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「ーーふん、忌々しい」


 ふと聞こえた声にウィリアムは顔を上げる。


 荘厳な王宮のホールに響き渡ったラッパの音はこの国の幼い王女の誕生を祝う式典が始まる知らせだ。


 入場してきたのは輝く金の髪の少女だ。

 プリンセスラインの可憐なドレスを纏った幼い少女は人目を浴びることに慣れた様子で堂々と胸を張って歩いている。

 小さな彼女はこの国の王女であり、今日の主役だ。


 まさしく王女の風格を見せつけながら歩く彼女のをエスコートして歩くのは、彼女に見劣りしない美少年。

 堂々と歩く王女とは違って緊張した面持ちをしているも、それが初々しい愛らしさを見せていた。

 それでも彼の輝きと凛々しさはまるで損なわれていない。


「ダルタンシアめ、上手くやりおって」


 父の呟きにぼうっと姫と少年に見惚れていた幼いウィリアムは急に冷や水を浴びせられたような気持ちになって恐縮した。


 そんな幼いウィリアムの中にいる大人のウィリアムはこの時の父親と同じ忌々しい気持ちに満ちていた。


 思い出すまでもない。

 この式典で王国でたったひとりの姫君であるセリーヌとダルタンシア侯爵家の次男リオネルが婚約を結ぶと発表があった。

 ウィリアムにとって特別なのはその時に初めて彼の名前がリオネルなのだと知ったこと。

 そして王女の婚約者となった彼はウィリアムの父にとって敵に、ひいてはウィリアムの敵になってしまったということ。


 背中をさすってくれた温もりが、寄り添ってくれた温もりが急速に冷える。

 栓が抜けたように心の奥で大事にしていたものがこぼれ落ちていく。

 幼いウィリアムが見上げていた父から改めて国王に紹介されているセリーヌ姫とリオネルへと視線を向けた。


 変わらず眩しく見えるリオネル・ダルタンシアという少年はまるで手の届かない星のようだった。




 場面が変わる。


 目を閉じて、次に開いた時にウィリアムがいた場所は王宮の中庭だった。

 隣には上品に笑う貴婦人がいて、その顔に苦々しいものを感じながらも夢の中のウィリアムは本心を隠して笑顔で応対している。


 その貴婦人は内政を担う大臣の妻である貴族夫人で、ウィリアムに熱を上げている女でもあった。

 子供の頃から幾分成長をした少年と青年の中間期であるウィリアムは彼女を相手に初めての操を散らして以来、父に言われるがまま男娼のように接待をさせられている。


 と、その彼女の向こう側でドレスの裾をヒラヒラと翻しながらひとりの少女が駆けた。

 その後を追う人の姿を認めて、ウィリアムは呼吸を一瞬止める。


「あら」


 貴婦人がウィリアムの視線を辿って、声を上げた。


「王女殿下にダルタンシア侯爵令息じゃない」


 セリーヌ姫を捕まえてしきりに説得しているリオネルに対して、セリーヌ姫は苛立ちに顔を歪める。


 どうやらまたセリーヌ姫が癇癪を起こして勉強の時間から抜け出したのだろう。

 貴婦人もそれを察したのか面白おかしく二人を眺めている。


 やがてセリーヌ姫が片手を振り上げてリオネルの頬を平手で打った。

 それでもリオネルは一歩も退かずに懸命に説得を試みている。

 そんなリオネルを置いてセリーヌ姫が足早に歩き出す。

 リオネルも彼女を小走りで追いかける。


「子守りも大変ねえ」


 喉を鳴らして笑う貴婦人の瞳が猛禽類のようにリオネルの背中を見定めていた。


 その瞳にウィリアムは咄嗟に彼女の腕を引き、甘えた顔で彼女に顔を近づける。

 貴婦人がほんの少し面食らったような顔をしてが、満更ではなさそうにウィリアムの頬を撫でる。

 頬を撫でられる感覚にぞわりとした嫌悪感が滲んだが、それでも甘える顔を崩さずにウィリアムは彼女に擦り寄った。


 父の言いつけだから、ではない。

 ただ彼女に眩い星が穢されたくなかったのだ。



 ・ ・ ・ ・ ・



 うとうととまどろんでいた意識がふと覚醒する。


 辺りは暗闇に包まれている。

 どうやら夜らしい。

 月明かりだけが差し込む部屋には自分ひとりだけのようだった。


 クロはどこに行ったのだろう。

 ベッドの上から狭い小屋の中を見回したウィリアムは結局クロの姿を探すことを諦めて深くため息をついて天井を睨みつけた。


 梟だろうか。ホウ、ホウと夜闇に響く声は少し寂しく響いている。


 暗闇の中でまぶたを落としても妙に冴えて眠気は訪れない。

 それでもまぶたを落としたままでいると、頭に巡ったのは夢のこと。


 最近、やけにリオネル・ダルタンシアのことを夢に見る。

 ここに連れて来られる直前に触れたものが彼だったせいだろうか。

 手のひらにこびりついたかすかなぬくもりはいまだに拭えない。


 もう終わったことだ。終わったことなのだ。


 それなのに。


 深く呼吸が漏れる音が嘆きの音をしている。

 彼が自分をどう思っているかなど、知っている。


 軽薄で甘い言葉で人を惑わして渡り歩く悪漢。

 人を人と思わずに使い捨てる人でなし。


 まさしくその通り。

 自分は公爵令息とは名ばかりの男娼だった。


 目的のためには誰にでも近づいて甘い言葉を囁き、時には体を使って籠絡して虜にし、そうして弱みを握ればそれを使って相手を思う通りにした。

 それでいいのだ。


 手の中に残った淡いぬくもりを剥がすように手のひらを擦りつける。


「…………リオネル…ダルタンシア……」


 囁く声が夜の静寂に溶ける。

 彼の名前を呟けば、彼の言葉が蘇る。


『俺は単にあなたが嫌いなだけです』


 胸を痛烈に突き刺す一言は、自分にとって一番欲しかった言葉。

 ウィリアムは口元を小さく綻ばせ、短く息を吐く。


「…………僕も大っ嫌いだ、君のこと」

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