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 でこぼこの街道を歩き続けたウィリアムは何も変わらない景色に疲れてやがて杖を投げて座り込んだ。


 目的もなく歩くことがこんなにも辛いとは思わなかった。

 まずは人里へ、と思ってはいたが、それがどの程度の先にあるのかもわからずにいつまでも歩き続けるのは大変だった。

 ましてや片足がなく、杖をついての旅路だ。


 結局深いため息をつき、投げやりにその身を仰向けに地面に投げ出す。


 すると晴れ渡る青い空が目に飛び込んだ。


 癪に障る色。どうせなら夜明け前の暗い空の色だったら良かったのに。


 と、思い浮かんで、ウィリアムは込み上げる吐き気を感じて身を転がして青空から目を背けた。

 星がまだ輝くような暗い色の空は彼の色だ。

 いまだに忘れられないことが悔しくて、癪で、けれどもきっとずっと忘れられないのだと思う。


 剥がしたつもりでまだ忘れられないぬくもりの感触を手のひらに思い出して、ウィリアムは手のひらを胸元で握りしめた。


 大切なものをこぼさないように握るように。

 取り損ねたことをいまだに後悔している。

 彼は今頃愛したものと幸せに過ごしているのだろうか。


 それを考えると胸の奥がつきりと疼くように痛んだ。

 自分ではない誰かに恋焦がれる、自分ではない誰かに心を捧げ渡すような彼の顔は思い出すと、業火に焼かれているような気持ちに陥る。


 手の届かない星だった。だから誰の手にも落ちてほしくなかった。


 けれども結局彼は自分ではないものの物になってしまった。


 胸元で握る手のひらを爪が食い込むくらいに固く握りしめる。


 どうせ自分ではない別の誰かのものになるくらいならば、この手で命を奪ってしまいたかった。

 どうして取り損ねたのか。どうして自分の手にできなかったのか。


「………っ、ぅ…………」


 燃え盛る激情からあふれる感情がそのまま堪えきれずに涙となってこぼれ落ちた。


 胸の中で何度も彼の名前を呼ぶ。

 はらはらとこぼれ落ち続けたのは涙なのか。想いなのか。

 荒れ狂う感情が外側にこぼれ落ちることでやがて緩やかに落ち着いていく。

 それでも内側に抱えきれないものがこぼれただけで、自分の中にはまだその感情は根付いている。


 ふと耳にカサリと虫が這うような音がした。


 そちらに顔を向けるのも億劫で、ウィリアムはジッと動かないでいる。


 ウィリアムにカサカサと忍び寄るのは大鎌を両手に携えた蟷螂のような魔獣だった。

 動かない獲物を見て、魔獣は両の大鎌をウィリアムに向けて彼を喰らおうとした。


 その瞬間、空気がピンと張り詰めた。

 蟷螂の魔獣はその空気に大鎌を退き、一歩、二歩と後ずさる。


 そこにチロチロと青い怪炎を吐く大きな黒狼が佇んでいた。


 蟷螂の魔獣はその姿にさらに及び腰で退く。

 黒狼はそんな蟷螂の魔獣をひと睨みで追い払い、それからその黒々とした瞳をウィリアムへと向ける。


 ウィリアムは動かない。

 食べられるならばそれでも良いと自暴自棄のまま、その場でジッとまぶたを閉じている。


 黒狼もまた静かに佇み、動かない。


「ーー…………食べないのか」


 沈黙に焦れて、ウィリアムはそう口にする。


 黒狼はその言葉を無視する形で腰を下ろし、面倒くさそうにその場に伏せた。


 不可解な魔獣の行動にウィリアムは軽く頭を起こしてそちらを見る。


 黒狼はもうウィリアムを見ていなかった。

 ただまぶたを閉じてジッと眠りについたように動かない。

 その姿が頭の奥にある記憶に少しばかり引っかかった。


「ーー……………クロ?」


 幼い頃に処分された自分の犬。

 ウィリアムがその名前を呼ぶと、黒狼は投げやりに長い尻尾を一度振って応えた。


 その姿に思わず唖然と固まる。


 いや、まさか。そんなことがあるはずが。


 愕然としたままウィリアムは這いずって、黒狼へと近づく。

 そうして震える手で黒狼に触れた。


 黒狼はウィリアムの好きにさせるがまま、動かない。

 だからウィリアムは小さな頃のようにその黒狼の腹へと縋りつき、その顔を埋める。

 森と土にまみれた獣の匂いがした。


「クロなのか……?」


 改めて問うウィリアムに黒狼は尻尾を一度振る以上の返答はしない。


 そんな横着するところも遠い記憶の通りで、ウィリアムはよくわからない感情に動かされるままに黒狼にしがみついた。子供の頃と同じように。


「…………っ」


 思いがけない再会に胸が詰まる。

 幼い頃に拾ってから、クロは自分のそばにいてくれた大切な家族だった。

 自ら寄ってくることはなかったけれども、いつだって静かに佇みウィリアムを受け入れた。


 あの頃に戻ったような気分だ。

 温かなぬくもりにしがみついたままウィリアムは小さく息を吐き、それから黒狼の伏せた頭の方へと視線を向ける。


「………………お前、クロだな」


 剣呑さを込めたウィリアムの言葉に黒狼は尻尾を一度振る。

 それを見てウィリアムは剣呑な声音でさらにこう続ける。


「獣人のクロだな」


 黒狼が尻尾を一度振った。

 肯定とも取れる返事にウィリアムは黒狼から身を離し、彼を睨みつける。


「お前、最初からわかっていたのか、僕のこと。だったら初めからどうしてそれを言わない」


 黒狼は今度は尻尾も振らなかった。

 それがこちらが問い詰めても何も返答をしないクロと重なって、ウィリアムは苛立ちにクロの横腹を殴りつけた。


「それを早く言えよ。そうだったのなら僕はこんなにも……ーー!」


 苛立つウィリアムを意にも介さず、クロはただジッと伏せていた。


「何とか言え!」


 黙ったままのクロに焦れてウィリアムが怒鳴りつければ、クロはふうと深いため息をつくように息を吐き、それからグルル、ヒュウと喉を鳴らして何事かを言った。

 およそ人が理解できる言葉ではないことにウィリアムは怪訝に顔をしかめる。


 クロが同じようにもう一度喉を鳴らす。


「…………その姿だと喋れないのか?」


 そう問えば、クロは喉を鳴らすのを止めてウィリアムをジッと見返した。

 その瞳を見返してウィリアムは舌打ちをする。


「それなら早く人の姿に戻れよ。何故何も言わなかったのか説明しろ」


 そう告げるがクロはウィリアムを見返したまま沈黙する。

 ウィリアムがクロを睨めば、クロはウィリアムを押し退けるように立ち上がった。


「クロ?」


 彼は投げ出されたウィリアムの杖を咥えるとそれをウィリアムの傍らに置く。

 そうしてクロはウィリアムを一瞥してから背を向ける。


 数歩先を歩き、それからウィリアムを横目で振り返って尻尾を軽く揺らす。


 まるでついてこいと言わんばかりの仕草にウィリアムはしばらく動けない。

 けれども、そのまままたゆっくりと歩き出してしまったクロの背中を見失うわけにはいかなくて、慌てて杖をついて立ち上がると彼の後を必死に追った。

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