逡巡
"ステータス"はあいかわらず消えない。
うっかり文字に集中してしまうと気力を吸い取られるような気がするのでなるべく脇を見るようにしていたら木の根に足をひっかけてしまった。
いまいましい。
足をひっかけた木を見上げた。
故郷のものとさほど変わりはない。マツに似た針葉樹だ。
気候も同じようなものと考えると、今は初夏といったところか。
暑さや寒さには鈍くなっているようで、気温がよくわからない。
しばらく歩いても汗の出る様子はない。汗をかく機能はないのかもしれない。
腹が減ったり、喉が渇いたりもまだしないようだ。
舌をうごかして歯を確かめてみる。
……針のようなものが歯列に沿って無数に生えている。
人間の食事はとれまいな。
視界の端に動くものがあった。獣のようだ。
手に握っていた石を放ってみる。
思った以上に力がはいり、鋭い声を上げて獣が跳ねた。
近寄ってみると、狐にそっくりな生き物が内臓をぶちまけて死んでいた。
見た目が狐に似ているからといって同じであるとは限らないし、毒があるかもしれないのだが、ためしに肉を一かけらちぎりとり、噛んでみる。
うまくはない。だが意外なほど生の肉に対して嫌悪感がなかった。
ハーフデーモンだからな。
下手な冗談を聞いたときのように乾いた笑いがでた。
そのとき、"ステータス"の一部に変化があった。
集中する。
経験値:1
この部分はさきほど数値が入っていなかった。
なんらかの"経験値"なるものが増えた……今までなかったものが1増えたということなのだろう。
「わからぬ」
声に出してみた。自分の声ではない気がする。
しかし、それを聞く耳も以前と同じではないのだ。
そのあと、一時間ほど歩いたと思ったところで、どこからか物音が聞こえてきた。
動物や、鳥の声などではない。
金属が打ち合う音、人語らしき響き。
村か町があるのか。それとも街道の喧騒か。
我は進みながら耳をすませた。
これは争いの音だ。
それも、命をかけた争いの。
近づくにつれ、怒号や悲鳴、武器の打ち合わせられる音がはっきりとしてきた。
森の一部が切り開かれ、五十キュビト四方ほどの広場ができており、その中で争う二つの集団がある。
馬車と護衛。それを取り囲む襲撃者。
護衛は十人ほどで全員が手傷を負っている。
襲撃者は二十人以上いて、そのほかにも逃げられぬように広場の出入り口をそれぞれ十人ほどが固めているようだ。
争いの帰趨はともかく、我は双方の装束や顔貌に興味があった。
オールドワールドの貴族用の馬車によく似た豪華な馬車。護衛は騎士なのであろうか、簡易な全身鎧をまとい、盾と剣を持っている。馬に乗っているものも一人いて、全員どちらかといえば白い顔をしていた。
襲撃者は奇妙な者どもだった。
背は騎士たちより高いが、猫背で顔色は青黒い。巨大な両手剣を持ち、全身に毛皮をまとっている。
獣を思わせる顔にだけは毛がないが、顔中を口にして叫ぶと、長い牙が見えた。
このような生き物がいるのか。
そして双方とも、言っている意味ははまったく聞き取れなかった。
介入すべきか、できるのか。
我はしばし逡巡した。