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あの夢をみていた。
おびただしい光に包まれた直後、闇の中へ放り出された。
疲れていた。そのせいか、自身を包む闇はやわらかく、心地よく、しばらくはこのまま、安逸な闇の底に沈んでいたかった。
「とにかく飯を食わせてやることですな、ぐびっ。ゼンマイが完全に解けちまってるのと同じ状態ですから、巻いてやらなきゃならん。もう一度巻いてやりさえすれば、ぐびっ、必ず動き出す。機械のほうは壊れておらんのだからして、ぐびっ、そうなる理屈だ。しかし、ぐびっ、ぐびっ、奇妙キテレツなんですなあ。あの変てこな鉄兜を見る限り、雷に打たれたとしか、ぐびっ、考えられんのでして。それも、モロに、ですよ、あなた、モロに雷に打たれたら普通、どうなると、ぐびっ、ぐびっ、思われる?」
「天国へ召されますわ」
「ぐびっ。そいつはありがたい話ですが、ワガハイのような凡人に、天国とやらは見えません。見えるのは、ぐびっ、地獄の業火に焼かれたような黒焦げの……っ、ああ、もう終わっちまった。この世の喜びは常に乏しく、苦悩は果てしない」
「台所へ行ってまいりますわ、キョトン博士。この方の食事を用意させましょう。ついでにネクルトを頂いてまいりますから」
ドアが開かれ、閉まる音が聴こえた。
「ふふん、ネクルトは食事のついでときたか。お嬢さんにはわからないだろうねえ、その真逆の人生も存在することが。ま、わからないに超したことはないがね」
この饒舌なしわがれ声は、次に別の誰かに話しかけたようだ。
「なあ、かれを発見したとき、とくに異常はなかったんだね。火事の痕跡だとか、大きな穴が開いていたとか、大木がまっぷたちに裂けていたとか」
「はい、博士。ただ、身体から焦げ臭いような、ちょっと硫黄に似た臭いをかすかに感じました。あと、シュワルツさん……たしかそう名乗っていましたが、この人は以前のことをほとんど何も覚えてなくて、しばらくは手も足も痺れて動かないようでした」
てきぱきと答える声には、はっきりと聴き覚えがあった。ミシャという、女の子みたいに綺麗な少年だ。
「そこだよ。そこが不思議なところなんだなあ。記憶もない、手足も動かない、たった一人のひ弱そうな若者がだよ、まるで降って湧いたように、あんなところに転がっているなんてことが、果たして可能だろうか」
「だけど、こうしておれたちが連れて来たんだから、本当じゃないか。先生が月夜に酔っ払ってケネックに化かされるのとは、わけがちがうよ」
そう言ったのは、まるまると肥えたパチンコの名手、デーコに違いない。ミシャの声が、あとを受けた。
「国境を越えて、トゥエル・バイスンから逃げてきたんじゃないですか。あっちは代替わりしたばかりで、いろいろ騒がしいみたいですし」
「なるほど、シュワルツという名は、こちらじゃ珍しいが、奥トゥエルの貴公子あたりにいそうではある。また近頃は多くの流民が、こちらへ逃げこんでいるとも聞く。しかし、たった独りでガル山を越えるのは不可能だよ。しかも丸腰で、だ」
「山賊に襲われて、この人だけ生き残ったのかもしれません。何も覚えてないのは、頭を強く殴られたか何かして」
「ふふん、一応それで理屈は通るようだが、雷に匹敵する衝撃を頭に一発かましてもなお、生きているような相手を、山賊はただではおかんよ」
反論する言葉をなくした少年たちに、しわがれ声が尋ねた。
「で、このシュワルツくんとやらは、ドウドウ鳥をすさまじい速度で走らせたとか」
「本当にすごかったんだよ、なあ」
デーコが声を弾ませ、ミシャも珍しく興奮気味に同意した。
「そうなんです。一瞬、シュワルツさんがドウドウ鳥じゃなく、騎龍に乗っているのかと疑ったくらいでした」
急な眠気に襲われた。
眠気の大きな波が意識をごっそりと、暗い領域へ引きずりこもうとした。博士と呼ばれた男のしわがれ声が、ずいぶん遠くから、洞窟の中で聞くように響いてきた。
「ふむ。ワガハイに、もう一度よく聞かせてくれないかな。かれがどんなふうに、ドウドウ鳥を駆ったのかを」
鐙に脚をかけると、激痛が叫び声をあげさせた。ドウドウ鳥がおとなしくしていなければ、とても鞍へ這い上がれなかったろう。けれども手綱をつかんだとたん、身体の痛みをすっかり忘れた。すがすがしい緊張感が胸を満たしていた。
手綱を短く持ち、前方が右へゆるやかにカーブしているのを確かめて、右足で一度、鳥の腹を蹴った。
「行くよ!」
スタートしました!
と、見知らぬ男の声が、頭の奥で叫ぶ。さあ、今回はずいぶん出遅れましたハザマ・タケル、一コーナー回って先行する馬群へ猛然と食い下がります。あっ、と、これは速い、十馬身以上の差をぐんぐん縮めて、三コーナーカーブ、早くも二番手を半馬身差に追いこんだ……
風を切る音と土を蹴る音が音楽のように調和していた。先頭のドウドウ鳥を抜き去ると、首領の驚いた顔が瞬く間に遠ざかった。
「乗って!」
少年たちの前へ大きく回りこませながら、ドウドウ鳥の脚をとめた。まだ眼をしばたたかせているデーコの手をつかみ、うんと引き上げる。ミシャが下からかれのお尻を持ち上げている。かれがデーコの後ろに、かろうじて位置を占めたのを見届け、頸の向きを変えた。
再び駈歩で飛び出したとき、すでに首領の駆る鳥が真横にせまっていた。
山刀を振り上げた姿が、まがまがしい彫像を想わせた。
「無理だよ。おれたち三人も乗せたんじゃ、ドウドウ鳥なんか、ひとたまりもなくつぶれちゃうよ!」
デーコが情けない声を上げた。最も重いかれさえ放り出せば、軽く逃げきれるだろう。そう思ったが口にせず、代わりに不可解な言葉が口をついて出るにまかせた。
「この程度のハンデなど、ないに等しいさ」
ぽんと腹を蹴ると、鳥は素早く反応した。鳥の足音と風の音が、また一つに調和した。
森の中の小道。緑のトンネルを駆け抜ける間、背後で少年たちがずっと叫んでいたが、その声には歓喜の響きが、ありありと宿っていた。やがて前方に巨大な壁が姿をあらわした。
ずいぶん古めかしい城壁で、今にも崩れ落ちそうな石の壁に、蔓草がびっしりと絡みついていた。
さすがに驚いて手綱を緩めかけたとき、ミシャとデーコが同時に叫んだ。
「だいじょうぶ、そのまま突っ込んで」
「真っ直ぐだよ、真っ直ぐ、いっけええええっ!」
少しも速度を落とさず、蔓草の茂みに突っ込んだ。軽い衝撃が走り、緑の葉が無数に舞い散ったが、何にもぶつからず、いきなり開けた場所に出た。
眼下には、見知らぬ街が広がっていた。