アリス、受難の日②
オスタードなる者は二日後の深夜に十九階の"聖堂"と言われる場所で待つと伝えてきたらしい。
オスタードは魔族だという。
闇エルフの一人ではあるが、闇エルフ即ち魔族ではない。
闇エルフを含む無数の種族のうち、ある階梯に達した者が魔族となり、魔族以外の者を統べる。
それが人間以外の知的種族の基本的な社会なのだという。
人間の王族・貴族とは違い、世襲ではなく、魔族に生まれつく者もいない。そして別種族であろうとも魔族になった者同士はそれがわかる。
彼らは共通の目的を持つが、それを魔族以外に知る者はいない。
魔族の大目的はともかく、今回のオスタードの目的は何か。
我を殺すつもりなら武装しないように言うか、いっそアリアスに殺させればよかろう。
無論、むざむざ殺されはしないが、どうもこのような迂遠なやり方をする理由がわからない。
本人に聞くより他はあるまい。
「ついてくるならなるべく軽い装備にしておけ」
「あたしも戦います!」
アリスは血相を変えて言うが、これは譲れない。
「お前を前で戦わせていては、期日に間に合わぬ」
言い方はきついが、やむを得ぬ。
ギルド長から秘密となっている中・深階層の地図と固定出現罠、固定出現敵の詳細な情報を得たものの、二日で十九階まで降りるのは大分時間が厳しいのだ。
「これを持て」
羊皮紙を綴った大判の本を五冊渡す。相当な重量だ。
「え、え?」
「それを読みながらついてこい。ちゃんと案内をするのだぞ。もちろん罠があったら言え」
凛々しかったアリスの顔が一気に情けないものになる。
あまり字を読むのが得意ではないのだ。
かわいそうだとは思うがこの形態になると本のページなどめくれぬからな。
『鋼鉄の獣』
全身が金属的な軋みを上げて変形していく。
ビホルダー戦では幾分絞っていた力を遠慮なく解放する。
鋼の厚板を組み上げたような輪郭。肩幅が際限なく広がり、威嚇的な影を作り出す。
背中に無数の丸鋸状の逆鱗が波打ちぬらぬらと光った、
ジャガーノートの金属質の咆哮が、迷宮を震撼させる。
くろがねの鉤爪が地響きを立てて地面に足跡を残す。
低階層の怪物どもが逃げ散る音が聞こえる。
ん?
アリスがついてこない。
振り向くとアリスは壁にはりついてうずくまっていた。
精神力の抵抗に失敗したようだ。
咆哮はしばらく禁止だな。
ほぼ一日をかけて14階までを一気に降りたところでアリスの体力が限界に達した。
「もう、読めません……」
これまでの人生で経験したすべての読書を上回るほど読んだそうだ。
「ぎぼぢわるぅぅぅぅ」
走りながら読ませたのもまずかったか。
悪酔いしたようになっている。
根を足のように動かして襲ってきた木の怪物を叩き潰して薪にし、焚き火をしてしばらく休憩した。
怪物は本物の植物なのか、リンゴに似た果実まで生っていた。
食欲がなさそうだったので焚き火を前にその実をかじらせてやった。
「甘い……」
アリスは我の脇腹に頭を預けてつぶやいた。
「ごめんなさい。ハイデンベルク様」
大丈夫だ。頑張っているのはわかるぞ。
頭を撫でてやると安心したのか寝息を立て始める。
しかしずいぶん硬い枕だが頭は痛くないのか。
結局休憩には半日を要した。
更に十四階から十九階までを最短距離で踏破し、指定された時間まで僅かを残して我等は"聖堂"に達したのだった。




