幕間一 黄昏と暁[夢人]
第一話よりもずっと前のお話。
彼が覚醒したときの物語。
時々、幼い頃の夢を見る。十六でこの世界に放り出され、数多の戦場を経験し、他人の醜さを見せつけられたこの身にとって、それは救いだった。微笑む両親。約束された安寧。将来への希望。夢の中ではそれが現実だった。
「ユメヒト、次は右翼の援護に向かってくれ」
「ああ、分かった」
もっとも、何故かその夢に耽ることはできなかったが。
「ようやく、か」
およそ七十の年を生きた私にもついに終わりの時がやってきたらしい。視界は霞み、四肢には力が入らず、意識がゆっくりと闇に沈んでいく。
死はあまり怖くない。むしろ生の苦しみから解放される安堵を感じるくらいだ。自死を選ばなかったのは私を生かしてくれた人たちへの感謝と義務感、そして僅かに残った臆病さがそうさせたに過ぎない。だが自然の摂理が迎えをよこすというのなら、素直に受け入れられる。
「私は、長く、生き過ぎた」
大恩ある師が死んだ。私という弟子をとって幸せだったと、幸せな時に死ぬのが一番だと告げて旅立った師はやはり賢明だったのだろう。
友も死んだ。民を生かすため、国を永らえさせるため、なにより信じた主の未来を繋げるために散ったあいつは最高に格好良かったと言える。
支えてくれた知己をも亡くした。大勢に惜しまれながら逝く姿は、責任感が強く恩義を忘れない、情に厚かったあの者にふさわしい最期だった。
「私、は……」
残された私に寄り添うのは孤独だけだ。ああ、だが、それも終わる。願わくば救いを。私に、先に逝った彼らに。どうか……。
「夢人も最近はよく起きているな」
「そうなの。小さい頃は心配してたけど、大丈夫だったみたいね」
声が、聞こえる。優しく安心感を与える、両親の声。これは、夢だ。夢の中の自身が大きくなる度に記憶に残る割合が増えていった唯一の癒し。そうか、これが救いか。
……違う、これは“現実”だ。
私は。いや、俺は。ちがう、僕は。
「――っ――ぁ――!!」
疲弊していた精神は巻き戻され、幼きそれへと戻っていく。枯れ果てた情動が甦り、心には活力が宿った。
現実だと思っていた夢の体験は強烈な記憶となり己を研磨する。思考範囲が拡張され、意思が確立し、自制を覚えた。
若き感性と老練な処理能力。相反するそれらは融合し、一つの形を成す。つまり、賢しき子供へと。
「……自分で“賢しき”とか言ってれば世話ないよね」
かしこく、判断力のある、しかし子供。だがそうとしか言いようがない状態でもある。
世の中の汚さを知ったはずなのに、世界が輝いて見える。この状態を隠さなければと思うのも、大好きな両親に万に一つも嫌われたくないがため。落ち着こうとするのは、今にも動き出してしまいそうだから。
ただ、決意は一つ。
「夢のようにはならない」
必ず幸せになるのだと、そう誓う。
若い精神がベースにあるので記憶に影響はされてもとらわれずに済む。
若い精神がベースにあるので舞い上がったり心情の起伏が大きい。
これも一種のチート?