ハルキス伯爵の懺悔
非道の翼はあまり狭い場所で使うには向いていない。
移動の最初と最後で宙に浮いてしまうからだ。
この浮遊は必須であるらしく、浮かんだり浮かばなかったりを選択することはできない。
聖堂は天井が高かったのでまるで天使が降臨するような光景に見えたはずだ。
それも計算のうちである。オスタードが勝手に解釈してくれることを狙っている。
しかし応接室はそれなりに広いが天井は人の身長の一倍半ほどしかない。
「あた!」
この間抜けな声はアリスだ。
我と冒険者のうち一人も頭をぶつけているが、我は痛痒を感じず、冒険者は気絶しているので何も言わない。
これだけでも結構な音を立ててしまっているが、その後テーブルを踏み砕きながら降りたので大音響がギルド中に響き渡った。
駆けつけたギルド警備員との間で一悶着あったのは言うまでもない。
「こういう風に戻ってこれるなら言って欲しかったぜ」
ギルド長は粉々になった応接テーブルを見て呆れたように笑った。
「しかし、"セイラン"のリディアを助けてくれたのは個人的にもギルドとしても礼を言うよ。こんなテーブルくらいどうってことはない」
「リーダーの魔術師だったか」
「ああ、いい女でな。もう一人助けてくれたアレクシスも若いがいい戦士だ」
そして息をつく。
「ほかはダメだったんだよな?」
「完全に死んでいた。あいにく死体までは持って帰れなかった」
「いや、いいさ。こちらから回収隊を出す。ところで、魔族はどうなったんだ?」
「殺してはいない。これ以上こじれても困るだろうから、話し合いでお引取り願った」
「話し合いかい」
ギルド長は複雑な顔をした。復讐はしたいが公職にある者としてその後の影響を考えざるを得ないのだろう。
「あんたのことだからきっとガンガン「お話」をしたんだろうな」
「相手にとっては思い出に残る話し合いになったことだろう」
そりゃ平和的だな、と言ってギルド長はもう一度笑った。
ハルキス伯爵から呼び出しがあるというので館に向かった。
アリスは置いてきている。
頭を打って気絶していたのだが、なかなか覚めない。心配して"邪悪なる治癒"をかけてみたが、起きぬ。つまり、疲労がたまって寝ているのだ。
館につくと老家令がまた案内をしてくれた。
「伯爵がお待ちかねでございます」
「御機嫌のほどはいかがか」
軽口のつもりで聞いてみたのだが、家令は重々しく首を振った。
「良くはございません。このところ、御悩みが深うおなりのようで奇矯な振る舞いをなされます」
「奇矯な、とは」
この実直そうな老人に主人についてそのように言わせるとはどのような振る舞いなのか。
「こちらです。お一人で、ということですのでわたくしはこちらにてお待ちいたします」
そこは今まで来たことのない部屋だった。
おそらく書庫と書斎を兼ねているのだろう。
古い羊皮紙と紙、そしてインクと黴の匂いが押し寄せてくる。
照明はほとんどなく、大きな書き物机によりかかるハルキス伯爵の背後にあるランプが一つだけだった。
「よくきてくれた」
ハルキス伯爵はどことなくぎこちない調子で言った。
あまり寝ていないのだろう。目の下の隈がランプの光に暗く見えた。
「報告をさせていただきたく」
「ギルドの方から聞いているよ。リディアはハルキスでも最強の冒険者だ。助かってよかった」
少し言葉が途切れた。
魔法の光を放つ高価なランプが低く唸る。
「彼女が作った"セイラン"は四級冒険者パーティーだ。ハルキスにこれ以上の力を持つ集団はいない。」
ハルキス伯爵はまるで罪を告白するように言った。
「私は君に魔族との外交を明かさなかったね。あれは誤りだった。すまなかった」
唐突な謝罪だ。何が言いたいのかわからない。
「魔族への復讐とハルキスの首長としての私の行いが矛盾しているように思われるかと思ってね」
「公人の義務と個人の感情が双反するのはあり得ることだ」
「君は優しいね。私は私自身がやっていることが大嫌いだったよ。ハルキスはずっとこういう行いを重ねてきたのだ。そうしなければ滅ぼされてしまうからね」
声がわずかに湿っている。
泣いているのだ。
「王家もそれを黙認していた。というより、闇エルフを手段を選ばず迷宮に封じ込めて置くのが王家から課された当家の義務なのだ」
ああ、これは。
我はこのような告白を聞いたことがある。
本来これは神に述べられるべき言葉。
「姉を差し出したのは私の両親だったのだよ」
ハルキス伯爵は懺悔をしているのだ。




