いくら何でもやりすぎ
この光景は、どういう事だろう。
私は夢でも見ているのか。現実逃避はそこまで得意なはずではなかった、が。
今目の前で、クラスメイトの建内蓮が他の男子に囲まれてボッコボコにリンチされている。
建内という生徒はいわゆるいじめっこで、周りに嫌がらせをして学校生活を満喫していた問題児だ。
私もつい昨日まではその標的だった。
男子の中には建内の取り巻きの奴らもいるっていうのに、これは一体…。
お前ら、昨日も建内と馬鹿みたいに馬鹿騒ぎしていたじゃないか。アホみたいに「ウェーイww」とか言っていたじゃないか。
あぁ、困った。どうしよう。
私は今日偶然この校舎裏に来たわけじゃなくて、ここのベンチで音楽を聴きながら本を読むことが日課になっている。
普段から人がほとんど通らないこの場所は、数少ない学校のお気に入りスポットのひとつだった。
なのに、だ。
どうしてわざわざ私の縄張りで建内をフルボッコにしている。
そういえば、最近いじめがワンパターン化していたような……一種の新しい嫌がらせか?
いや、流石にここまで身体張る必要はないか。
これが演技だったらこいつら本物の馬鹿だ。称賛に値するレベルの大馬鹿共である。
「オラ、起きてっか?寝てんじゃねえぞ」
「おーい、あんまやりすぎんなよぉ」
「いンだよこんくらい。…なぁ、建内?まだ大丈夫だよなぁ?」
「バーカ!お前が一番殴ってんだろ」
あいつらのゲラゲラと馬鹿にしたような下品な笑い声は昨日まで私に向けられていたものだった。
いじめの主犯格だった建内が何故逆にいじめられているのかは知らないが、目の前の酷い光景に眉を寄せる。
そして次の瞬間、私は自分でも信じられない行動に出ていた。
「……あ?何やってんの、お前」
なにやってんだ、わたし。
気付くと私は建内の楯になるように突っ立っていた。
男子たちが驚いた顔で見てくるが、一番びっくりしてるのは間違いなく私だ。
だって勝手に足が動いていたのだから。
まぁ、やっちゃったもんは仕方ない。どうにかして切り抜けよう。
「もうそのくらいにしておけば?」
「ハッ、しゃしゃり出てくんなよ」
「つーかさぁ、お前もこいつにいじめられてたじゃん!庇う必要ねーってこんなの」
「こんな奴、殴られて当然なんだよ。こいつがどんだけ人を苦しめてきたか知らない訳じゃねえだろ?」
建内は今までやりたい放題、私にも他の人たちにも散々嫌がらせをしてきた。
確かに正論かもしれない。だから何も言い返せない。
恨まれていた相手から報復を受けるのは当然だと思うし、私も正直ざまーみろだ。
でも、目の前で起きていることから見て見ぬふりはできなかった。
今の建内の気持ちが私には分かってしまう。だから咄嗟に身体が動いてしまったんだろう。
「いくら何でもやりすぎ。見ていて逆に気分悪いよ。さっき先生呼んだから、早く逃げた方がいいんじゃない?」
嘘だけどね。
無表情でそう言うと男子はみんな顔を合わせ、私と建内を交互に睨んでくる。
それに負けじと私も睨み返せば、諦めたのか舌打ちをしてぞろぞろと去って行った。
はぁ、とりあえずホッとした。
私も一緒に殴られるかと思ったからすごく安心した。昨日出来たばかりの痣が消えていないからなぁ、良かった良かった。
頬っぺたの傷を擦っていると、ボソッと後ろから声をかけられた。
「どうして、庇った」
低く絞り出されるような声に振り返ると建内は俯いたままだった。
殴られて付いた痣を隠すように地面へ視線を向けて、でもはっきりとそう言った。
「うーん、ちょっとやりすぎかなって。痛々しかったしね」
「お前には関係ねぇだろ」
「……そうとも限らないんだけど」
だってここ、私のお気に入り場所だし。
せっかく綺麗な所なのに血痕なんて残ったら嫌だもん。しかも建内なんかの。
あー、私がここに通ってるって知られちゃったかな。だとしたら困る。癒されスポットも建内が来たら台無しになってしまう。
荒らされでもしたらもう最悪だ。
「とりあえず保健室行って…」
「行かない」
即答ですか、そうですか。……数秒だけでも悩めよ。
でも保健室に行きたくない気持ちも、わかる。
いじめで殴られたなんて言いたくないし、保健室の先生は心配してくれるし治療もしてくれるけど助けてはくれなかった。
怪我の原因が建内だと知っていたんだろう。自分ではどうしようもできないのだ。
だから「誰かにやられたの?」なんて、一度も聞かれたことがない。
私は最初の数回だけ保健室に行って治療してもらい、それからは全部自分でどうにかするようにした。
小さな傷ができても大きな痣ができても、 教師という存在には頼れなかった。
「ならちょっと顔見せて。殴られると痛いでしょ?私も建内くんに殴られて痛かったし」
さりげなく嫌みを混ぜながら自分のカバンからハンカチと保冷剤を取り出す。
保冷剤をハンカチでぐるぐる包んで、赤く腫れている頬にそっと当てがう。
「っ、てぇ」
「我慢して。男でしょ」
「……チッ」
あれ、意外と大人しい。
もっと抵抗するかと思ったのに建内は思いの外、舌打ちをしたきり黙ったまま私に手当てされている。
建内の顔をもう一度まじまじと見てみる。頬と目の辺りは赤く腫れ、唇の端からは血が少しにじんでいる。
私でさえこんなに酷く殴られたことはないのに、建内は一体どんな悪行をしたんだろう。
疑いと同情の目で見ていたら、建内は伏せていた瞳を私に向けた。
「……お前知らないのか」
「何が?」
主語が抜けているため、何のことだかさっぱりわからない。
思わず「建内くんの性格の悪さのこと?それなら充分知ってるけど」と言ってしまいそうになった。危ない危ない。
建内は再び視線を下にやって、少しの間を置いてから話し始めた。
「俺の親父がリストラされたこと」
「……えっ…」
ぼとり。あまりの衝撃に持っていた保冷剤を落とした。
保冷剤は建内の膝に落ちた後、反動で地面へと転がって行った。
家がお金持ちで成績も良しと来れば、教師たちは建内が校内で好き勝手していてもある程度は多めに見ていた。
嫌がらせの様子を目撃しても軽く注意する程度。建内もふざけながら適当に返事をして、それで終わり。
だったのに。
「リス…トラ?」
「そうだよ。2回も言わせんな」
「ご、ごめんなさい。……それで?」
「昨日、親父から直接聞かされて今日の昼頃にはもう学校中に広まってた。はえーな、ったく」
「……全然知らなかった」
「お前鈍すぎ。ま、友達いないんだから仕方ねぇか」
うるさいわ。誰のおかげで孤立していると思ってんだ。
でもやっと今、建内が取り巻き達から殴られていた理由がわかった。
建内への恐怖と、媚びる必要がなくなったんだろう。
だけど昨日まで一緒になっていじめを楽しんでいたくせに、手のひら返したように急に善人ぶって意味がわからない。建内が自分より格下の存在になった、とか思ってんの?
自分たちも同罪なんだって気付かないのか。
「保冷剤、いつも持ち歩いてるわけ?」
「まぁね。どっかの誰かさんが毎日腫らしてくれるもんで。ほら、口切れてるから絆創膏くらい貼っておけば?」
保健室に通わなくなった私は常時、救急セットを携帯するようになった。
コンパクトにまとめられたサイズだから持ち運びがすごく楽で便利なんだ。もはや私の相棒って言ってもいいくらいに重宝している。
絆創膏ちゃん、ガーゼちゃん、消毒液ちゃん、みんな愛してるよ。ってね。
おかげで保健委員よりも怪我の治療に慣れちゃったよ、と自慢気に呟く。
しかし建内はさっきから何だか微妙な顔をしている。腹でも痛いのか?
「なんで、心配なんかするんだよ」
「……建内くん?」
投げられた言葉の意味を考えていると、建内は睨み付けるように視線を向けてきた。
「お前も殴りたいんだろ、俺のこと。復讐でも仕返しでも何でもすればいい。もう俺にはやり返せる力なんてない」
何にも残ってない。
そう言って膝に顔を埋めた建内は、正直見ていられなかった。
学校で居場所がなくなって、仲間だと思ってた人間から見放され、家庭の方でも大変なことになっているんだろう。
天罰が下ったのかもしれない。
遅かれ早かれ建内はこうなる運命で、これは仕方のないことなのかもしれない。
……だけど。
「殴られた痣って痛いんだよね。何回も経験あるからわかるよ」
建内に殴られたところは赤くなったり青くなったりしてジンジンと痛んだ。夜、お風呂に入った時もその箇所が染みて涙が出そうになった。
親に隠すのだって必死だったし、身体にはいつも生傷が絶えなかった。
「助けて欲しいのに、誰も助けてくれなかった。私は見て見ぬふりされるのが嫌だから建内くんを庇った」
教室で嫌がらせをされていても皆は知らんぷりだった。自分には関係ない、関わりたくないって顔で。
私みたいに建内にいじめられていた人は尚更嫌だったろう。他人を庇ったら自分への嫌がらせが酷くなるのは分かりきっていたから。
「私は、一人で怪我の治療をしてる時すごく寂しかったから今こうして手伝ってるだけ。別にそれだけだよ」
……自分でもクサイ台詞を言ってしまったと思う。
今更恥ずかしくなってきたが時すでに遅し。訂正したら余計に照れ臭い。
頬が少しずつ火照ってきたのがわかる。
何気なく建内に視線を移すと、こっちも気まずそうに顔を赤らめていた。くそ、言わなきゃ良かったか。
あ、だけど1つ重要な事を言い忘れていた。
「でも建内くんのやった事は今でも覚えてるし、許さないよ」
「……ごめん。悪かった」
「そうだよ。ごめんって謝ってくれて………………ごめん?」
はて、空耳か幻聴かそれとも難聴にでもなったか。
そろーっと顔を上げると建内はやけに潤んだ熱っぽい瞳で私を見ていた。から、ばっちり目が合ってしまった。
正直気色が悪い。うわっ、と言いそうになったのを慌てて飲み込んで問いかける。
「あの……何か言った?」
「ごめん、悪かった。今まで嫌がらせとか……殴ったりとか」
空耳でも幻聴でも、ましてや難聴にもなっていなかったらしい。
あの、あの建内蓮から直接「ごめん」という言葉を聞くなんて。怖い、恐ろしい、有り得ない。
しかも雰囲気から察するに、こいつは本気で私に謝っているっぽい。目がマジだ。
私はいつも調子に乗りながら適当に謝罪している建内しか知らないんだが。
なんだこれは夢か?
一応、念のため頬をつねってみる。
「っい、いったああっ!」
いたい、いたい、いたい、いたい。
何という不覚。まだ痣が消えていないのを忘れて思いっきりつねってしまった。
唇を噛み締め、涙目になって頬を押さえていると視線を感じた。
「……大丈夫?」
「うん、平気。たぶん」
いよいよヤバい。生まれて初めて建内から真剣に心配されてしまった。
貴重な体験をしたけど、私明日から生きていけるかな。
「い、今さら謝られても無理。顔の傷とか残ってるのもあるし、それとこれとは話が別だよ」
「っ、俺が責任取る」
「慰謝料とかそんなの要らないし」
「ちげぇよ!ていうかもう俺んちそんなの払う余裕ない」
じゃあ何だって言うんだ。
話の噛み合わなさにムッとした瞬間、ポケットに入れていた携帯が鳴った。
このメロディは電話だ。ディスプレイを見るとその相手は母だった。
ちょっとごめんと建内に断り、電話に出る。
「もしもし」
「あぁ櫻、あんた今どこよ?」
「学校だけどもう帰るとこ」
「そう、なら丁度よかった。帰りに牛乳買ってきてよ。今夜シチュー作るんだけど肝心の牛乳だけ忘れちゃってさー…」
「はいはい、わかったわかった!いつものでいいんでしょ。じゃあね」
まだ喋っている最中だが通話を切って、軽くため息を吐く。
用件だけ言えばいいのに、母の電話はいつもいつも長いったらない。だから毎回こっちの方でさっさと切ってやる。
そうだ、もうこんな時間になっていたんだ。辺りを見回すともう暗く、空はすっかりオレンジ色に染まっていた。
そのままついでに携帯で時間を確認する。
しまった、すでに4時を回っていた。
うん、帰ろう。少し無駄話をし過ぎたかもしれない。
よく考えると何が悲しくて建内と二人きりでいなきゃいけないんだって話だ。
治療も終わったし、これ以上私がここに残っている必要はない。いじめられっこはさっさと退散しよう。
「じゃあ私は行くから。頬っぺた、明日は特に腫れると思うから家に帰っても冷やしておくといいよ」
「あ、待てって!俺も帰る」
「そう。じゃあね」
「……だから、そうじゃなくて一緒に帰ろうって言ってんの」
は?寝惚けてんのかこいつ。
悪い冗談も大概にしてほしい。いつから私と建内は気軽に下校を共にする関係になった?
なってないよね。ていうかなりたくないよね。
自分をいじめていた相手と2人で帰るなんて絶対に嫌だ。何が何でも嫌だ。
途中で耐えきれなくなって道端で倒れるかもしれない。
「うち、今日の夕飯シチューだから牛乳買っていかなきゃなの。急がないと牛乳売り切れるから無理なの。それじゃ!」
「は?牛乳?……あっ、おい大高!」
建内が追ってくる前に全力でダッシュする。
いくら体育の成績5の建内だって今は怪我人だ。走って追って来れるはずがない。
でも牛乳が売り切れるわけないだろって思われてるよね。ちょっと苦しい言い訳だったけど、まぁいいや。
走って走って、息が切れた頃後ろを振り返るとやっぱり追ってきていなかった。
あぁ、なんか疲れたな。
今日は一度も殴られたり蹴られたりしていないのに、どうしてか普段の倍疲れた。
建内もこれから色々と大変だろうけど、私には関係ないからどうでもいい。
それにたぶん、明日からは嫌がらせが少しはマシになっているだろう。
だが今後、出来ることなら二度と建内とは関わりたくない。
心からそう願って、帰路に就いた。