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氷河期

作者: 笛伊豆

 俺は手にした槍を握りしめ、口元に持ってきて息を吹きかけた。

 愛用の槍は氷の塊のようだった。手の平がかじかんで、ほとんど感覚がない。

 これではいざというときに力をこめられそうにないが、それでもこの槍は残った最後の武器なのだ。手放すわけにはいかない。

 氷河期だと言われている。俺の幼い頃は、確かにもっと暖かだったような気がするし、その頃の狩人はもっと楽に獲物を捉えていたという。

 だが、俺が一人前になって、狩に出るようになったときには、もう氷河期が定着してしまっていた。

 ちょっと前までは有効だったような武器は、もう全然通用しない。

 獲物は、氷河期のせいで少なくなり、残ったものも前よりはるかにすばしこく、賢くなった。

 でも、狩人の方はそうはいかない。

 弓矢はとっくに凍りついて折れてしまったし、石のナイフはサーベルタイガーから逃げているうちになくしてしまった。どちみち、あのずんぐりしたナイフは凍りついて掴めないから、この槍に頼るしかないのだ。

 しかし、獲物をしとめることが出来るだろうか?

 マンモスとかサーベルタイガーなどという大物は、俺は最初から狙っていなかった。

 ああいうのをしとめることが出来るのは、狩人の家に生まれて小さい頃から狩人として育てられた奴か、あるいはよほど腕がたつ奴だけだ。

 俺だって、そんなに不器用な方じゃないが、いい師匠について狩りを習ったわけでもないし、親類に腕のたつのがいるわけでもないので、一流の獲物をしとめるなんてことは無理なのは判っていた。

 それに、へたに大物をしとめてしまうと、あとが期待されて大変だと聞いたこともある。まあ、一度認められてしまえば、先輩の狩人についてゆけばいいだけだから簡単だという話も聞くけど、やはりずっと大物狙いで通すというのはそんなに楽ではあるまい。

 だから俺は、最初から大物狙いの奴が見向きもしないような小物を狙っている。

 といっても、さすがにネズミとかモグラなんていうのはプライドが許さない。 もっとも、あれはあれで、ネズミ専門の狩人になっていつかはマンモス狩を越えてやるなんて公言している奴もいて、人それぞれだからやる奴はやればいいのだけれど、やはりネズミ専門で一生やるというのは、これはマンモス専門より厳しいのではないかと思う。

 大体、世間的な評価でも、ネズミ専門でのし上がればそれなりに尊敬はされるけど、やはりかなり汚い手を使うとかしなければ、そこまでいけないと聞いたことがあるし・・・。

 だから、俺が狙っているのは手ごろな穴熊とかイタチとかのたぐいだった。

 これなら、肉は少なくても毛皮が良いとか、毛皮は並だが比較的つかまえやすいとか色々利点があるし、第一戦っても危険が少ない。

 狩人として尊敬されることもないし、いつも腹いっぱいというわけにもいかないだろうが、まあ安定していて、俺は狩りではなく花を愛でたり壁画に時間を費やしたいのだ、イタチ狩はそのための手段さなどと言っていればそれなりにカッコがつくのでないかと思うのだ。

 というわけで、俺はここ数日穴熊を追っていた。

 穴熊は、ひぐまのように冬眠しないので見つけやすい。それにやはりこの寒さで動作が鈍っていて、つけ込み易い相手だ。

 だが、つけ込み易いといってもそれは大物に比べてであって、こういう経験のほとんどない俺にとっては結構めんどくさい相手だった。

 もう数匹に逃げられている。

 いつも結構いいところまではいくのだが、最後の瞬間に穴に逃げ込まれたり、いっしょに狩に出た奴がちょっとの差でしとめたりで、どうしても俺には回ってこない。

 最初は穴熊くらいと思っていたのだが、案外難しいのでいささかあせりが出ているのかもしれない。そのあせりが態度に出て、ますます獲物を逃がし易くなっている。

 それは判っているのだが。

 ともあれ、今追っている獲物は、もうほとんど手中にある。

 最初に狙った奴と違って、ほんのひと抱えくらいの大きさしかない穴熊だが、獲物は獲物だ。しとめさえすれば、俺も認められるし、仲間にも一応狩人としてはばが効くようになる。

 だから、俺はかじかんだ手に槍を握りしめて、慎重の上にも慎重に、獲物を追っているのだ。

 俺はまた、ゆっくりと移動を開始した。

 もうすぐだ。目の前にいる。

 この先は行き止まりだ。ついにやった。

 と、次の瞬間、穴熊はするっと穴に逃げ込んだ。

 あんなところに穴が?!

 どうしてだ? あんなに手ごたえを感じていたのに?

 どうしてなんだ?

 なぜなんだ?

 どうして。

 ドウシテ?


 僕は、呆然と手の中の紙きれを見つめていた。

あんなに手ごたえがあったはずの、最初の目標だった会社から数ランクも落としたところからの、採用通知。

 いや、採用通知だったはずの速達には、無意味でお決まりの時候の挨拶の次に「残念ながら」で始まる、見慣れた文章が並んでいる。

 十中八九、大丈夫だったはずの、あの会社にまで。

 俺は、リクルートスーツに身を包んだまま、空を振り仰いだ。

 雲ひとつない青空。もう秋だというのに、一向に暑さがおさまらない。

 だが、この就職氷河期の中、僕は手の平の中に、凍りつくような虚しさを感じていた。

         (END)


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