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「そういうわけで、あんたが見たその女子中学生こそがウチ、締め切り破りそうやったこのダメ作家をこのホテルに監禁しとった張本人、こいつの担当編集、柔和(にゅうわ)青花(あおか)や。よろしゅうな」

「嘘だろ……」


 奥さんが専業主婦、二人の子持ちの一般企業に勤めるサラリーマンの夫がクビを宣告された時のように、私は机に肘をついて頭を抱えうなだれた。クビどころか首がもげそうだった。


 時刻は既に午後7時を回っていた。


 ホテルの部屋の窓の外は、水面先輩の胸並みにでかい顔した夜と、無数のビルの光がふんぞり返っている。

 

 あれから。

 

 西条が私をホテルに誘ってきてそれから。


 ホテルに誘われたものの、当然嫌がった私だったが(ほんとだよ?)、そんな嫌がる私を西条は無理矢理店の外に連れ出し、タクシーにぶちこんだ(タクシー運転手にすげー目で見られた)。


 そして駅近くのものすごくでかい、ワンピ●スの天●人とかが住んでそうななホテル――というか、前に西条と女子中学生が入っていったホテルだった――のかなり上階の部屋に連れ込まれ、ああ、このまま私はこいつに好き放題、あぁんなことやこぉんなことをされるんだ、もしくは語尾がだえーの奴に五億(んな値がつくか)で買われてしまうんだと半ば諦めかけたところで、何故か案内された部屋のリビングルームでコーヒーカップを口に傾けていた、その例の女子中学生の格好をした編集者に挨拶を受け、今に至る、というわけだ。


 ……うん。もうこれ、ボーリングマシンでも地面から門前払いを受けるレベルなのではないだろうか。


 ツッコミ所しかないため、逆にツッコめない。


 いや、ツッコミ所というか、実際の所、それらのツッコミ所の回答はさっきの彼女のセリフ通り、『株式会社ノックス・明智(あけち)文庫・編集・柔和青花:』と書かれた名刺(めいし)と共にいただいてはいるのだ。


 思い起こせば、西条に初めて柔和さんの年齢を聞いた時、『あんまり覚えてないんだけど』と曖昧なことを言っていたような気もする。あの時は単に西条が女性の年齢にあまり興味がないだけなのだと思っていたけれど、あれは、柔和さんの年齢に興味がなかったのではなく、おそらく見た目とのギャップからいつも実年齢を失念(しつねん)してしまうという意味だったのだろう。

 

 が、そんなのは理解できたところで、納得はできるわけもない。


 大体何でこの世界、水面(みなも)先輩みたいな合法ロリが先輩含め二人もいるんだよ。各作品にそういうキャラは一人までっていうのはこの世界の法則だろ?何?水面先輩とのタッグで売り出すつもりなの?合法ロリだから法則は破ってないってことなの?


 あと、先程西条がスタジオで私に言ってきた、『獅子ヶ谷さんにも知ってほしい』と台詞は、私だけに対する特別な感情の発露だとか、つい、ホステスに入れ込む結婚適齢期を過ぎたおっさんみたいな勘違いをしてしまっていたのだけれど、単に締め切り労働のため、柔和さんにこの監禁場所にずっと閉じ込められて精神的に参っていたから、私に話し相手になってほしかったというだけの、こいつなりのSOSだっただけらしい。なんなんだよまじで。私がSOS出したいわ。もしくはSOSというならいっそのこと世界の方を改変したい。私の目の前に時々宇宙と交信してそうな推理作家様がいるからそいつをどっかの団長様に紹介すれば報酬として私の代わりにやってくれるのではないだろうか。まぁただの人間には興味ありませんと切り捨てられるだけかもしれないが。そもそも彼女自身にその自覚がないから無理だろうが。ああ……ほんと、恥ずかしすぎて閉鎖空間に閉じこもりたい……。


 ああ、それと、西条が柔和さんとホテルに入っていったのを見た翌日、私がそれを遠まわしに問うた時、こいつが姉の看病があるとか嘘をついたのは、私をテニスの練習に付き合わせたくなかったからとか、そういうのではなく、その時はシンプルに締め切り破って編集者に閉じ込められているという格好悪い自分を知られたくなかったからだという、なんとも今更な理由だった。なんと無駄な心配を。大丈夫だよ西条。そんなんで私はお前に失望したりしない。何故ならもうとっくに失望しているから。いや、ほんと、まじで。


「えっと、まぁ、一応事情は分かりました。感情の方は納得できてませんけど。けど、何で、今もそうですけど、柔和さんはセーラー服を着てるんですか?それに何で監禁場所がホテルなんです?一応、締め切り守らない作家はこうして閉じ込めることがあるっていう都市伝説は聞いたことがありましたけど。そういうのって何かカ●ジ的な地下施設だと思ってたんですが」


 私は、キンッキンに冷えてやがる!みたいな感じでうなだれ冷え固まってしまった自分の首を何とか持ち上げ、合唱コンクールとかで「ちょっと男子ー」とか言ってそうな、かなりきつめの目つきをしたその女子中学生にしか見えない顔に尋ねる。


 タイプ的には水面先輩が可愛いあどけない感じの女の子だとすれば、この人は優秀だけど生意気な、しかし上乃宮みたいなクズ八方美人タイプ(美人?)ではなく、人に厳しく自分にも厳しい、孤高を貫くタイプの子って感じだ。燃えるような赤いショートヘアと八重歯も相まって、余計にそう映る。 

   

 柔和さんはブラックコーヒーの入ったカップを(ただし受け皿の上にスティックシュガーの紙ごみ大盛)を口にぐいと傾けると、コーヒーか、それとも別の何かか原因か、苦い顔をする。


「あ?ほんならあんたは少女が大人びた服にあこがれんのがおかしいっちゅうんかい?あ?」


 関東ではおよそ、どこぞの小学生探偵のライバルからしか聞くことのできない、有り得ないほどなまった関西弁でそうすごんできた。


 いや、せやかて工藤……その理論は……。まぁ確かにおっしゃる通り、逆説的に考えれば、大人が子供の服にあこがれを持つのも、ぎりぎりおかしいと言えなくもないのかもしれないけれど。しかし、だとしても大人の女性が女子中学生の制服を普段着として着用する理由にはならない、と思うのだけれど……。


「あほか、なるわ。人間憧れの、好きだと思う服を着ればいいんや。それをどいつもこいつもドレスコードやらトレンドやらに支配されよってからに。ウチなんか、運動するときまだブルマやで」

「それはどっちかって言うと、大人の女性への服への憧れになるのでは……」


 26歳なら流石にブルマ世代ではないだろう。柔和さんには絶対私のバイト先のラウン●ワンには来ないでいただきたい。っと話がそれた。それで、西条を地下施設ではなく、ホテルに監禁したのはどういうわけなんだろう。


「ああ、それな」


 柔和さんはぺったんこ(ここ重要!)な胸の前で腕を組む。


「こいつがここにしてくれっちゅうてごねたからや。球技大会が近いからテニスコート付きのこの豪華なホテルにしてくれっちゅうてな。近いのは球技大会やのーて締め切りやっちゅうねんけど、諦めろ言うて聞くやつちゃうし、こんなんでも一応、うちのレーベルの大黒柱やさかい。それくらいの無茶は通るねん」

「こんなんて、青花さん、冗談きついなぁ」

「うっせ。人柱(ひとばしら)にすんぞごら」

大黒柱(だいこくばしら)をですか!?」

 

 殺伐(さつばつ)としてるなぁ……。

 

 とても作家と編集者とは思えない。


 いや、それとも実際、作家と編集なんてこんなものなんだろうか。まぁ、締め切りが近いのにも関わらず、いきなりどっかの不良少年よろしく「テニスが、したいです……」などとほざかれれば、そりゃあ「諦めろ。試合終了だ」と言いたくなるのも仕方ないような気がするが。とんだ不良少年だ。


 しかし、柔和さんにとってはそうでも、私から言うことはあまりない。何故なら前も言ったかもしれないが、その西条の三井ムーブのおかげで私は球技大会で勝つことができたのだから。感謝、と言うより、もはや球技大会如きで高級ホテルに閉じこもるこいつのお人好し加減に恐怖しているくらいだ。……いや、まぁ、本当は単に監禁されて小説を書き続けるのが嫌だったから、球技大会を逃げ口に使っただけかもしれないけれど……まぁそれでも勝てたんだからいい……のかな?うん。良いってことにしておこう。だから、私から言いたいのは、それとは別のことだ。


「けど、その、流石に男女が二人きりでホテルに入るっていうのは……」

「あ?」


 制服のスカートの上で、両手を木の棒で火を起こす時みたいにわしゃわしゃこすりながら、曖昧(あいまい)な言い方をしてしまったせいか、伝わらなかったらしい。柔和さんは綺麗に整えられた眉でハの字を(えが)いた。


「……ああ、なるほど。青花さん、獅子ヶ谷さんは青花さんを心配してるんですよ」

「あ?心配って何をや?」


 私の言いたいことに気付いた西条が、本気で分かってないらしい柔和さんに、「だから……」とおそらく、『自分が青花さんとホテルに二人きりの時、青花さんにいかがわしいことをする可能性云々(うんぬん)』みたいな台詞を耳打ちする。すると、


「ふぁあ!?」


 突如(とつじょ)、柔和さんの顔が真っ赤に茹で上がった。顔と髪の色が完全に一致する。首から上が全部髪の毛になったみたいだ。


 柔和さんは机さんを(こぶし)で殴りつけながら、


「アホか!ほんまアホ!ほんま思春期の餓鬼どもは、男女がいればすぐドッキングさせよってからに!この変態!淫乱!淫売女!」


 何故ホテルに二人きりなこと指摘しただけでそこまで……。というか、ドッキングて。淫乱なのはそっちの方だろ。というかこの人、下ネタダメなのか。ブルマはよくてそっち系はダメとか、倫理観バグりすぎだ。こういうところは水面(みなも)先輩とは真反対だな。


「第一、こんな、夜な夜な『人……人、死んだ……人、死んだ……げへへ……もっと!もっと!死ねえ!もっと難しいトリックで死ねぇ!』とかパソコンを前に呪詛呟いとる奴と何かあるわけないやろ!ぶん殴ってでも逃げるわ!」

「ちょ、青花さん!それは!」

「西条、あんた……」


 私、戦慄(せんりつ)


 まさか、まさかホームルーム前のあれがまだましな姿だったとは……。


 二人がかりでやっと一体倒したメタルク●ラが大群で押し寄せてきたのを見た悟●とベ●ータの気分だ。


 ……なんか、これでもこいつを好きなままの自分が怖くなってきた。

 

 担当作家への鬱憤(うっぷん)をわずかなりとも発散することができて多少溜飲(りゅういん)が下がったのか(心中お察しします)、柔和さんはようやく顔色をデフォルトに戻すと右手でピースを作り、


「第二に、ウチのタイプはとある魔●の禁書目録に出てくるステ●ルみたいなハードボイルドな感じの男や。こんな青二才、こっちから願い下げやわ。勘違いすんなよ!」


 いや、今のを聞いて余計に勘違いしそうというか、私が心配になっているんですが……。ステイルはああ見えてもまだ十四歳だったはず。つまりバリバリ年下だ。


「はぁ……疲れた。歳かいのぉ、うちも」


 やっと机への虐待をやめて、柔和さんはその代わりとでもいうように今度は背もたれに重くのしかかった。そりゃあ机相手にボクシングやってたんだから疲れるだろう。歳かどうかは見た目からは一切分からないが。


「ま、とにかくそんなとこや。ほんじゃ、原稿の進捗状況も分かったし、ウチはもう帰るわ。他の仕事もまだ富士山のようにあるさかいに」

「へー青花さん、大変なんですねー」

「おう。その原因を富士山の樹海に捨ててこようと今画策しとるくらいにな」

「あれ?何で俺の方見るんです?」

 

 ったく、次締め切り破ったらお前を締めて切って破ったるからな、と、およそ今まで聞いてきた中で一番怖い捨て台詞を残して柔和さんは扉を開けて去っていった。

 

 そんな柔和さんにも西条は「はい。青花さん。また今度ー……がなければいいのに」と後半を小声で呟いて笑顔で見送っていた。ねぇ、仲悪いの?ねぇ。


「ふぅ。やっとあのクソガk……青花さんが帰った。ごめんね。獅子ヶ谷さん、付き合わせちゃって。あのクソガキ、二人だともっとひどいからさ」

「ぎりぎりブレーキかけたのに、すぐフルアクセル踏むのやめて」

「おっと」


 慌てて口を掌で覆う西条。いや、もう遅いから。クソガキって言っちゃってるから。


 ……というか、私を呼んだのは、あの人の緩衝材(かんしょうざい)としての目的もあってのことだったんじゃあないだろうか。いや、別にそれ自体はいいんだけど、二人きりだとあれ以上って……二人きりだと何されるんだろう。よくこいつ生きてるな。


「さてと、それじゃ、ちょちょいと訂正箇所だけ直しますか。ごめん、獅子ヶ谷さん。ちょっとだけ待っててくれる?ほんと、あの人、成長は遅いのに、仕事だけは早いから嫌なんだよね」

「ああ、うん、別にいいけど。あんたどんだけあの人のこと嫌いなの。ここにきてキャラ崩壊してるけど」


 なんか見てはいけないものを見ている気がする。推理小説家の生活が自分の書く小説以上に闇が深いなんて。


 西条は、小説を書く際に使っているパソコンの文書ソフトを立ち上げ、私たちが来る前に柔和さんによってすでに打ち込まれていた訂正箇所を椅子に座って確認し始める(そういえば、この部屋、オートロックのカードキーシステムのはずなのだけれど、あの人、どうやって先に入っていたのだろう)。


手持(てもち)無沙汰(ぶさた)になった私はベッドの上に座って、「うーん。殺害方法が難しすぎて読者に伝わりにくい、か。相変わらず丁寧でウレシイナー」とか棒読みで呟きながら訂正作業に(いそ)しむ西条の背中を見つめることにする。またキャラがぶれるような京都人みたいな皮肉を言っているのが気にはなるが、まぁ、文句は言いつつも、訂正箇所を素直に直そうとしているあたり、仕事上の能力の面ではちゃんと柔和さんのことを認めているのかもしれない。


 ……なんか、ちょっと、うらやましいな。


「…………」


 ……って、あれ?


 何か私、大事なことを忘れているような……というか大事なことに気付いていないような……いや、大事なことに気付きかけている、一歩手前のような。


 と、突如(とつじょ)、先ほど、何故か私が柔和さんに言った台詞が、脳裏(のうり)によぎった。



 ――「けど、その、流石に男女が二人きりでホテルに入るっていうのは……」


 瞬間、座っているベッドのシーツ、つまり私のお尻から、じゅうぅ、とSEが聞こえてきた気がした。

 

 あ、あああああ、あれぇ?

 

 ひょっとして、それ、私?男とホテルで二人きりでいるの、私?

 

 ……おいおいおいおいおい!何してくれてんだあの人!何帰ってんだよ!グッジョb……じゃない!じゃない!バッドジョブ!ものすごいバッドジョブ!


 まさか、あの人、そのために先に帰ったんじゃないだろうな!いやいやいや!こんなお膳立てされても、こいつはおろか、私には何も出来っこないし!そもそも付き合っても何でもないんだからいきなりそういう過程をすっとばしてどうこうするのは流石にないし!こんな高級ホテルだからってこんなふかふかで寝心地良いベッドだからって!都内の夜景が見渡せる、今まで見た中で一番おしゃれな場所だからって!


 ……いや、でも待てよ。


 こいつとこんな風に二人きりになれる時間がどれくらいあるのだろう。それに私は無理矢理ここに連れてこられた身だ。少しくらい、私の好きなようにさせてもらってもいいのではないだろうか。少しくらい、この鈍感野郎に、私を意識させるようなこと、くらいは。


 ……よ、よし!やっちまうか!何かわからないが、とにかくやっちまうか!今日まで死ぬほど悶悶(もんもん)とさせられてきたんだ!今度はこっちの番だぜ!俺のターン!


「ねぇ、西――」


 しかし、呼びかけようとしたものの、そんな私の言葉が最後まで続くことはなかった。


「――――」


 ――無言でパソコンを見つめ続け、力強くキーボードを打鍵し続ける、西条の、その横顔を見てしまえば。


 「…………」


 私の声は一切西条に届いていなかった。いや、きっと誰の声だって今の彼には届かないだろう。


 何故なら西条は、今はきっと別の世界にいるのだろうから。


 それくらい西条の画面を見つめる顔は真剣だった。


 きっと、神様だって、その聖域には、入れない。


「……すごいなぁ」


 思わず、声が漏れた。


 何かに打ち込める人間っていうのは、ここまでになれるものなのか。

 

 私は、西条のことをこれまで十分評価してきたつもりだった。

 

 私と同じ年齢で、私以上に学業の成績が良くて、そして尚、社会に出て働き、みんなに必要とされている。それをすごいと思っていた。

 

 だけど、違う。

 

 いや、それもあるのだろうけれど、きっとそれ以上にすごいのは、この好きなものに対する姿勢だ。熱量だ。爆発力だ。

 

 たぶんこの瞬間、西条は自分のすべての力を(なげう)ち、死力を尽くして画面に向かっている。


 ……一方で、私はどうだろう。


 勉強もダメ、運動もダメ、社交性もダメ。


 SNSは好きだが、しかし何か大きなことを成し遂げようと頑張っているわけでもない。


 全てが中途半端。

 

 私には、何もない。


「……え?」


 そんなことを考えていると突如(とつじょ)、私の周りに黒い(もや)みたいなのが現れた。


 すわ火事か何かかと思っていたけれど、違う。その靄は私だけを取り囲み始めた。


 逃げようとしても、体は金縛(かなしば)りにあったように動かない。上へ上へ。まるですべての色を奪い去ってしまう、夜の闇のように、靄は下半身から私の体に沿って這うように登ってくる。


 西条は気付かない。ずっと一人、自分の世界で戦い続けている。どんなに後頭部に呼び掛けたところで、その頭が振り向き、私の顔を見てくれることはない。


 そしてそんな西条を見つめる私の右目さえ、靄が覆い隠そうと――


「西条!」

「え!?何!?びっくりした!」


 いつの間にか塩をまぶしたなめくじのように汗だくになっていた私は、西条の名前を無我夢中で叫んでいた。流石の西条もそんな私の奇声には集中を解かざるを得なかったのか、がたんと椅子を揺らし、それこそ石をどけたら大量のナメクジが付着していたのを見たときみたいな声で驚き振り向く。


 ……あ、ああ、なんだ、幻覚だったのか、今の。


 手を握る。体は動いた。口も開く。胸も上下する。通常通りだ。けど、胸だけが、何故かずっと痛かった。


「大丈夫?汗びっしょりだけど。何か飲み物でも頼もうか?」


 このホテルはルームサービスもついているのか、西条はそう言って不安そうな目で私を見る。生まれて初めてのルームサービスも悪くなかったが、今の私にはその目だけで十分すぎるほどだった。


「ううん。大丈夫。ただの立ち眩みだから。けど、一つ聞いていい?」

「ん?」

「西条はさ。何で推理作家になろうと思ったの?」


 なぜだろう。何が私をそう言わせたのかは分からない。けど私はごはんの前にいただきますを言う以上の自然さで、そう口にしていた。

 

 それこそいただきますやごちそうさまみたいなマナーでもなく、だからと言って絶対に訊きたいと思って訊いた言葉でもない。ただ、ここで私は絶対にこのことについて訊かなければならない。訊かなければ必ず一生後悔する、そんなある種の強迫性(きょうはくせい)()られて出た言葉だった。


 脈絡(みゃくらく)なくいきなりそんなことを訊かれるとは流石の西条も思っていなかったのか、「え?うーん」と腕を組んで瞑目(めいもく)したり、頭を振り子みたいに揺り動かしたり、人差し指を顎に置いて虚空(こくう)を見つめたりして考える。そういう可愛いしぐさが、やれ王子系だのなんだのと女子の間でもてはやされるんだろう。今後私の前以外ではそういう仕草を取らせないようにしよう。とか、また私が私らしい中途半端な邪念を沸き立たせている間に、やがて得心いったのか、西条は「うん」とこれまた可愛く頷くと――


「やっぱり、ナルシストだからかな」


 ――腕を組み、やけに胸を張ってやけにいい笑顔で、そう言った。


 …………は?


「え?は?ナルシスト?マゾヒストじゃなくて?」

「いや、獅子ヶ谷さんは俺のことなんだと思ってるの?だいたいマゾヒストが夢の決め手っておかしいでしょ」


 いやいやいや。ナルシストが夢の決め手なのもおかしいでしょ。わけわかんないし。というかそれ、絶対胸張って言うようなことじゃないだろう。


 が、私にとってはそうではなくとも、西条にとっては胸を張るようなことだったらしい。西条は映画館で一番前の席に座る客のように上を見つめると、


「俺さ、推理小説とかミステリーとか探偵とかもちろん大好きなんだけど、でもそれ以上にたぶん、自分が好きなんだよ。まぁ、自分の容姿とか、女の子みたいな名前とか、若干気に食わない部分もあるにはあるんだけど、それでも全部ひっくるめて自分が好きなんだ。それで、小6の時だったかな。考えたんだよ。将来、自分が一番好きになれる自分はどんな自分なんだろうって」

「自分が一番好きになれる、自分……」


 私も、考えてみた。けどジャンク品な私の脳味噌が答えを返してくれることはない。当然。私は私を好いてなどいないからだ。


 だけど、西条は違った。


 西条は見つめる先にあるシャンデリアよりもさらに瞳を煌煌と輝かせ、そして私を見つめ、言う。


「答えはすぐに見つかったよ。そうだよ。自分が好きなもの、あこがれるもの、尊敬できるものになれれば、それでいいんだ。俺にとってのそんな存在――時には悪人を助けて、時には弱者を救出し、時には華麗に事件を解決する、俺のあこがれる存在――探偵に!……現実の探偵がそんな探偵じゃないっていうのはその頃の俺でも分かってた。でも、それでも、だから、書こうと思ったんだ。だから、なろうと思ったんだ。自分が自分をもっと好きになるために。好きな自分を大好きな探偵になって、もっと好きになるために!だって探偵は、かっこいいから!」

「……!」

 

 そんな、そんな聞く人が聞けば陳腐(ちんぷ)だと言われかねないそんな言葉を、普段の西条からはとても想像できないような大声と独善的(どくぜんてき)な笑顔で語られたその瞬間、私の胸は、マッチ棒をこすったみたいに熱くなった。


 火はどんどん燃えあがり、(またた)く間に全身をあまねく支配する。


 なんだ、これ。


 熱い。


 西条を見ていると、熱い。


 溶けそうだ。


 それなのに、西条から目が離せない。(またた)く間にと言ったけれど、(まばた)きする瞬間さえ与えられない。


 ああ、そうだ。


 分かった。きっと私は狂ってしまったんだ。


 狂うほど、こいつのことが好きになってしまったんだ。


 単純なことだ。西条が推理小説家になった自分をあんなに熱く好きになってしまったのと同じで、私はその対象が自分ではなく西条になってしまったというだけのことなのだ。


 嬉しい。


 西条のことをより好きになれたというのもある。だけどそれ以上に西条と一歩でも同じ場所に立てたような気がしたことがうれしかった。今まではずっと、こいつのことを見上げることしかできなかったから。


 西条が、小説の中で大好きな探偵になることで自分を好きになったように、私は大好きな西条をもっと好きになることで、自分を好きになることができたのかもしれない。


 …………。


 ……ってあれ?


 そうだ。何で、こんな会話になってるんだっけ?


 確か私が「西条は何で推理作家になろうと思ったの?」と聞いたから。そして答えは自分が好きな探偵になって、自分をより好きになるため、だった。そして私もたった今西条をより好きになることで自分を好きになることができた。


 ……あれ?


 だとしたら、私。


「………あ」


 呟く。


 そうだ。


 あるじゃないか、私がさんざん悩んでそれでも出なかった、私の将来。私の、なりたいもの。


 ――思考は一瞬。


 だとすれば私には今、やらなければいけないことがある。


 ――覚悟は一瞬。


 私は拳を握った。


「西条さん?大丈夫?ぼーっとしてたけど」

「うん。大丈夫。けど、ごめん、もう一つ聞いていい?」

「え?ああ、うん。いいよ。丁度訂正箇所直すのに煮詰(につ)まってたところだったし」


 あれほど、心の内を(さら)け出しておいて、西条は照れ笑いの一つも浮かべず、いつものテンションでそう答える。そんな私との落差に落胆(らくたん)してしまいそうになるけれど、今はそんなことは気にしてられない。過去の記憶をほじくり返して、私は問うた。


「高校入試の時さ、私に消しゴム貸してくれたこと、覚えてる?」

「え?」


 西条は大きなブラウンがかった目を二度瞬かせた。その反応だと覚えていなかっただろう。まぁ、無理もない。この善人というかもはや仙人みたいな野郎だ。こいつにとってはそれこそ仙人に電車で席を譲るぐらいの認識だっただろう。


 が、私にとってはそうではない。


 なぜならあの時から――私の恋は始まったのだから。


 私は入試の時の光景を思い出しながら、


「うん。あれはたぶん最後の科目の試験の時だったかな。最後の科目だから、早く解き終わった人は退室していってた。でさ、私も最初は調子よく解けてたんだけど、途中でミスしちゃって。それでさ修正しようと思ったんだけど、机の上探したら消しゴムがなかったんだ。後で気づいたんだけど、鞄の中に間違って入れちゃってた」


 流石にあの時は肝を冷やした。冷や汗でびちゃびちゃだった。なぜならその時受けた高校、つまり今通ってるこの高校は、私立だが学費安価、好立地偏差値そこそこ自由な校風ということで、私の第一志望の高校だったからだ。


 結局消しゴムは見つからなかったので、私は仕方なく諦めて次の問題に取り掛かることにした。大体わかる範囲では埋めたものの、しかし、消しゴムがないプレッシャーからか、他にも何問か記述ミスを重ねてしまった。


 先ほども言ったようにこの高校はその待遇(たいぐう)の良さからか、今となってはなぜ取られたのか訳の分からないバカ高い受験料を支払ってでも、定員240名の三倍が受けに来る、コミケのシャッターサークル並みの人気校だ。だから当然定員の部数も限りがあり、僅かなミスが命取りになってしまう。

 

 事前の説明で筆記用具の貸与はできないとアナウンスが行わており、試験官に言って持って来させるという錬金術(れんきんじゅつ)も使えず、しかし、それまでに獲得した点数で乗り切れるほどの、才能という名のアーリーチケットを持っていない私は、「ああ……終わったな……」とすっかり意気(いき)消沈(しょうちん)してしまっていた。


 ――が、その時だった。

 

 後ろで小さく椅子が引かれる音がした。きっと私と同じ受験生の誰かが解き終わったので帰ろうとしているのだろう。いいなぁエリート様は余裕があって、と(なか)ば泣きそうになりながら、私は余裕(よゆう)綽々(しゃくしゃく)な感じで教卓にテスト用紙を提出していく華奢(きゃしゃ)な男子生徒を恨みがましい目で見送った。そして「仕方ない。せめて、記入漏れがないかだけでも確認しておくか」と机に視線を戻した。そこで、


 気付いた。


 ――あれ?消しゴムが、ある?


 いつの間にか、湧いて出たように机の上に消しゴムが召喚(しょうかん)されていた。


 は?何で?え?さっき錬金術云々考えたから?私、本当に錬金術師になったの?『鋼の』とか呼ばれちゃうの?とか最初は本当にそう思った。が、冷静に考えれば(冷静に考えなくとも)そんなことがあるわけはなく、しかし、試験官が気を遣って置いてくれたのかと思い試験官を見つめるも、頭頂部で焼き畑農業をしたような強面のおっさん試験官はおちょくってんのかああんと言わんばかりに怪訝(けげん)な顔で(にら)み返してくるだけだし、お隣さんも試験に集中しっぱなしでそんな余裕などありそうもない(ぎりぎりカンニングにならない程度にチラ見した)。かといってじゃあ他に候補がいるかと問われれば思いつかない。

 

 しかし、一分ほど経った頃だろうか。すっかり入試問題に集中しなくなった私の頭は、その代わりとでも言わんばかりに一つの天啓(てんけい)を私にもたらした。あるいは、それまでまがりなりにも受験勉強を頑張ってきた天からの思し召しだったかもしれない。


 ――あ、もしかして、さっき私の横を通った男子――

 

 有り得ないと思ったが、しかしそれ以外にないとも思った。

 

 その私を助けてくれた男子生徒――つまり、西条。


 その西条の大好物、推理小説風に例えて言うのなら『全ての不可能を消去して、最後に残ったものが如何に奇妙なものであっても、それが真実である』というやつだ。


「その時からさ、変な奴だなぁとは思ってたんだよ。だってさ、普通の学校のテストとかじゃなくて、高校入試だよ。そんな大事な時にさ、バレれば不合格とは言わないまでも、何かしらのペナルティは受けそうなものなのに、”退室する時、私とのすれ違いざまに、私の机に自分の消しゴムを置いていく”なんて、あり得ないでしょ」


 そう。西条はあろうことか、試験が終わり、消しゴムがない様子だった私を見つけて、なんと退室中に、私が恨みがましい目で西条の背中が出ていくのを見送っている間に、消しゴムをポイっと、まるで五円玉を貯金箱に入れるような気軽さで私の机に放り投げていたのだ。こいつのことを少なからず知った今となってはそこまで驚きはないけれど、全くの初対面だったあの時は衝撃的だった。消しゴムを無くした時以上に衝撃だった。まずすれ違いざまに消しゴムを落とすという発想もそうだし、それを実行するのも常軌(じょうき)(いっ)している。その時のおかげで西条同様、無事私も合格することができたのだけど、もうその時は感謝を通りこして馬鹿じゃねぇかこいつとさえ思っていた。


 が、私はそうでも、やっぱり当の本人にとってはそうでないのか、


「んー。そんなに変かな。絶対成功するって確信があるならやると思うけど」


 と、何故か不服そうな顔で(うな)る。


 しかし、こいつは全く分かってない。確かに成功の確信があればやる人間はいるだろう。が、それはきっと、その相手が、好き相手とか、友人とか恋人とか家族とか、そんな打算か、親密な関係にある場合だけだ。


 誰が赤の他人、それも偶々(たまたま)入試会場で出会った、異性とはいえ、別にそこまで可愛くもない、どこにでもいるただの女子にそんなふざけたことをしでかす奴がいるのか。いや、いるわけがない。いていいわけがないのだ。


「しかも入学式でその感謝ついでに訊いてみたら「え?何のこと?」とか言ってくるし。その時分かったよ。あ、こいつ馬鹿なんだって」

「会って二回目で俺、そんな風に思われてたんだ……」

「それだけじゃないよ。二年になって同じクラスになって話したら、もうそれ以上だった。なんか朝から呪詛(じゅそ)呟いているわ、運動神経はそれこそ呪いでもかけられてんのかってくらい酷いわ、推理オタク過ぎるわ、空気読まなすぎるわ、鈍すぎるわ、思ってた以上に馬鹿で、思ってた以上にキモくて、思って以上に怖かった」

「そ、そこまでですか……」

「そうだよ。そう、だったんだけどね――」


 私は、スカートの(すそ)をきゅっと引っ張った。きっと帰ったら「せっかく綺麗にアイロンがけしたのに」と腹を立てたお母さんからアイロン代の特別(とくべつ)手当(てあて)を請求されることだろう。だけど、今のこの私がすべきことは腹を立てられるのを回避するのではなく、腹を決めることだ。お母さんには悪いが請求費用は娘の成長と幸福で弁済(べんさい)させていただく。

 

 一度口を開け、閉じ、そして、もう一度大きく開ける。


 そして、私は言った。



 ――「思ってた以上に、あなたは、優しかった」



 ――「思ってた以上に、あなたは頭がよかった」



 ――「思ってた以上に、あなたは可愛かった」



 ――「思ってた以上に、あなたは格好良かった」



 ――「思っていた以上に、私は——



 ――あなたが好きでした」



「西条こころくん。あなたが好きです。私と、付き合ってください」

 

 最後の方はなんか涙が出てきてまともに発音できなかった。


 ああ、私っていっつもそんな感じだった。


 とにかく間が悪くて、ミスしちゃダメな時に失敗して、成功しなくてもいい場面で成功する。


 けど、今回は言った。


 どんなに(つたな)くても、どんなに不格好でも、どんなに成功確率が低くとも。


 私はやり()げたのだ。


 何もかもが中途半端だった私が、初めて、何かに本気で挑めた。 


 今までのどうしようもない自分を、好きな人にさえ何も伝えられずじまいだった私が、嫌いな私を、私はようやく好き、とまではまだ言えないかもしれないけれど、認めてやるぐらいには、なれたのだ。


 よくやった、私。


「………」


 西条は、黙っている。


 照れているのか、笑っているのか、困惑しているのか。下を向いているから彼がどんな表情をしているか分からない。

 

 けど、(のぞ)(うす)だとは思った。

 

 それはそうだ。

 

 まだ本格的に知り合って二か月弱ほどしか経っていないのだ。

 

 いや、それ以上に西条が私を好きになってくれる要因が少なすぎる。私に魅力が少ないというのもそうだが、これまでの経験上、西条のリアルな色恋に対する感性は尻別川(しりべつがわ)でイトウを釣り上げる可能性よりも低い。同級生の女子のシャツを平気でめくり、ブラ紐を見ても表情ひとつ変えない、恋愛においてはほんとにぬぼーっとした魚みたいな野郎なのだ。それなのに書かれる小説のキャラの感性は豊かなのがもはや手に負えない。

 

 けど、それがなんだ。

 

 だったら成功するまで何度だってやってやるだけだ。

 

 釣れないなら中の魚を全て釣り上げ尽くしてやる。

 

 絶滅してるなら生み出してやる。

 

 どれだけ迷惑でも責任はきっちり果たしてもらう。

 

 

 ――お前が私の夢を、作ってしまったのだから。


 

 そして、どれくらいが経っただろう。感覚的にはイトウどころかシーラカンスの生息期間程の時が流れたように感じられた。


 が、リアルタイムでは一分ほどしか経っていなかったたらしい。

 

 時間符と長針と短針だけが壁に取り付けられたシンプルな壁掛け時計は午後7時59分を示している。そして両手を合わすように二つの針が8に重なった、その瞬間――


「…………だ」

「……え?」

「……うだ」


 小さく、西条が何かを呟いた。……うだ?うだって、なんだ?宇多津(うたづ)?宇田川?それとも剛田(ごうだ)?なんだ?まさか、かのキャラクターの名言『お前のものは俺のもの』、つまり間接的なイエスの返事という解釈でいいのだろうか?いいのでしょうか?いや、なんてわかりにくい返事なんだ。  


 ……しかし、イエスをいただけるならそれがどんな抽象的なアブストラクショニズムでもジャイアニズムでもなんでもいい。 


 体中から沸騰(ふっとう)するような音が聞こえてきた。おそらく私の体内の血液全てがコポコポ煮え立っている音だ。スカートの皺も、私の熱で治っているだろう。


 しかし、それで私がお母さんに謝らなくてよくなったということはない。だって私は西条にイエスの返事をもらい、そして今いる場所は二人きりのホテルだ。いかに私がプラトニックでアルテミスの生まれ変わりだとしてもずっと思い続けてきた相手に交際オーケーの返事をもらい、こんなところで何もしないなんて、そんな誓いは、操は、立てられるわけもない。


 私は静かに、一歩西条に近づく。


 一歩。また一歩。ふんわりとしたやわらかい照明の中、同じくらい柔らかい絨毯(じゅうたん)の上を歩く。そして(はや)動悸(どうき)を抑えながら、彼の前に立つ。


「西条――」


 名前を呼び、しゃがんだ。そして(いま)だ下を向く彼の金色の髪の毛に触れた。


 私のよりもさらさらしていて気持ちがいい。さらにその奥。白い、すべすべした陶器みたいな肌に触れる。それでも一切西条は反応せず、私は不安になってしまうけれど、それでも、言葉なんていらない。だって私はこれからそれ以上に明白な答えをもらうのだから。推理小説風に言うなら言葉じゃない、証拠を。


 間接照明の中でも尚輝きを失わない宝石みたいな彼の唇に私は目を止めた。怪盗のようにそっと息をひそめる。目を閉じた。閉じた視覚の代わりに敏感になった聴覚から西条の小さな息遣いが聞こえてくる。その方向に向けて、私は顔を近づけていく。怪盗という比喩はこれ以上ないほど適切だった。だって私の唇はその宝石をこれから奪い去ろうとするのだから。それこそ怪盗が盗むように――


「……うだ……うだ」

「へ?」

 

 ――が、またしても聞こえてきたそんな呟きに、私の唇は寸前で止まってしまった。

 そして――


「……『そ、うだったんだけどね』……そ、おだ。おうだ。おうだ。おうだ……殴打!そうだ!

殴打!そうだよ!殴打があるじゃないか!殺害方法が難しいって言うんだったら、あえて簡単な、証拠が残りやすいような殺害方法にして、けどそれでも犯人が見つからないっていう構成にすればいいんだ!そうだよ!何でこんな簡単な方法思いつかなかったんだろう!ってこのセリフすごい名探偵っぽい!」


 ……無言で、私は唇を引き、体も引いた。


 ……ああ、そうだ。そうだったよ。またしても忘れてた。そしてまたしても思い出した。こいつは、こういうやつだった……。


 きっと私に髪や体を触られて尚黙っていたのは、私の告白の途中、さっき柔和さんに指摘された『殺害方法が難しすぎる』という訂正箇所の修正方法を思いつき、考え込んでいたからなんだろう。


 「そう、だったんだけどね……」という私の台詞から、『そうだ。そ、おだ。おうだ。殴打』と、どっかの化粧の濃い男性芸人のネタみたいな思考方法で、思いついたから。


「……うだ」というさっきから呟いていた謎台詞は、無意識にその思考が口から洩れていただけに違いない。


 そしてこの分ではおそらくその後の私の告白など、一切聞こえていなかったことだろう。


 そうかそうか。そうなのかー。恥ずかしいなー私ー。


 ………。


「はー!よかった!これであの鬼編集に鬼の首を取ったような顔ができるよ。ありがとう!……ってあれ?獅子ヶ谷さん、何で笑顔で拳を振り上げてるの?背中の怪我に響くよ?」

「ううん。大丈夫。それよりも、手伝ってあげるよ」

「へ?な、何をですか?」


 人が笑顔を浮かべているのにも関わらず、青ざめ、ひきつった笑顔で私を見上げる西条。もう、失礼な奴だなぁ。せっかく人が――


 ――せっかく人が、小説のリアルな描写のために、ちゃんと殴打の味を味合わせてやろうっていうだけなのに。


「や、やめ!そんな取材はしたくな――」

「しねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇえ!このクソ推理小説家があああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」


 叫び、私の唇で奪われるはずだった西条の口は、代わりに私の拳に奪われる。西条はその残像を残し、ホテルの壁に吹き飛び、追突して意識を失った。


 怒った私はそのままホテルを出る。が、何の因果か、偶然居合わせた麗優と日輪に発見され、その後、永遠冷やかされ、死にたくなった。

 


 ……そうして、私の初告白は終わりを告げた。

 

 その後発売された西条こころ先生の最新作『テニスとJKの殴打』が先生の作品史上最大の発行部数を記録したことは、あえて告げないでおく。



 


ご一読ありがとうございます!次回が最終回です!よろしければご覧ください!

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