幽霊
男は殺された。
その恨みから男は幽霊となる。
俺は今まで普通に生きてきた。それなりに頭も良く、性格も悪くないだろう。貯金も歳の割にあった額で、容姿も10人いれば3人は褒めてくれる程度、取り立てて何が得意とも苦手ということもなかった。
だから、俺があの男に殺された時もその理由が思いつかなかったし、理不尽だと思った。恨みという感情をその男に抱いたのも当然のことなのだろう。
俺がまだ生きていたとき、ホラーやオカルトの類はまったく信じていなかったし、幽霊が存在するなんて言う奴らは、頭のおかしい人間かペテン師なのだと決めつけていた。
しかし、正直に言って驚いた。最初は真っ暗だったが、次第に周りがぼんやりとわかるようになってくる。そして気がついたときには、眠ったように死んでいる自分の上で宙に浮いていたのだ。
ホラーやオカルトなど信じていないと先ほど言ったが、別に嫌っていたわけではなかったので、生きていたときにはそれなりにそういった娯楽についても触れてきた。
こうして幽霊になった今思えば、恨みを持って死んだ人間が怨霊となるという説も嘘ではなかったのか。
まあいい。このぶんではきっと天国やあの世というものも実際にあるに違いない。そしてそこに辿りつけるなら、生まれ変わって新しい人生を歩むことになるはずだ。
今俺がやるべきことはただ一つ。どうにかしてあの男に復讐し、この恨みをはらすことだけだ。
幽霊というのも悪くはない。ある程度までならば自由に飛ぶこともできるし、物に触れないから壁だってすり抜けることができる。どうやら生きている人間たちには俺のことが見えないらしいので、男の夢をいくつか叶えさせてもらった。まあ触ることができないのが少し残念ではあったが。
いつでも成仏できるのだ。楽しむだけ楽しむのも俺の自由だ。
そんなことをしているうちに、忘れることのできない顔を見つけた。あの男だ。俺を殺してのうのうと生きていやがる。この世で楽しむのは終わりだ。あの男への恨みをはらしてさっさと新しい人生で楽しむことに決める。
男がこっちを見た。驚いた顔をしていやがる。しかし、俺も驚いた。今まで誰にも見えていなかったようなのに、あの男には俺のことがわかるらしい。これも恨みをはらすために神様か誰かが用意したステージなのだろうか。ますます先程の推測が確信に移る。あの男への恨みをはらすことで俺は成仏できる。
急いで逃げていった男を追っていく。男は人ごみを掻き分けて。俺は人ごみをすり抜けて。どちらが速いかは言うまでもない。いつでも追いつくことはできたが、必死に逃げる男が面白く、しばらく遊んでやることに決めた。
男はボロいアパートの一室に逃げ込んだ。どうやらここはあの男の部屋のようだ。鬼ごっこは終わりだ。恨みをはらすことにしよう。俺は扉をすり抜けた。
男が慌てふためいた表情で俺に土下座をしている。どうやら俺に命乞いをしているらしい。馬鹿が。俺を殺しておいてぬくぬく生きていけると思うなよ。
しかし、俺には疑問があった。なぜこの男は俺を殺したのか。理由を聞いておかないと、気持ちよく成仏できそうにない。だから、俺はその男に質問をした。いや、質問をしたつもりだった。
そこで俺は声が出ないことに気づいた。
考えてもみろ。何も触れないということは、声も出すことができないということだ。音というのは空気の振動によって伝わるものだからな。今の俺には空気にすら触ることができない。いや待てよ。本当に何も触れないのなら何も見ることさえ出来ないのではないか。しかし、実際にこうして見えているーーいや見えていない。なんだこの感覚は。見えるというよりも『わかる』というべきなのか。
もういい。疑問を解決することできないのは残念だが、この男にはとにかく死んでもらうことにする。しかし、また俺は気づいてしまった。
どうやってこの男を殺せばいいんだ?
祈る。死ねと。無意味だった。首をしめてやろう。だめだ触れない。どうすればいいのか。こんなこと聞いていない。神様、俺はどうすればこの男を殺すことができるのでしょうか。
最終的に男は俺が何も出来ないことに気づいた。
それからはその男は普通に生きた。ひと月もすれば俺のことなど視界にも入っていないようだった。俺もどうにか殺してやろうとするのだが、どうにも殺す方法が思いつかない。
それから、何年も経ったあと男は死んだ。俺が殺したわけじゃない。ただの交通事故だ。
俺はいったいどうしたらいい。もう恨みをはらす方法はない。しかし、恨みが消えることもない。
俺は成仏できるのだろうか。
うーむ。