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反射的に、少年たちが茂みへ顔を向けた。小動物のような警戒を全身にみなぎらせて。いかにもすばしっこそうなミシャはもとより、デーコという肥った子供もまた、膝を折って身を低くし、茂みを揺らす何ものかの接近にそなえた。あまりにも「子供」らしくない、野性的な動作に目を見張らされた。
さらにデーコは腰に吊した革袋から小型の器具を取り出した。二叉になった木の枝が、革紐のようなもので連結されている。パチンコ、という言葉が浮かんで消えたとき、かれは器具の用途をたちどころに理解した。それは武器にほかならず、場合によっては殺傷能力さえ有するだろう。
かれら「子供」たちは常日頃から、決して安全で友好的なではない何ものかとの遭遇に、慣れているに違いない。
「なんだろう」誰に訊くともなく囁くと、
「わからない。けど、こんな国境の近くをうろついているんだから、どうせろくなやつじゃない」自分たちのことは棚に上げて、ミシャが答えた。
茂みが揺れるのは、森の奥から何ものかが近づいてくる前ぶれらしい。地響きがしだいに大きくなり、獣のうなり声が混じった。それはかれが想像できるどんな野獣よりも、巨大で凶暴らしく思えた。得体の知れない怪物が、猛スピードで突進してくるのだ。
本能的に逃げ出そうとして、全身に痛みが走り、身体が動かないことをいやというほど思い知らされた。自分を置き去りにしないところをみると、少年たちは味方してくれるつもりなのか。しかしどう考えても安全とも友好的とも思えない相手とコトを構えたところで、勝ち目などあろうはずがない。
いまや地震のように揺れ動く茂みを見つめたまま、かれは固唾を呑んだ。
「きみたちだけでも、逃げたほうがいいんじゃないか」
「いま背中を見せると、かえって危ないんだ」
かれの隣に身を屈めてミシャが言う。声は少しも震えていない。べつに同情してくれているわけではなく、状況がわかるまでは無闇に動かないつもりらしい。
「それに、後ろから射られたら厄介だからね」
「……射られる?」
意外にも、とつぜん茂みを割ってあらわれたのは猛獣ではなく、三人の男たちだった。
いかにも屈強そうな真っ黒い髭面で、毛皮の帽子を被り、角のような耳のような変な飾りを頭上に振り立てていた。筋肉でぱんぱんに膨らんだ身体を黒ずんだなめし革で包み、そうして三人とも、しきりに跳ね回る奇怪な生き物にまたがっていた。
えんじ色の太い嘴、黒と茶色の地味な羽毛の、見たこともない大きな鳥……後にかれは「ドウドウ鳥」という名を知ることになる、その背中には鞍が置かれ、嘴にはベルトとネジで手綱が固定されていた。
「ほよっ、と、ほおおおう!」
先頭の男が怪鳥の上でかん高い奇声を張り上げた。それに応えるように、両側の二人が叫んだ。
「はや、ほおおおう!」
「はや、ほおおおう!」
ドウドウ鳥の鞍にはそれぞれ太いロープが結ばれており、三匹が力を合わせて茂みの中から何かを引きずり出そうとしていた。今にも切れそうなロープの張り具合といい、泡を吹きながらあえぐ怪鳥たちといい、よほどの重量が、しかも灌木の底で必至に抵抗し、のたうちまわっているさまが想像された。
腹の底に響くうなり声とともに、無数の灌木が根こそぎ弾き飛ばされた。
土埃が舞い上がり、石や朽ち葉や枝の切れっ端が降り注いだ。
最初、ふた抱えはある丸太が、ごろりと転がり出たように見えた。けれどもそれは材木ではなく、身をくねらせる生き物で、
ワニ!
とは何なのかわからないが、全身の三分の一を占める頭部の、ぱっくり開いた口から太く尖った牙が無数に覗いたとき、電光のようにその単語がかれの脳裏をよぎった。
とくに下顎から生えた四本の牙が巨大で、根もとは大人の拳より大きく、手当たり次第に噛みつこうとがちがちと鳴らす牙の音は、聴く者を震撼させた。いかにも兇暴な眼の後ろには、これが鼻腔なのか、柔らかな円筒形の突起が二本突き出ており、本体とは別の生き物のようにぱくぱくと蠢きながら、時折みょうに粘っこい水を吐き出した。前脚は大きく平べったく水掻きを有した鴨類の足を想わせ、後ろ脚がない代わりに鋭い鎌形の尾鰭がついていた。
さすがに力尽きたのか、森の外に引きずり出されたとたん、怪物は急速に弱っていった。腹を見せて横たわり、前脚をぴくぴくと痙攣させ、頭部の鼻腔からいやな臭いのする水を吐いた。ドウドウ鳥にまたがったまま、男たちはその様子を冷たい眼で見下ろしていた。
吐き捨てるように、ミシャがつぶやいた。
「密猟者だ」
「肉を食うのか」
「違うって」
この怪物は蛟龍といって、とくに四本の長い牙は透明感があって美しく、しかも加工しやすいため、目の玉が飛び出そうな高値で取引されるという。王侯貴族の印鑑はもとより、最近は貴婦人の帽子にそのまま縫い付けるのが流行だとか。また尾鰭は武器に、全身の鱗は家具の象嵌などに用いられ、いずれも超高級品扱いである。ミシャは続けた。
「もちろん、こんな国境の近くで生きた蛟竜を狩るなんてことは許されていない」
「じゃあ、やっぱりオロセの噂を流したのも……」身の置き所に窮したように、デーコが肩をすくめた。
「こいつらさ。森に人を寄せつけないために、嘘の噂を流したんだ」
もはや蛟竜の生命の火は消えたのか、微動だにせず横たわっていた。これまでひたすら怪物を見下ろしていた密猟者たちが、ミシャの一言に弾かれたように、いっせいにこちらを向いた。