10
クロを追って深い森に戻る。
鬱蒼とした暗い森に踏み入れた時、あれだけ大きいくせに黒い影のようなクロの姿を一瞬見失った。
は、と慌てて目を凝らせばいつの間にか人に戻ったクロの姿がある。
見慣れた獣人の姿を睨みつければ、クロは短く「悪かったな」と告げた。
「竜のいる、魔の濃い場所でなければこの姿がとれん」
「なんだ、それ」
「本性とは違う姿を取ることはそれだけ大きな力が必要になる」
「は、つまりお前はあっちの犬の姿が本来の姿ってことか」
「そうだ」
侮蔑たっぷりに言うウィリアムの言葉をクロはあっさりと肯定する。
相変わらず皮肉や嫌味をそのまま受け流す様には腹が立つ。
けれども今はそこを突くよりも問いたださなければならないことがある。
「クロ、お前は何故黙っていた。お前は僕のクロだったんだろう?」
クロの変わらない凪いだ瞳を見返し、ウィリアムは一歩詰め寄る。
「僕が幼い頃に飼っていた、あのクロなんだろう? どうしてそれを黙っていた」
そう詰め寄れば、クロは緩やかに軽く首を傾いだ。
とぼけるような仕草が妙に癪に障る。
ウィリアムは杖を投げ捨てるように手を離し、クロの胸ぐらを掴んで睨みつける。
「お前はクロだろう。僕のクロだった。だから僕を助けた。違うのか」
「あいにくと幼いお前と過ごした記憶はない」
「………は?」
「言っただろう、俺は老犬だ」
凪いだ瞳がウィリアムを真っ直ぐと映す。
「体の方はかくしゃくとしていても、記憶の方は老化が進んでいる。千年も過ごせば似たようなことは何度も起こり、いつ、何が起きていたのかも混同して曖昧だ。最近の出来事であれば特に」
「…… ……………は?」
クロの言葉にウィリアムは奈落に突き落とされたような感覚に言葉を失った。
ウィリアムを奈落に突き落としたくせに、クロは相変わらず変わらない凪の瞳を向けている。
「言っただろう、理由はないと」
「……なん、だ、それ」
声が震える。クロの無感情な瞳を見上げ、ウィリアムは震える指先に必死に力を込め、クロの胸ぐらを掴み続ける。
「なんだ、それ。理由がないなんて……そんなこと、あってたまるか。だってお前は僕のクロで……そうじゃなければ、僕を助けるなんて……っ」
訴えるように胸ぐらを揺すってもクロはびくともしない。
凪いだ瞳が平坦に自分を見返す様子に耐えきれず、苛立ちのままウィリアムはクロを押す。
けれどもクロを押したことで後ろに倒れたのは自分の方だ。
尻餅をつき、その鬱憤も込めるようにクロを睨みつける。
やはりクロは無感情な瞳でウィリアムを見下ろしていた。
その瞳に映されることがとても惨めに感じる。
指先に力がこもれば、ざりと土を引っ掻いて爪の間に土が入ってくる不愉快な感覚がした。
「ふざけるな……ふざけるなよ、お前は僕のクロだ」
「……お前がそう言うのなら、そうなのだろうな」
まるで他人事のような平坦な声音に苛立つ。
なんとか彼に詰め寄ってやろうと立ちあがろうとして上手くいかずにもがく。
するとクロがウィリアムの前に跪き、介助のために手を伸ばしてくる。
その腕を掴み、それから彼の首に掴み掛かった。
掴み掛かった首は思ったよりも太く、細く繊細なウィリアムの指先では回りきらない。それでもウィリアムは指先に力を込めて彼の首を絞める。
そうしたことは半ば衝動であったが、これだけの殺意を叩きつけられてもクロの凪いだ瞳はまるで揺らされる気配はなかった。
彼はあっさりとウィリアムの指先を外すと、そのままウィリアムが投げ捨てた杖をウィリアムの傍らへと置く。
「俺が不要か?」
端的な問い。
真っ直ぐ見据える透明な黒曜石の瞳を見返し、ウィリアムは言葉に詰まった。
その問いを肯定すれば、彼はもう二度と自分の前に現れないのだろうことが知れて、思わず視線を落とす。
「行かないで……」
滑り落ちた言葉はあまりにも弱々しかった。
彼に腕を伸ばして縋りつけば、クロはそれを受け入れてウィリアムの体を抱き締めた。
ぎゅ、と大きなぬくもりに抱き締められると涙腺が決壊しそうになって、堪えるために彼の背を力いっぱいに掴む。
「行かないで……クロ」
自分が縋れるものなど、もはや彼以外に残されていなかったのだから。




