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目が覚める。
気分は最悪だ。
よりにもよってあの時のことを夢に見るだなんて。
おかげでずっと頭の片隅に追いやっていたあの温もりを鮮明に思い出してしまった。
なんて腹立たしい。自分が自分で嫌になる。
「…………最悪」
これは忘れるべきものだとウィリアムは理解している。
手放すべきだと、手放したいのだと思っている。
でも、
「……………」
手のひらを自分の眼前にかざす。
そこには風前の灯となった命のか弱い体温が張り付いている。
握りつぶそうにも今、自分の手のひらは軽く握るだけが精一杯でこの張り付いた体温を掻き消すにはまるで足りなかった。
ふと扉が開く音がする。
クロだ。見なくてもわかる。
ウィリアムは手を下ろすと彼から視線を背けるように首を軽く傾けた。
クロは相変わらず気を悪くした様子はない。
ウィリアムの傍らに寄ると椅子に腰掛けて静かに声をかけてくる。
「気分はどうだ」
ウィリアムは無言を貫く。
いつものことだ。クロも何も言わずにじっとウィリアムを眺める。
「…………君、さ」
その視線に居心地が悪くなって、先に根負けしたウィリアムが口を開くところもいつもと同じ。
「前に言ったね、僕に惚れたから世話しているって」
クロは何も言わない。無言でウィリアムに続きを促すばかりだ。
「……僕を抱いてみたいって思わない?」
ウィリアムは蠱惑的に笑むと彼の膝に手を置く。
娼婦のようにそっと彼の足を撫でながら、黒の顔を見上げた。
クロの顔色はまるで変わらない。
いつもの凪いだ無表情。
彼の感情に何のさざ波も立っていないことに苛立ちを覚えたが、ウィリアムはその感情をおくびにも出さずに彼の足を撫でる手を進める。
「何もない、刺激もない生活に飽き飽きしてるんだ。ねえ……相手をしておくれよ」
掠れた自分の声がどれほどに色っぽいかはよく知っている。
ねだるようににんまり微笑む自分の顔が麗しいかを知っている。
こうやってウィリアムが誘えば、男だろうが女だろうが大抵がこの美貌に堕ちてウィリアムのことを貪った。
そうして今度は知ったウィリアムの体の味に溺れるのだ。
「クロ……」
涙で潤み、甘く切なげに見上げるウィリアムの瞳をクロが見返す。
静かに凪ぐすました顔は相変わらずだけれど、彼の手がそっと動いて膝に乗せられたウィリアムの手に重なった。
男同士だというのに彼の手のひらはウィリアムの手のひらをすっぽり覆うほどに大きくて厚く固い。
きゅ、と軽く手を握るクロをウィリアムはジッと見上げる。
この男も堕ちたな、と期待をするような微笑みの裏側で意地悪く笑った。
が、
「……お前の怪我が完治したらな」
クロは意外にもあっさりとウィリアムの手をベッドの上へと戻した。
ウィリアムはまず拍子抜けし、それから何だか馬鹿にされたような気持ちになって意地になる。
「……してくれないの?」
もう一度甘く蠱惑的に誘う。今度は憐れみを誘うように裏切られたような顔をしてみせた。
クロの表情は変わらない。
すました顔に苛立ちがますます募る。
「……もしかして使えないのか?」
苛立ちが棘になって滑り落ちた。
「言っただろう。俺はもう老犬だ」
それすらもクロは淡々と受け流す。
「それに獣人は人より寿命が長く体の強い分、繁殖欲は人間よりずっと落ちる」
「ああ、そう」
「恥をかかせて悪かったな」
彼の言葉に自分の希望が叶わないことを知ったウィリアムが誘惑の顔を消して憮然と言えば、クロが珍しく謝った。
ウィリアムは何も言わずに思い出したくもない温もりが蘇った手のひらを握りしめる。
あの優しい温もりはやはり張り付いたまま消えてくれない。
と、ふとクロが何を思ったのかウィリアムが握りしめていた手のひらをこじ開け、その手をしっかりと繋ぐように握り込んだ。
張り付いた温もりを上書きするような手のひらの熱に驚いて手を引こうとしたが、クロはその手を離してくれなかった。
「急に何だ」
問うが答えは返らない。
彼はただじっと繋いだ手を見つめ、沈黙していた。
相変わらず凪いだ瞳が気に食わない。
「何だよ、離せよ。しないなら用はないんだよ」
棘を込めた口調で責め、握り込める手のひらから逃れようと試みるが、クロはやはり手を離してくれない。
「離せよ! 気持ち悪い!」
ついに直接的な罵倒を浴びせる。
その言葉にクロはようやく黒曜石の瞳をウィリアムへと向けた。
真っ直ぐと自分を映す感情が透明な瞳に映されると居心地が悪い。
奥歯を噛んでその瞳をにらみ返せば、クロはやがて静かにまぶたを落とすとそっとウィリアムから手を離した。
「ーー……何かあればすぐに呼べ」
「退屈を紛らわすこともできない役立たずを呼んでどうするんだ?」
「そばにいることくらいはできる」
嘲るウィリアムにクロは短くそう答えた。
その答えをウィリアムは鼻で笑って一蹴する。
「役立たずをそばに置くだなんて冗談じゃない。邪魔になるだけじゃないか」
ウィリアムの言葉を聞いてもクロは表情をひとつ変えることはない。
いつもの凪の瞳のまま席を立ち、ウィリアムの前から立ち去る。
残ったのは静寂だけだ。
小屋にひとり取り残されたウィリアムは舌打ちをし、奥歯を噛んだ。




