交渉
レベルアップの恩恵は思ったより大きかった。
オスタードはフィリフェインよりも間違いなく強かったが、問題なく圧倒することができた。
能力の相性もあるのだろう。
真正面からの力づくでは我はこの世界でもかなり上位の存在のようだ。
仰向けに倒れたオスタードの手から剣を奪い取り、針のような牙が生えた口の中が見えるように噛み砕いた。
今まで殺気に溢れていたオスタードの目にはっきりとした恐怖が宿った。
この魔族の心は今、折れた。
「オスタード。お前はこのヨーハン・ハイデンベルクには勝てぬ」
変身を解いて諭すように話しかける。
殺してはならない。情報源として、闇エルフ側との接点として、彼を今殺すのは愚策だ。
「何のつもりだ。今のうちに殺しておかないと後悔するぞ」
「取引だ。お前が何をやったとしてもそれがしを害することはできぬ。怪物どもを解き放つのもやってみればよい。全て喰らいつくしてやろう」
オスタードの目を覗き込みながらもう一度言う。
「取引だ。"汝の望みを言え"」
望みはその者の心のありようを表す。
悪魔はその者の望みを聞き出すことで魂まで支配することができる。
我の行いもそれに類するものだ。
いよいよ悪魔じみてきた。
「……我が主君ツィリオル様に魔族を統べる力を」
力なくオスタードはつぶやいた。
「魔王亡き後の魔族に秩序を」
「それがお前の望みか」
「貴様は何なのだ。そんなことを聞いてもどうにかできるはずがない。貴様は普通の人間ではないが、それでもそんな大それたことはできない。誰にも……」
「聞き届けよう。我が汝とその主君に力を貸す」
「私は何故こんなことを……」
「それがしを信じられぬか」
長い沈黙が降りた。
「……信じよう」
契約は成った。
「お前は王国に戻れ。そしてそれがしを殺せなかったことを報告するのだ」
「そんな不名誉なことはできぬ。命を果たせなかった臣下は死をもって償うもの」
「お前には今はもっと大事なことがある。それに主君が賢明ならお前が殺せなかったことでそれがしに対する考えをあらためるであろう」
「ツィリオル様を貴様……貴方と契約させるように説得することはできないと思う」
「必要ない。お前がそれがしと結んだ契約についても話す必要はない」
「主君に虚言で答えるなど……」
「今はこの契約の方が重要なのだ。なぜなら、この契約がお前と、お前の主君の望みをかなえるからだ」
我はオスタードの目をもう一度見返した。
恐怖と理解がそこにある。
「貴方は何者なのだ」
「お前は今それを知る必要がない」
「わかった……」
「アリス。こちらに来い」
怯えた顔のアリスを呼び寄せる。
「ど、どうなったの?敵じゃないの?」
「もう敵ではない。だが、この事は忘れろ」
「え、え?うん、わかりました……」
アリスを抱き上げ、倒れている冒険者に近づく。
「ひゃあ!何で?歩けるよ?」
「黙っておれ」
死んでいる者は四人、生きている者は二人。生きている者も意識はない。
全員は抱えられぬな。
生きている者だけを拾い上げ、肩にかつぐ。
「今はさらばだ。連絡をつけられるようにしておけ」
オスタードが頷く。
『非道の翼』
半透明の翼がゆっくりと羽ばたいて、我等は聖堂の上に浮かび上がった。
「ハルキス。冒険者ギルド応接室」
登録してある場所を心の中で思い浮かべると何かを引きちぎるような音と暗闇が我等を包み込んだ。
アリスはずっと訳のわからないことを叫んでいた。
黒い男は巨大な翼を広げて去った。
「魔王様……」
残されたオスタードは宙を見上げてそうつぶやいた。
頭の中では恐るべき不敬な考えが形を成そうとしていた、




