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密猟者たちの眼は鋼鉄の球を嵌めこんだように、あくまで虚ろで冷たかった。背中に水をぶっかけられた気分とともに、ちょうどあれと同じ眼をした男の顔が、唐突にフラッシュバックされた。
「このレース、勝てますよね。キュクロプスに勝てるのなら、乗りつぶしたって構いませんから」
「ですが」
「うちはダービー馬が欲しいんですよ。天皇賞も有馬記念も再挑戦できますが、ダービーは馬の一生に一度のチャンスです。うちはね、うちのファームからダービー馬を出したという実績が要るんです。わかりますか、ハザマさん。このレースにさえ勝てば、あとは……」
覚えず眉をひそめると、蛟竜の上に視線が落ちた。
そうとう長い距離を引きずられたらしく、鱗が痛々しく剥がれ、蒼い血が全身から流れていた。牙を剥いた頭部こそ恐ろしげだが陸上での動きは鈍いのだろう。捕らわれたせいで怒り狂ってはいたものの、普段は案外温厚な生き物ではあるまいか。なぜかそう確信すると同時に、密猟者たちへの強い怒りが湧いた。
あの眼だ。
カネのために、ただ金のために、生き物の命を、何の尊厳も与えず奪い去る者たちの、あの……
あの馬主と同じ眼だ。
先頭の男が唇をゆがめた。感情というものがまるで感じられない、酷薄な微笑だった。
すでに矢を装填した弩を、向かって右側の男が構えていた。バネ仕掛けで小型の矢が五連発できる、人間を暗殺するために改造された兇器。
「厳しいなあ。これはとても、きびしい現実というやつだ」
大人びた文句を、子供じみた口調でミシャがつぶやいた。記憶のない男が尋ねた。
「やつらは人も殺すのか」
「何を言ってるんだ。龍を屠るより簡単だろ」そう答えながら、デーコはさりげなく小石を拾った。
「きみたちのような子供でも?」
「大人より楽じゃないか」
なるほどそれはとてもキビシイ現実だ。
ミシャがあとを継いだ。
「ここは生きるか死ぬかなんだ。街まで逃げきって報告できれば、二人で十万キイン。討伐隊がこいつらの首をあげたら、さらにその二十倍。もちろんここでぼくたちが魚の餌にされなければの話さ……少しは動けるの?」
訊かれてやっと全身の痺れを自覚した。いろいろ驚いたせいか、筋肉に感覚らしきものが戻ってきているようだ。刺すような苦痛はともなうものの、手足はなんとか動いてくれる。
ただ走ったり……まして闘える自信はまったくなかったので、曖昧にうなずいた。
「じゃあぼくたちは来た方角へ逃げるから、シュワルツさんは……」
「シュワルツ?」
「さっきシュワルツ何とかって名乗らなかった? とにかく、ぼくたちが駆け出したら逆方向の森へ逃げ込んで。いいね」
「でもそれだと……」
きみたちが弩の恰好の的になってしまう。
そう言いかけて、ミシャの目つきに気圧され、黙りこんだ。少なくとも自分よりかれらのほうが、こういう場面をはるかに多く経験していること。そしてほかに選択の余地がないことは、重々理解できたから。
「わああっ! 助けてくれええっ、殺されるううう!」
両手を空へ突き出して、ミシャが一目散に逃げだした。
台詞が棒読みだった。
あからさまな陽動作戦だが、ドウドウ鳥たちが驚いて足踏みし、動揺が男たちの間に広がった。弩がミシャに狙いを定めたとき、デーコの手の中でパチンコの革紐が、ひゅっ、とうなった。
小石が固いものにぶつかる音。
狙いを外された矢が、あらぬ方向へ飛んで行くのが見えた。見かけによらぬ素早さで、デーコはすでに二発めを放っており、間もなく、ぎゃっ! という悲鳴とともに、弩が取り落とされた。デーコもまた脇目もふらずに駆け出していた。
おそらくこれもミシャの計算の内なのだろう、蛟竜を繋いだ縄を解くのに、密猟者たちは手間取った。が、首領が長大な山刀を抜いて、龍の攻撃にも耐える頑丈な縄を断ち切ったため、一人、また一人と、ドウドウ鳥に飛び乗り、地響きをたてて少年たちを追いかけた。
デーコに弩を打ち落とされた男だけが、腕を押さえたまま、中腰でうめいていた。
眼を凝らすと、少年たちはまだ先の小道を駆けていた。足の遅いデーコの手をミシャが引っ張っているのがわかった。ここまで早く体勢を立て直されたのは、予想外だったのかもしれない。
それとも、まさか……
自分が立ち上がっていることにさえ気づかなかった。
まさか、かれらがなかなか脇の森へ逃げ込まないのは、自分のために時間を稼いでいるからなのか?
いや、そんなことはあり得ない。
しかしこのままでは、追いつかれるのも時間の問題だ。
混乱の渦の中、無我夢中で地を蹴っていた。びりびりと五体を痛みに貫かれながら駆け、宙を飛び、歯を食いしばって、置き去りにされた密猟者の背後から、
「どおおりゃああああああっ!!」
強烈なタックルをかました。
油断しきっている相手を背後から急襲するなど、もしもこれがスポーツなら、最もえげつない反則技だと言わざるを得ない。だが今は、それどころではなかった。
不意打ちをまともに食らって、密猟者は顔面から地面に激突した。二人同時に苦痛の叫び声を上げた。先行する賊たちは追跡に夢中で、むろん背後の異変に気づかない。
しきりに悪態をつく密猟者の背中をがしがしと踏みつけ、ドウドウ鳥の鞍に手をかけた。不思議そうに振り向いた鳥の瞳はつぶらで、雨の日の大理石のように潤っていた。
こんな優しい眼をした動物を、かれはよく知っている気がした。
「走れるかい?」
ほとんど無意識に尋ねると、鳥はぶるぶると嬉しげに咽を鳴らし、大きな嘴を上下させた。
「よし、よし、いい子だ、いい子だね」
頸のところだけ白くなっているふさふさした羽毛を、かれは慈しむように撫でた。