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 ふと目が覚めて薄く目を開ける。

 すると質素な木造の天井が目に飛び込んできた。


 見慣れない場所に首を動かして視線を巡らそうとして、体がズキリと痛んで呻き声が漏れた。

 痛みで何があったかを思い出す。


 そうだ。確か自分はあの後辺境領を追放になり領境に捨てられた。

 その後魔獣に襲われ、逃げ切れることができずに死んでいたはずだ。


 そのはずなのに。


 ズキズキと痛む体にはどうやら包帯が巻かれ、きちんと手当てがしてある。


 耳に聴こえるのはパチパチと火の爆ぜる音。

 この場所に漂っているのは素朴な食事の匂い。


 誰かがいるのかと痛みを堪えながら首を巡らせば、ワンルームの粗末な小屋の炊事場で体格が良く背の高い誰かが食事を作っているのが見えた。

 目につくのは黒髪から伸びるピンと伸びる三角の耳。そして彼の長い足の中ほどまであるフサフサの大きな尻尾だった。


 獣人、という単語が脳裏に浮かぶ。

 声もなく食事を作っている獣人の男の背を見つめ続けていれば、獣人がふとウィリアムの視線に気がついてこちらを振り返った。


 褐色の肌に野生味溢れる癖毛の黒髪。瞳は切れ長で鋭いがとても静かに凪いでおり、色は瑕のひとつもない艶々の黒曜石に似ていた。

 彼はこちらと目が合うと一度こちらに背を向け、食事を木製の皿によそうとノシノシと足音を立てながらこちらにやってきた。


「目が覚めたか」


 彼は短く端的に言葉を落とす。

 深みのある静かな声音だった。

 彼のことを警戒して声を出さず、ジッと見上げていれば彼は食事をサイドテーブルに置いて、こちらの首の下に腕を差し入れてそっと起き上がるのを介助する。


「っ………!」


 動かされた体がズキリと痛んで顔が歪む。

 獣人の男が静かに「我慢しろ」とだけ告げ、こちらの体を支えたまま背を壁に預けられるように位置を調整し、ゆっくりと置く。


 寝ていた状態よりも上半身が起きた状態になればこの場所のことがより見える。

 ここは粗末な山小屋のようだった。

 傍らに薪が小さな山を作っている小さな暖炉には火が入り、オレンジの光が辺りを照らす。

 一人分の小さなテーブルと椅子が置いてあるのが見え、カーテンのない窓の外は暗くて、今の時間帯が夜なのだと知れた。

 小屋の出入り口なのだろう。扉の近くには斧が置いてあり、彼が木こりのような職についていることが伺えた。


「食べろ」


 小屋の中を観察していれば、また端的な言葉が聞こえた。

 ウィリアムが見れば、木匙に食事をすくった獣人がこちらに向けて差し出している。

 パン粥だろうか。どろりとした柔らかい食事は上等のものには思えなかった。

 小屋の様子と食事のグレードからして経済状況があまり良くないと見える。


「…………僕に恩を売って何が目的だ?」


 わざと鼻を鳴らして嘲笑い、好意を踏み躙る。


「もしかして僕を助ければ謝礼でももらえると期待している? それなら残念だったね。僕はベルフェゴル公爵家から縁を切られる身……貴族ではなくなる。謝礼なんて出るはずもない。それとも逆にベルフェゴル公爵家に仇なす者か? ベルフェゴル公爵家の汚点となった僕を生かし、証人にでもさせるつもりかい?」


 獣人の男は何も言わない。

 木匙を差し出したまま、ただ沈黙している。

 こちらの言葉に何一つ揺れることなく凪いだ黒曜石のような瞳はまるで考えを読ませずに苛立ちを覚えた。


「残念だけれど僕は他人を思い通りにするのは好きでもその逆は嫌いな……っ」


 と、不意に喋っている途中で木匙を口に突っ込まれた。

 思わず咽せ、木匙が抜かれた途端に質素な味付けのパン粥を吐き捨ててやる。

 べちゃ、とパン粥は床に落ちて無惨な塊となった。


「……っ、無礼な男だな。なんだ、無理にでも食べさせたいだなんて、毒か何かでも入っているのか? そうでなくともそんな卑しい食事を口にするくらいなら死んだ方がマシだね……!」


 苛立ちに任せて酷い言葉を言ってやるが、獣人の男はただシーツに吐き捨てられたパン粥を一瞥し、その後また新たに皿からパン粥をすくった。

 その木匙をまた懲りずに突っ込むのかと思えば彼は無言で自分の口に運ぶ。


 毒味のつもりだろうか。

 害意はないと示すようにそれを飲み込んだ後、また改めてパン粥をすくってこちらの口元へと突き出した。


 それでも食べるつもりはない。

 口元を引き結んでギッと彼の顔を睨みつければ、やがて獣人の男はは小さなため息をつくとこちらの口元に差し出していた木匙を自分の口に運んだ。

 そして、


「っ………!?」


 こちらの引き結んだ口元に食らいつくように口付ける。


 驚いて目を見開けば、後頭部を押さえつけられた上に鼻をつままれて呼吸を阻まれた。

 突然のことに彼の体を押し除けようとしたが、体を少しでも動かした瞬間に痛みが駆け巡り喉が呻いた。

 痛みが駆け巡った瞬間は奥歯を噛んだが、直後に若干緩んだ唇を獣人の男は見逃さない。


「っ、ん……ふ、ん……っ!」


 獣人の男の舌が伸びる。

 粗末な味のパン粥が少しずつ押し流されるように口移しで受け渡され、それを飲み込むように舌で口内を掻き回される。

 呻く度に体中が痛み、喉の奥から悲鳴が漏れて暴れる。

 だが怪我をせずとも元からほっそりとした貧弱な体では獣人の男の膂力に敵うこともなく、蹂躙されるように口付けられる。

 そうして獣人の男が口に含んだだろうパン粥をすべて飲み込んだ頃、ようやく長い口付けから解放された。


「っ、は、なに、を……!」


 息切れしながらも獣人の男を睨むが、彼はどこ吹く風。こちらの様子にまるで構う様子もなく、また木匙にパン粥をすくっていた。


「どう食わされたい?」


 低く平坦な声音が脅すように問う。

 凪いだ黒曜石の瞳を睨み返しながら、逡巡。


 結局食べないという選択肢をとらせてもらえる気がしなくて、ウィリアムは自分の両腕を持ち上げようと試みる。

 だがズキリと痛むばかりで微塵も上がる気配がない。

 食事を独りで満足に摂ることもできない自分に苛立つ。


「……皿を……こっちに、よこせ」


 自身の無力さを突きつけられる苛立ちに絞り出すように言えば、獣人の男は訝しむように眉をひそめる。

 けれども彼はこちらが指示するようにそっとパン粥の入った木皿をウィリアムの膝に置く。


「……!」


 そのパン粥めがけてウィリアムは顔を突っ込む。

 犬のように手も使わず食べる姿は醜くて滑稽だったろう。

 正直腰を折り曲げて皿に顔を突っ込む姿勢も体中がビリビリと痛んで吐きそうだ。

 けれどもその無様な姿を見せたとしても、この男の、いや他人の手を借りるのは嫌だったのだ。


「……………クソまずい」


 鼻も口の周りもベタベタにして食事を終え、顔を上げてそう言ってやれば獣人の男は目をまん丸にして驚いた顔を浮かべていた。

 だが彼ははたと我に返るとサイドテーブルに置いてあった清潔な布巾を手にして丁寧にこちらの汚れた顔を拭う。


 その手つきが嫌に丁寧だから顔をしかめて頭を引く。

 でもその布巾は逃げる顔を追ってウィリアムの顔を丁寧に拭う。

 自分も強情で嫌な性格をしていることを自覚しているが、彼もずいぶんと頑固な性格をしているのが伺えた。


 彼はウィリアムの顔を綺麗にすると、木皿を膝から取り上げてパン粥がこぼれて汚れたボロ布のような掛布を取り去る。


「…………ぁ……」


 途端に露わになる自分の足を見て、思わず声が漏れた。


 右の足は膝から下がない。

 そう、そうだ。確か自分の足は魔獣に食いちぎられて。

 思い出せば途端に魔獣に食いつかれて体を振り回され、足が千切れた記憶を思い出してゾッとしたものが込み上げた。


 あの時の圧倒的な暴力に対してなす術もなく蹂躙される恐怖が、弱者でいることしかできない屈辱が体を震わせる。

 あの時を思い起こさせる傷を見たくなくてまぶたを閉じて呻けば、ふとばさりと自分の足に何かがかけられた。

 ハッと体を跳ねさせ、それが何かを確認しようとした時、大きくて優しいぬくもりがそっと顔を覆う自分を抱きしめた。


「ここは安全だ。お前を脅かすものは何もない」


 子供をあやすような声音に恐怖を忘れて代わりに羞恥心がカッと込み上げた。

 彼を怒鳴りつけてやろうかと顔を上げた時に獣人の男はぱ、と離れてさっさとこちらの体をベッドに寝かせてしまう。


「食べたのなら眠れ」

「おい……!」


 短く言って彼は膝にかけた布ーーおそらくは獣人の男の上着を肩まで掛けた後、食器と汚れたシーツを持って小屋を出ていく後ろ姿を呼び止めても、彼は振り返らなかった。


 おそらく井戸へ汚れたものを洗いに向かったのだろう。

 小屋の扉をくぐって彼が出ていけばパチパチと焚き火が爆ぜることしか聴こえない静寂に包まれる。

 小屋の扉を睨んでみたけれど、彼はしばらくの間戻ることはないだろう。


「なんなんだ、あいつは……っ」


 苛立ちを吐き捨てるように歯噛みする。

 結局彼が何者なのか。何がしたかったのかを一切聞くことができなかった。

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