姫様の秘密と契約証書
ステータスカードには、魔術への素養が、六つの項目で記載されている。
その六項目は〝耐久力〟〝筋力〟〝精神力〟〝魔力〟〝器用さ〟〝幸運〟となる。それぞれに対して〝A〟から〝E〟の五段階で評価される。
勘違いされやすいのが筋力というステータス。簡潔に言うなら〝 筋肉がどれほど魔力に影響されるか〟といった数値である。この値が高ければ、筋力強化魔術によってより身体機能を向上させることができるが、敵の魔術を受けやすいというデメリットもある。
といった具合に魔術への素養が書かれているわけだが……
――魔力がゼロ……他は測定不能だと……!
俺は二年間の勇者生活の中で様々なステータスカードを見てきた。だが、魔力が無いという判定は一つも見たことがない。最低ランクの〝E〟しかない勇者が、俺の見た最低の判定だった。
だが、魔力が全くの空っぽは訳が違う。
完全にゼロ。魔術を使える可能性が微塵もないということだ。
カードの裏には魔力の六属性〝 地水火風光闇〟への適用性を、同じく五段階で記されている。もちろん魔力の無いレリア様は全て測定不能である。そりゃあ、魔力がないのだから測りようがない。
さらに問題なのが、王族の中に魔力が空の人間がいるという事実である。
普通であれば王族と絶縁、酷ければ処刑されるだろう。
「……〝来て(キア=フォス)〟!」
殺意の籠もった声が響き、俺はすぐさまカードを置き振り返る。
「見ましたね、それを」
右手に二メートルを超える大剣を手にするレリア様が、ゆっくりと近づいている。
殺意の籠もった笑顔に、俺は思わず二三歩退いてしまう。
「いやその……これは不可抗力と言いますか」
「そうですね。あなたはたまたま掃除をしようとして、目に入っただけ。ステータスカードを置き忘れた私が十割悪いでしょう。でも……この世は理不尽なのです」
大剣をゆっくりと俺の方へ傾ける。すると、剣の表面に赤色の魔術陣が浮かび上がった。
「まさかそれは……」
〝魔導兵器〟。魔力を保持する核を取り付け、魔力なしでも魔術が使える武器や道具のこと。
安全面から、核は小石程度の大きさであることが多い。だが、あの大剣は剣の柄から剣先にかけて、中心に赤い核が埋め込まれている。
これほどの魔導兵器の製造には、膨大な人員と時間が必要であり、おそらくこの国でも十はない代物だろう。
まさか国の辺境に住む王族が手にしているとは思わなかった。
「私の母君の遺産です。こんな私でも王族たりうる力を持たせてくれた母の……」
「分かった分かった! 他言は絶対にしない! ここでの事は忘れる! それでいいな!」
ほぼ無尽蔵に、そして予備動作無しに使える魔術。チートに等しい武器を前に俺は焦った。
レリア様はじっと訝しげに俺を見つめる。
命より握られたくないであろう弱み。それを、今日初めて会った人物に他言しないと言われ、信じられる訳が無い。
俺は深呼吸し、心を落ち着かせる。
こうなったら取るべき手段は一つしか無い
「……結局、こうなるんだよな」
俺は懐から一枚の紙と、一本のペンを取り出した。
紙には、石と同じような金箔で魔術陣が描かれている。
契約証書。
契約内容に従い、約束事を遵守させる儀式魔術。
共通する文句は全て記入されている。後は互いが遵守すべき内容と、違反した際の罰、そして双方のサインで完成する。
レリア様の顔が引きつり、剣が一層赤い光を放つ。
逆らえない弱みを握られた状況下、最悪の事態が頭によぎったのであろう。
「一体何を書こうとしているのですか!」
「大したことじゃないですよ。地位や金、土地が欲しいなんて書きませんし、体を要求するつもりもありません。俺が遵守する内容は二つ、レリア様に遵守していただきたい内容は二つです」
睨みを聞かせながらも、わずかにレリア様の殺意が緩む。
嘘を言ったつもりはないが、この程度の言葉を信じるレリア様は、やはりお人好しがすぎる。
安堵するなら、契約内容を見てからだろう。
俺は書き上がった契約証書を持ち、レリア様に見えるよう掲げた。
「俺が遵守すべき項目は〝秘密を漏らさないこと〟と〝労働契約に倣い勤務をすること〟。前者はともかくとして、たとえ弱みを握ったからと言って居候になるつもりはありません」
「私の項目は〝オルト=ウィールライトの終身雇用〟と〝雇用契約内容の更新には、互いの合意の元のみ行うこと〟。で、約束を破ったら、一つ絶対遵守の命令を与えることができる。……え? これだけでいいんですか?」
レリア様は驚いていた。
要求といえない要求しか書かれてないことに。
「俺は、ただホワイトな仕事をして、余生を過ごしたいだけです。安定した職場で、安全に仕事して、安寧な生活を送る。これ以上に求めるものはありません」
「そうだとしても……ここにはあなたの身の安全を保証する内容が書かれてません。私があなたの寝首をかいても契約違反にはならないのです」
「それをわざわざ、契約前に言ってくださるなんて、ほんとお人好しですね。その時はその時ですよ」
確かにレリア様への契約内容は、不当な労働をさせないことしか書いていない。
違う。
正しくは、書く必要がなかった。
温室育ちの王族に、二年間勇者という地獄にいた俺を殺せる筈がない。
保身を第一にする王族なら、自分の弱みを知られた者に容赦という文字はない。自由を奪い尽くした契約証書を結ばせるか、その場で首を切り落とすかの二択だ。しかし彼女はそのどちらでもない……武器による威嚇しかしなかった。
自分を陥れることができる相手に対しても温情がある王族に、人を殺めることなどできるだろうか。
レリア様は大剣を床の上に置いた。そして、紙とペンをひったくるように取り、殴り書きでサインした。
その瞬間、契約証書が成立し、術式が発動する。といっても、紙の上に赤い模様が浮かび上がるだけだが。
「これでいいでしょう?」
レリア様は乱暴にペンを置いた。彼女はあからさまに不機嫌な表情をしていた。王族を見下すようなことを言われ、癇に障ったのだろう。
俺は契約証書を回収し、内ポケットに入れた。
「契約成立です。俺は何も漏らせないし、忠実に仕事をする家事使用人になりました。一件落着ですね」
「これがあなたの本性、というわけですね。ずいぶん分厚い皮をかぶってましたね」
「いえ、俺は至って一般人です」
「どの口が言うんですか。王族に契約証書を持ちかける行為は、立派な反逆罪なんです。それを平然とやってのける一般人がどこにいるんでしょう」
内容がどうであれ、契約証書は王族に行動を制限し、何かしらの不利益を被らせている。
故に、王族に対する契約証書は、殺人以上に重い罰になる。
「俺はただ自分の誠実さをアピールしたかったんですけどね」
「誠実ですか。私にとっては正反対の位置にあなたがいますけどね」
レリア様は大剣を拾い、表面に浮かんでいた魔術陣を消滅させた。
そして、俺へ冷たい瞳を向ける。
「では、契約証書に則って、この部屋の掃除をきちんとしてくださいね。あ、それと……私のことはレリアでいいですし、言葉も崩して頂いて結構です。あなたの様付はどうも胡散臭いというか、小馬鹿にされてる気がしまして。いえ、きっと小馬鹿にしているのでしょう。私か……ラヴァンディエか……それとも権力者そのものを」
俺は少し驚いた。
確かに王族や貴族に対して気に入らないこともあるが、決して小馬鹿になど思っていなかった。だが無意識に現れてしまったのだろう。
もちろん、〝温室育ちの貴女〟という言葉は侮蔑そのものであったが。
「分かったよ、レリア。王都だと不敬罪になりそうだけど、ここなら問題ないか」
「やはり、その話し方のほうがしっくり来ます。では、よろしくおねがいしますね」
レリアはステータスカードを忘れず回収し、部屋を出た。
俺はふうと息を吐いて、床に尻もちをついた。
とりあえず契約証書を使い、ブラックな扱いを防ぐことができた。
俺が面接のとき契約証書かどうか確認したのは、罠を勘ぐってではない。
むしろ逆で、契約証書であってほしいと思ったからだ。契約証書でない場合、就業内容や勤務時間を自由に変えることができてしまう。
「とりあえず、掃除するか」
また投稿遅くなりました。
休みの間もちょくちょく見ていただきありがとうございました。
次は明日の朝に投稿します。