。
高みから見下ろす市街では、二つの建造物が最も目立っていた。ひとつは中心に威風堂々とそびえる城館で、白亜の壁が切り立ち、青い屋根から七つの尖塔が天空へ伸びたさまは、「いとも豪華なる」と形容するほかない。
もうひとつは、広大な敷地を有する楕円形の施設だ。街自体はたいして広くないため、その半分も占めているように思える。平らな地面は遠目にもよく手入れされていることが窺われ、一部に階段状の客席がせり上がっているので、間違いなく何らかの競技場だろう。
砦跡の急な坂道を下りると、そこには市が立っていて、たちまち身動きもままならなくなった。そのうえ多くのおカミさん連中が寄ってたかって、後ろの少年たちに声をかけてくるのだ。彼女たちはたいてい髪を白い布で覆って、ふくらんだスカートの上にエプロンを垂らし、そろいも揃って頑丈そうに見えた。ついにデーコがドウドウ鳥から跳び降りると、ふくれ面でわめいた。
「道をあけてくれよ、けが人なんだ」
「まあ大変。どっちが怪我したんだい」
腰に手をあてた女がそう言うと、隣ではデーコと同じくらい肥った女が、今にも転がり出そうな勢いで、
「ここで待ってな、お医者を呼んでくるから」
「ぼくたちは無事です。かすり傷ひとつありません。手当が必要なのは、この人なんです」
ミシャが叫んだ。かれはまだ鳥に乗ったまま、後ろから男を支えていた。おカミさんたちの視線が、たちまちよそ者の上に集中した。
「んまあ、けったいな恰好して……トゥエル人じゃないのかい」
「私には低地人みたいに見えるがねえ」
「どっちにしても、流民なら守備隊に報告しないと、あとが厄介だよ」
「何人だって構わないじゃないか。密猟者よりマシだろう」
デーコの一言が、おカミさん連中の間に不穏な波紋を生じさせた。「密猟者」という言葉が囁き交わされ、それが怪しげな興奮剤であるかのように、彼女たちをしだいに殺気立たせてゆくようだ。
「この男がそうなのかい」
「うちの鎧牛もあいつらにやられたんだ」
「盗賊と密猟者は見つけ次第、袋叩きにしてもいいってお許しが出てるよ」
「みんなで鞍から引きずり下ろしちまいな!」
反射的にミシャは男を庇うように身を伏せた。四方八方から手が伸びてきて、少年の足やら裾やらをつかまえたが、四方八方へてんでばらばらに引っ張るものだから、力が均衡してなかなか落とせない。中には箒でぽかぽか殴りつけているおカミさんもいる。
「ちょっと、ちょっと待ってください。この人は……シュワルツさんは、そんなのじゃありません。反対に、密猟者から助けてくれたんです」
かれを引っ張っていたおカミさんたちの動きが、ぴたりと止まった。また箒でぽかりとやられたが、その一発を最後に、彼女たちはおずおずと手を引っ込めた。男にだけ聞こえるよう、ミュシャは囁いた。
「ほら、笑って、シュワルツさん。ぼくたちを助けた英雄だってこと、アピールしなくちゃ」
次の瞬間、おカミさんたちは、穴の開いた鉄兜を被り、焦げ跡だらけのみょうに派手な服を着た小柄な男が、ドウドウ鳥の上で異様に引きつった笑みを貼りつかせ、震える手でサムアップするのを目の当たりにした。まるでゲマルゲマリ大トカゲに行き逢ったように、彼女たちは左右に飛び退いて道を開けた。
男はそのまま根が尽きた様子で、鳥の頸にぐったりともたれた。その先の道は、デーコが嘴をとって前を歩き、相変わらずミシャが後ろから男を支えていた。おカミさん連中の包囲網を突破したことが、城市への通行券代わりになるのか、あるいはより面倒な存在に、たまたま行き逢わなかっただけか、もの珍しげに寄って来る者は跡を絶たなかったものの、とくに妨害もされずに進むことができた。
一度気を失い、また目を覚ますと、「いとも豪華なる」城館の偉容が眼前にせまっていた。まさか異邦人として城へ「連行」されるのかと驚いたが、二つの小塔にはさまれた城門を横へ逸れて、なにやら華美なお城のパロディともいうべき、粗末な石材や木材がごちゃごちゃと積み上げられた一角へ向かう様子。位置関係から推察するに、この辺りは城に仕える人々の居住区になっているのだろう。
見上げるような壁と壁にはさまれて、細い石畳が続いていた。天井はないけれど、降り注ぐ陽光を、窓から窓へとかけ渡された無数の洗濯物がさえぎっていた。ミシャが背中から、先を行くデーコに話しかけた。
「きみの家に運びこめそうかい」
「ああ、この人軽そうだから、持ち上げるのはわけないよ」
「それはいいんだけど、きみの姉さんは反対しないだろうか」
デーコの肩が震えた。くっくっ、と笑い声がもれた。
「マツリ姉さんのことを言ってるのかい。もしもバケツいっぱいのセイジャーバを持って帰ったら、それはもう怒るだろうさ。だけどセイジャーバは一匹も捕れなかった代わりに、けが人を拾ってきたんだから、文句を言われる筋合いはないよ」
「わかった。じゃあぼくはひとっ走り、キョトン先生を呼んでくるから、あとは任せていいか」
「まかせとけって」
二人の少年が男をドウドウ鳥から助け下ろした。足が鐙を外れると、なぜかまたもとの痛みがよみがえり、うっ、と声をもらしたまま、かれの意識は急速に遠のいていった。
そしてあの夢を見たのだ。