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「これはひどい。酷すぎる。猿にラケット持たせた方がまだましだ……」
「はい……嘘ついてすいませんでした……」
コートの外。ベンチに座る西条は、同じく横で座って頭を抱える私ではなく、自分の膝に向けて蚊が鳴くような、というか、泣くような声でそう言った。
バドミントン開始から数秒後。
案の定、というかもはやそれを遥かに凌駕する勢いで、西条の運動神経は酷かった。
まず足。超遅い。
お前近世イギリスの囚人なの?足に鉄球ぶらさげてんの?っていうくらいに超遅い。
次に腰。基本動かない。刺股でもはめられてるの?やっぱり犯罪者?ってくらいに動かない。
そんで、最後。手。握ったラケットが絶対にシャトルに当たらない。やっぱり囚人みたいに目隠しされてんのかってくらい当たらない。意気揚々と「はぁ!」とか言ってラケット振るけど、カスリもしない。
総括するとなんだか独房に閉じ込められ、手枷足枷をはめられ呻きもがく死刑囚みたいな有様だった。それで当の本人はそういう人間を追い詰める作品を描く推理作家というんだからもはや笑いを通り越して目も当てられなかった……。
まぁ、そういうわけで、練習も、そもそもバドミントンすらも成立させることができなかった私たちは、ものの五分も経たないうちにこうして、コート外のベンチで一息ついているというわけだ。
……一息どころか、もはや虫の息という感じだけれど。
「ねぇ、ここまで酷いと、体育祭の時とかきつかったんじゃない?大丈夫だったの?いじめられたりしなかった?」
奢ってやったポカリスエットをわが子のように抱きしめる西条に私は言う。今月末の球技大会よりこいつの過去の方が心配になった。
西条は私の質問に明らかにそれと分かる作り笑いを浮かべると、
「ああ、うん。それは大丈夫。体育祭の時は、本番の一か月前から毎日六時間、どの種目に出てもいいように練習してたから。何とか乗り切れてたよ」
「そんな模試みたいなことしてたんだ……」
しかもそれで何とかなのか。いや、でもよくよく考えたら西条はその頃にはもう既に作家としてデビューしていた時期もあったわけで、そんな中で時間作ってやっていたと考えると、なんというか、すごいな……。
「ん?何?」
「あ、いや、何でも!」
いけないいけない。なんだかぼっーとして西条の顔を見つめてしまった。慌てて顔を逸らして、ついでに話題も逸らすことにする。えとえとえーっと。
「それより、ネタ!小説のネタ、なんか思いついたりした?」
練習以外にもそういう目的もあったはずだ。
しかし、成果はあまり芳しくなかったらしい。西条は眉間に波を起こす。
「うーん、微妙。間にネットがあるから選手同士の接触は難しいし、シャトルも柔らかいから凶器性ゼロだし、ラケットも致命傷を与えるほどじゃあないし、くっ……なんて安全性に考慮された素晴らしいスポーツなんだっ……!」
「歯噛みしながら褒めるな。くっ……!じゃない。褒めてんのか貶してんのかどっちなわけ」
こいつは一体スポーツに何を求めているんだろう。
「ていうかさ、練習相手、ほんとに私で良かったわけ?いまやって分かったと思うけど、西条が絶望的過ぎてまだマシに見えてたかもしれないけれど、私、別に運動神経良くないよ。だったらもっと西条に教えられるぐらいのやつ連れてきたら良かったんじゃないの?男友達とか」
「!?!?!?」
「え……何、急にどうしたの?」
何故か西条の顔が1901年から1904年のピカソの作品みたいになっていた。要するに真っ青だ。『!?』を三つ連続で使ってるんだから相当。というか、『!?』って連続で使えたのか。いや、そんなことよりも、まさか……
「なに、もしかして西条ってさ」
「な、何かな……?」
「友達いない?」
「風邪薬大量に飲んできます!」
「うぉい!まてぇい!推理作家らしく死因が特定しづらい死に方をしようとするな!」
迅速かつ正確丁寧に、私があげたポカリスエットを握りしめたまま出口へダッシュする西条の腕を、私は両手で掴んで何とか引き止めた。
とてもさっきまでの触覚を切られたコオロギみたいな運動神経を持っていたやつの動きとは思えない。こら落ち着けどうどう!
さすがに衆人環視の中、半泣きで女子に慰められながら引き止められるという、中世ヨーロッパにおいてさえ中々に惨いであろう拷問には、流石の西条も耐え得ることはできなかったのか、スマホ取り上げの脅迫を受けた中学生のように大人しくなる。が、それも束の間、今度はぐったりして肩を落とすと、再度ベンチに座り込み、塞ぎ込んでしまう。
「……いいんだ。どうせ俺はミステリー作家……妄想の中でも友達殺してそうとか、警察の邪魔ばっかりしそうとか、なんか勝手にじっちゃんの名声背負ってそうとか、麻酔銃で誰か撃ってそうとか陰で言われたりするんだ……」
「なんか闇のゲートからトラウマが溢れ出し始めた……しかも、前半、なんか聞いたことあるやつも混じってるし……」
というか、思いっきり昨日、私が図書室でこいつに言ってしまったやつだった。なんてこった。知らぬ間にこいつの闇エネルギー増大に貢献してしまっていたなんて。
が、まぁ、なるほど。とにかくこれでこいつに友達がいない理由が分かった。
要するにこいつは過去推理作家であることが周囲にバレてしまい、それがきっかけで、いじめ、かどうか、そこまで露骨だったかは分からないけれど、それで敬遠されていた、というわけだ。
まぁ、多感な中学生時代だ。そりゃあ同級生が小説、それも推理小説なんてあらぬ誤解を受けそうなものを(こいつに限ってはその誤解も、あながち誤解でもないような気がするのは気のせいか?)書いていれば、忌避したくもなるし、されれば逆にこちらから遠ざかってしまうものなのかもしれない。
「ま、まぁ、友達の有無なんて結局個性なんだから、いいじゃん。友達がいる方が嬉しい人もいれば、いない方が上手くいく人もいる、みたいな。話し相手だったら私がいくらでもなれるし!」
あれ?これ?告白じゃね?いやいや、今はそんなふざけたこと考えている場合じゃないだろう。
「そ、それより、今日みたいな小説のネタ集めとか取材とかって一人でやってんの?あ、家族に手伝ってもらってるとか?」
話が推理小説の方へ転がったことで調子を取り戻したらしい。西条のフェイスの青色が少し元の色を取り戻す(なんだその人体構造)。わずかながらに私の励ましも功を奏したのかもしれない。西条はやっといつものプリティスマイルを見せる。
「いや、親は基本そっちにはノータッチ。大学二年生の姉もそっちは興味ないみたいだから、学校のこと聞くくらいでそれ以外は特にないかな。だから基本は一人か、あとは担当編集の青花さんに手伝ってもらうくらい」
へぇ、作家のリアルってそういう感じなのか。意外。まぁ、例の一つだから蓋然性は高くないかもしれないけれど、家族揃って本好きとかだと思ってた。しかし、偶然にも西条の家族情報をゲットできた。これは収穫収穫。西条は折木奉●郎君と同じ家族構成っと。メモメモ。私、西条君の情報気になります!
……青花、さん?
「……ねぇ、今、誰さんって言った?」
「え……急に何?なんかリーマンショック後の株価並みに声のトーンが下がったんだけど……」
そういうのはいいから。誰だよ。その女。教えろ。
「ちょ、顔近い!怖い!そんで何で太ももつねられてんの俺!さっき言った編集さんだって!柔和青花さんっていう編集さん!」
へぇ。編集、さん、ねぇ。しかも、名前呼び、ねぇ。
「その編集さんとは普段どこ行ったりするんですか?」
「何故に敬語……まぁ、色々だよ。推理小説に出てきそうな館とか、地下室がある海外っぽい家とか。あとはおしゃれなカフェとか。男だけじゃ入れないゲーセンのプリクラとか」
「その人、何歳ですか?」
「えっと、あんまり覚えてないんだけど、たしか26くらい、って言ってたような」
「ご結婚は?」
「してないって言ってたような気がす……っていってぇぇぇぇ!何何何何!?ふとももちぎれる!本当の肉離れが起きる!離して!いや、離れないで!俺の太もも!」
ぎゃあぎゃあうるさいな、この罪人が。おとなしくしてろ。でないとお前の肉を、綺麗にちぎれねぇだろうが。むしろこんなんで済んでありがたいと思いやがれ。
しかし……編集さん、か。「ちょっと、なに一人で物思いにふけってるの!離してって!」女で、若くて、未婚者で、こいつとミステリーの話ができる……女!
……どうしようどうしようどうしようどうしよう。
くそ!編集なんて完全に盲点だった!西条と同じ中学だった奴から聞いて西条が中高と親しくしていた女子がいなかったことは調査ず……じゃなかった。知っていたことだから安心しきっていたけど、まさか外部からとは!しかもデートに女とじゃなきゃ行けない場所まで経験済みとは!
……許せない許せない許せない!私がいない間に他の女(?)とデートだなんて!
これは……おちおちしてられない。
私は軽い肉離れを起こしたであろう西条の太ももから右手を離し、そして代わりに拳を握りしめる。
そして今度は西条ではなく、自分の太ももをつねって決意を固めた。
「ねぇ……そのデー、じゃなかった。その手伝いってさ、その編集さんじゃなきゃダメなわけ?」
案の定、小説なんてものを書いているくせに、何を聞かれているのか深く考えていないのか、鈍感野郎は涙目をこすりながら、
「いや、基本的にはないと思うけど。そのついでに打合せしたりするくらいかな」
「そ、そう、なんだ……じゃ、じゃあさ、それ、私が手伝うよ」
「え?」
言ったぁあああああああ!言っちまったぁぁぁ!
「か、勘違いしないでよね!そ、その、アレ!私も、男の子と一緒じゃないと行きにくい場所とか行ってみたいし!ギブアンドテイク的な!それに、編集さんは他の作家さんも担当してる訳だから、時間が合う私との方がいいんじゃないか、的な!」
って何を言ってるんだ私!こんなの、他の女より私を優先してって言ってるようなもんじゃないか!しかも自分の欲望のために男を利用するときた。馬鹿なのか?私は!ってああ、そうだった!私、成績よくないんだったちくしょお!馬と鹿に踏まれて死んじまえ!
流石にここまでやらかせば、さしもの西条もどっかの三番隊隊長のごとく悪・即・斬と私の提案を切って捨てるだろう。なんなら牙突も喰らわせてくるかもしれない。いいや。今回はあきらめよう。馬鹿はさっさとおうちに帰って勉強でもしてまた模試で馬脚を現すとでもしますよ。馬だけになぁ!
とかそんな風に、私は今がバイト中だということも忘れ、さっさと家へと帰ってしまうと決意を固める。そして馬だけに今日は駈けて帰ろうと思い踵を返した。
のだったが、
「ほんと?ありがと。じゃあまた声かけるよ。あ、それならLINE、教えてくれない?よく考えたら連絡先知らないし」
「うんうん。そうだよねだめだよねモノローグの中でさえ上手いこと言えてないし、私ってやっぱり馬鹿……あ、でも馬と上手いがかかってるか、うふふ、天才。あの馬面の落語家に匹敵する……ってえ?今なんて?」
アレ?なんか私にとって上手い話が聞こえてきたような?
「何うまうま連呼してるの?あ、いや、教えたくないなら無理にとは言わないけど……」
現実だったああああ!しゃあああああああああああああああああああああああ!
「いやいや!教えたい!教えさせてください!教えさせろ!」
「希望なのか敬語なのか命令なのか……」
私は、私史上最高速度でスマホを取り出し、西条のスマホ画面に表示されたQRコードを読み込んだ。っしゃあ!西条の連絡先、ゲットだぜ!どれどれアイコンは、と。……へぇ、こいつにしてはなかなかにおしゃれな西洋風の家の壁……じゃない。これ、アプリをインストールしてアカウントを作ったら自動でそうなってるやつだ!ううん、この無頓着さがもう友達いないのを証明……いや、考えるのはよそう。私はもう深淵に絡み取られたくはない。それより今は別にやることがあるだろう。
私は連絡先を得た嬉しさをエネルギーに変換し、よっと勢いよくベンチから飛び跳ねる。
「さてと、それじゃあやりますか」
「え?やるって、何を?」
こくりと小首を傾げる西条(やめろその可愛いしぐさ。ドキッとすんだろ)何を言ってるんだこいつは。やることなんて決まってんだろ。
「次、テニスだっけ、やるんでしょ?時間もないんだし、早く行かなきゃ」
「いや、でも、さ。流石にこれ以上付き合わすのは、ちょっと……」
これ以上……?はぁん。なるほど。こいつ、これ以上自分のアレな運動神経に付き合わせるのが申し訳ないとか思ってるクチか。ったく。そんなん今更だぜ。その口ふさいでやろうか。……も、もちろん手でね!
「さっき言ったじゃん。取材に付き合うって。それにさ、今までは練習相手がいなかったから上達するのが遅かっただけかもしれないじゃん。二人でやれば、案外上手くやれるかもしれないよ。も、もちろん、こっちが一方的に付き合うってわけじゃなくて、私のプライベートにも付き合ってもらうけど……」
最後までかっこつけられないところがなんともチキンな私だ。いや、やっぱ無理っすよね。バトルものとかで決め台詞を平気な顔して言う主人公とかいるけど、あれ、ほんとにすごいと思います。
「獅子ヶ谷さん……」
……ま、けど、こうやって西条は尊敬と感動の眼差しで私を見上げてきていることだし、いっか。……若干、というかものすごい量の罪悪感が後ろ指をさして、いや、刺してきている気がしないでもないけれども。
けど、それでも人間、たまには格好つけるのも、悪くない。
「獅子ヶ谷さん、二人で『殺れば』上手くいくって……もしかして、犯人が二人以上いるミステリーが好み――」
「さーテニス頑張るぞー」
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