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「だいじょうぶなの!?」
無意識に絶叫したらしい。動けない身体をびくびくと痙攣させながら叫ぶ姿は、二人の目に、さぞ恐ろしげに映じたろう。さすがに勇敢な少年も逃げ腰になりながら、ようやく踏みとどまって声をかけたところだ。
ようやく発作がおさまると、かれは目を見開いたまま、独り言のようにつぶやいた。
「思い出せないんだ……なにもかも……自分の、名前、さえも」
いち早く森に駆けこみかけていたデーコが、おずおずと声をかけた。
「お、おい、ミシャ、そんなのほっといて逃げちまおうぜ。なんかやばいよ……普通じゃないっていうか」
「うん、でも……」
あらためてミシャは、草の上に呆然と横たわる男を観察した。
土地が向こう側にせり上がっているため、仰向けの上半身をやや浮かせたかっこう。両足はまっすぐ投げ出され、だらりと垂れた右手の先が小川に浸されている。二十歳くらいと思われるが、年齢のわりにかなり背が低い。立ち上がったところで、十一歳の自分と変わらないのではないか。かといって、最初そうかと考えた低地人とは、肌の色がまるで違う。
それにしてもなんて奇妙な服装だろう。マブの森の呪術師だって、こんなおかしな衣装で踊ったりしない。強いて例えるなら、ゲマルゲマリ大トカゲの皮を剥いで人間に着せたようだ。襟から胸にかけて黄色い稲妻模様がけばけばしく走り、袖は水色で腹部は緑の蛍光色。白いぴっちりとしたズボンにブーツを履いた下半身は、まだまともと言えたが、これも百年前の貴族を真似たように時代遅れで悪趣味である。
そうして衣装のあちこちが黒く焼け焦げ、硫黄に似た異臭を放っていた。ノタのばあちゃんたちなら「硫黄の臭いは悪魔のアカシぢゃあ」と、騒ぎ立てるだろう。けれどもミシャ少年の眉を最もひそめさせたのは、青い光沢のある兜だった。
羽根も、角も、何一つ装飾が加えられず、ひたすらつるりとしているのが、かえって不気味だった。しかもぐにゃりとえぐられた側面は、明らかに刃物による傷ではなく、信じられないほどの高熱で溶かされたとしか考えられなかった。
ゆえに武器を持っていないかと、かれが真っ先に尋ねたのは、当然の流れと言えた。ただ、この辺りで大きな戦闘があったという情報は耳に入っていないし、またそれほどの戦闘が起こる要素も、さしあたって思いつかない。
ならば、この降って湧いたような男の素性について、ミシャが思いつく可能性は、あと一つしか残っていなかった。
つまりこの男は……
デーコのほうを振り向いて、かれは自信たっぷり断言した。
「錬金術師に違いないよ!」
錬成に失敗して、黒焦げになったのだろう。そう考えれば、ゲマルゲマリ大トカゲの皮のような若者の服装も一応は理解できる。
錬金術について、ミシャもとくに詳しいわけではないけれど、噂によると、かれらは「星座と感応」するために三角の赤い帽子をかぶったり、マントの裾に色とりどりのボンボンを縫いつけたり、道化師みたいなぎざぎざの襟をなびかせたりするという。特殊な炉の中で水銀や銅を煮て純粋な金をこしらえるという。あるいはまたガラス瓶の中にホムンクルスとかいう「小さな人間」を作り出せるとも聞いた。けれどもそういった「錬成」に失敗はつきもので、しばしば炉は大爆発を起こし、アルセオルセ男爵の城が半分吹き飛んだ事件は記憶に新しい。
「おそらくこの人も、滝壺の裏のガル山に籠もっていたんだろう。オロセが毒を吐いて魚が棲めなくなったという噂は、ほんとうは金を錬成するための水銀が滝から流れ出たからじゃないかな。とにかく、この人は錬成に失敗してガル山から吹き飛ばされ、ここまで落ちてきたんだと思う」
半分はデーコに、半分は記憶をなくしているらしい、この男に言い聞かせるように、ミシャはそう言った。それから男のほうへ身をかがめた。
「何か思い出せそう?」
「いや、まったく」
「身体は動くの」
「それも、まったく……そうだ、きみ、シュワルツェネッガーとは、なんのことだろう」
ミシャとデーコが顔を見合わせ、同時に首をかしげたとき、周囲の下生えが音をたてて激しく揺れた。