家事使用人長の訪問
日が没し、夜が訪れる。
開いた窓から乾いた風が流れ込み、白いレースのカーテンをゆらゆらと揺らす。
窓の外には、人工的なものがなにもない大自然が広がっていた。
ぽつぽつと背の低い木が立つ草原に、星が煌めく夜空。時折、何かの動物の鳴き声が横切る。
俺はふわふわなベッドの上に腰を掛けながら、窓から見える景色をずっと見ていた。野宿していた頃に何度も見たような景色だが、何故か全く違う様に見える。
こんこんと、二度ドアが叩かれる。ゆっくりと、けれど少し強めのノック。俺は目だけをドアに向けた。
「どうぞ。そろそろ来ると思っていましたよ」
「こんばんは、オルトさん」
ドアが開くと、ぴりっとした空気を纏ったネージュが立っていた。手に武器はなく、魔術陣を展開しているようにも見えない。
「レリア様から話を伺ったわ」
「なるほど。で、俺の寝首を狙いに来た訳ですか?」
「いえ、単に目的を聞きに来ただけよ」
俺は体の向きを変え、ネージュと向き合う。
ネージュの目がさらに鋭くなり、今にも襲いかかって来そうな剣幕だった。
「そんなに構えないでくださいよ。俺は別に何もしませんし。ただまともな人生を送りたいだけです」
俺は両手を上げて、何もする気はないと示す。
が、ネージュの表情は全く揺るがない。
「レリアちゃんにタメ口なら、私もタメ口でお願い。さん付けもしなくていいわよ」
「……わかったよ」
「あと、変な前置きはいいから、単刀直入に目的を言いなさい」
大事な姫様に半ば無理やり契約証書を結んだんだ。そりゃ何も思うはずはない。
レリアから話を聞いているとすれば、ネージュが聞きたがっている目的は〝レリアを使って何がしたい〟ということだろう。ホワイトな職場で平穏に暮らしたい、というだけで納得するだろうか。いや、しないな。
「この世には人をこき使う雇用人が大勢いる。特に〝勇者〟という正義心や地位だけで動く便利なコマは、依頼人次第ではほんと奴隷のような扱いなんだ。ゴミ掃除を依頼されたと思ったら、そのゴミは五メートル越える巨軀のゴーレムでした、なんてのもあったな。もちろん報酬は〝ゴミ掃除〟と同じだ。理不尽だろう?」
「……だから契約証書で、その理不尽を防いだってわけね」
「そういうことだ。多少強引だったことは認めるけどな」
勇者はボランティア精神で動く便利屋ではない。
生計を立て、生きるために勇者をしている者が大半だ。それは普通の仕事と何ら変わりはない。
そして自分の身を守るため、自分の立場を盤石にする癖がついた。冒険者というのは力があるために、国や街と対立することも多々ある。また、冒険者相手にする詐欺もある。寝首をかかれない、設けさせないために手回しすることが常になっていた。
「そういうことだ。さて、俺を訴えたら国家反逆罪で永久に牢屋に入れられるが……どうする?」
「でも逃げるつもりでしょう? 〝風〟を操るなら、そういうのは得意そうだもの」
「もちろん」
幸いにもこの街から、隣国への国境は十キロもないところにある。例え兵を呼んだとしても、ここに着く頃にはすでに逃亡できているだろう。
「レリア様は言うつもりはないと仰ってたわ。〝あなたは悪い人に見えない〟って。だから私は準じるだけよ」
「レリア様が寛大な方で良かったよ」
「白々しいわね」
「本心だよ」
ネージュは部屋へと数歩足を踏み入れようとして、部屋の異変に気付く。
「これは……!」
部屋の中に散りばめられた石。
無機質に転がっているように見えるが、それが何かしらの意味があることをネージュは察したのだろう。
逆に言えば、石を直視しないと魔術の存在がわからない程度の魔術師という証明でもあるが。
もし魔力や魔術の気配を、常日頃から感じ取ろうとしている人間には、屋敷の外からでもこの部屋の魔術の存在が分かる。
そうでないということは、やはり戦地に身を浸したことがないのだろう。
……と偉そうに思っているが、石に込められているのは、踏めば風の手が捕縛するだけの簡易的なトラップだ。
一流の魔術師ならすぐさま解いたり、回避できたりしてしまうが……こんな小さな部屋で、ろくに触媒も使わずにできる魔術なのだから仕方ない。
「これも癖みたいなものでね。自分の身なりの安全が保証されてない場所だと、深く寝付けないんだ。物理的にも……魔術的にも」
「……そう」
ネージュは一回大きくため息をついて、
「やっぱり、レリア様の言うとおりね」
「どういうことだ?」
「レリア様が採用したがってた人材だったって話よ。人の裏を知っていて、精神的にタフな人を探しておられたから」
俺は思わず笑ってしまった。
やはりこの屋敷には、何かがある。
そういう条件をクリア出来ないと務められない何かが。
「もしかして、この屋敷に仕えてる人が少ないことと、何か関係あるのか?」
「話が早くて助かるわ。理由は私の口からじゃ言えないけど……そう遠くないうちに分かると思うわ」
ネージュはくるりと翻す。スカートがふわりと舞い、白い太ももが露わになる。
「こちらも博打なのよ。でも、そうでもしなきゃ今の現状は打破できない。姫様の夢には辿り着けない。だから……頼りにしてるわよ?」
ネージュは返事を聞く前に、笑顔だけ残して自室へと戻っていった。
脱力し、俺の体は重力のままにベッドに倒れ込む。とりあえず、人間関係に致命的な亀裂が入ったわけではなさそうだ。 ネージュ、そして、レリアの人の良さに助けられたか。
関係悪化しすぎると、仕事や給与にも支障が出てしまうだろう。それだけは勘弁だ。俺だって、楽しく気持ちよく仕事がしたい。
と、ネージュが最後に嫌な言葉を残していたのを、俺は聞き逃していなかった。
「姫様の夢、か。また面倒なことに巻き込まれそうだな」
王族の抱く野望や夢は、一般人では到底たどり着けないやっかいなものであることが多い。もしレリアが俺を採用した本当の理由が、家事使用人でないとしたら……。
「ま、その時は賃金交渉だな」