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2


 次に目が覚めた時、まず聴こえたのは小鳥の囀りだった。


 どうやらあの後、また気を失うように眠りに落ちて朝を迎えたらしい。

 まぶたを開けば小屋の真ん中の椅子にあの獣人の男が座ってシャリシャリとリンゴの皮を剥いていた。

 声をかけるのも癪でじとりと彼を見つめていれば、彼は昨夜のようにすぐにこちらの視線に気がついてこちらを振り返る。


「目が覚めたか」


 昨夜と同じ平坦で静かな声。同じ短い言葉を吐いて一瞥だけくれた彼はリンゴを剥く作業に戻る。


「……お前は何者だ」


 彼は剥いていたリンゴを綺麗に切り分けると、今度は木皿の中ですり潰し始める。


「…………名は……」


 リンゴをすり潰しながら告げる獣人の男が逡巡するように沈黙した。


「……………クロ」

「はっ、犬みたいな名前。可愛いわんちゃんみたいにクロちゃんって呼んであげようか?」

「好きに呼べばいい」


 わざと小馬鹿にするように言ったのに、彼は淡々とそう応えた。

 反応が芳しくなくて相変わらず癪に障る。


「で、クロちゃん? お前は僕に恩を売って何がしたいわけ? 泣いて感謝でもすれば満足するのかな?」


 その問いには答えは返らない。

 彼はただリンゴをすり潰すばかりだ。


「……ここはどの辺りなんだい?」

「ドラゴニア辺境領とルディアーノ領の堺」

「なんだ、大してあの辺境領から離れているわけではないのか。まあ、そうじゃないかとは思っていたけれどね」


 クロの言葉へ小馬鹿にするように笑いながら返す。


「でも、ならなおさら僕を助けるだなんて馬鹿のすることだ。何せ僕は辺境伯の夫を殺そうとして追放処分を受けた身だからね。いやあんな場所で放置されたのは実質魔物の餌という処刑だ。そんな男を匿うだなんて辺境伯に知れたらどうなるかな。連座で処刑されるかもよ」

「俺の知る限り、ドラゴニア辺境伯の興味はこの地の守護だけだ。近づきさえしなければ追放処分した者のその後など気にしない」

「へえ、まるで彼女を知ってる口振り。知り合いなのかな?」

「今代は知らん。だが竜の気質はそう変わらん」


 竜、という単語に思わず眉が寄る。

 どうやらクロは自分の知らない辺境伯の秘密を知っているようだ。


「………本当にお前は何者だ?」


 改めて問う。

 リンゴをすり潰し終えたクロが皿を持ってそばにやってきた。

 凪いだ黒曜石の瞳を睨むように見返すが、相変わらず彼の感情は読めなかった。


「ただ長生きしている老犬だ」

「老犬、ね。全然そうは見えないけど?」

「獣人は人より寿命が長い」


 彼は端的に答えるとこちらの体を昨日のようにゆっくりと起こした。

 そうしてすり潰したリンゴを乗せた木匙を差し出す。


「食え」


 言われて口を開いてやるほど素直ではない。

 真一文字に口を閉じて少し頭を後ろに引けば、クロは小さくため息をついてこう告げた。


「昨夜のように強引に食べさせられたいか?」

「善意を素直に受け取るのは馬鹿のすることだ。お前の下心が見えない以上、下手に受け取りたくないんでね」

「…………………なるほど」


 答えれば、彼は淡々と頷いた。


「なら、お前に惚れたということにしておけ」

「はあ? ボロ切れのような今の僕にか?」

「そうだ」


 怪訝に眉をひそめれば、彼は真っ直ぐと自分を見据えて頷いた。

 相変わらず感情の凪いだ黒曜石のような瞳のくせに、今はその瞳に見据えられると何も言えなくなってウィリアムは言葉を失くす。


 ややあって沈黙を破るように渋々と口を開けばリンゴを乗せた木匙をそっと差し込まれた。

 多少は甘いが酸味が目立つまずいリンゴだ。


「は。よくもまあ、こんなひどい食事を惚れた相手に食わせられるな」


 そう悪態をつくが、彼は相変わらず無言のまま作業のように次のリンゴをすくっていた。



 ・ ・ ・ ・ ・



 あれから何もない平坦な日々が続く。

 クロはとても無口な男だが、甲斐甲斐しくウィリアムの世話を焼く。


 彼は薬師の知識があるのか、日々薬草を手に入れては怪我の手当てをしてくれる。

 人里離れた僻地に住んでいるくせに貧民のさもしい食事ではあるものの、三食出してくれる。

 夜に悪夢にうなされればすぐに飛んできて、そっとそばに寄り添った。

 体が動かせずに眠るだけの日々に退屈を覚えて無茶をねだれば、彼は隣で無口なりに話し相手になった。


 貧しいくせにその中でできる限り甘やかすように世話を焼く善意を気持ち悪く感じる。

 惚れたからと彼は言っていたが、それもどうかも怪しい。

 なぜなら、


「…………君はさ、惚れた相手の名前も聞かないわけ?」


 暖炉脇に薪を運ぶクロへとそう言葉を投げかける。


 そう、彼はウィリアムの名前や素性を聞くようなことは一切しない。

 見知らぬ他人と共に生活していれば多少の詮索はするものだが、彼は本当にただウィリアムの世話をするだけなのだ。


 だからこそ、気持ち悪い。

 彼は実家の回し者なのかもしれない。そうでなくとも誰かから自分の世話をするように雇われた誰か。

 自分の知らないところで自分の情報を与えられた何者かと、そう思えるから気を許しにくい。


 そもウィリアムは相手が誰だろうと気を許すつもりなどはまるでないが。


「………尋ねてもいいのなら聞くが」


 クロは薪を重ねながらそう告げる。

 彼の言葉にウィリアムは眉をひそめる。


「今のところ、尋ねる必要はなかったから聞かなかった。お前は詮索を厭うだろう」

「だからって名前すら聞かないのは僕に興味がなさすぎじゃないかな」

「そうか。そうだな……」


 呆れながら告げれば、彼は思い直したように頷いた。

 黒曜石の瞳がウィリアムを捉える。

 相変わらず凪いでいた。


「お前の名は?」

「………必要ないんだろう? 教えたくないね」

「そうか」


 手のひらを返すように告げたウィリアムに、彼はやはり気を悪くすることなく頷いた。


 やっぱり興味なんてないんじゃないか。


 さっさと背を向けて小屋を出るクロの背中を睨みつけるが、彼は振り返ることはなかった。

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