4
どよめき。
そう。きっとその表現が最も正しい。
なぜなら一番傍にいて、一番西条のことを理解していなければならない私が、一番動揺しているのだから。
信じられないことに。
あの西条が。
上乃宮から、サービスエースを取っていた。
それも、ものすごい、テニス部さながらの、コース、スピードともに完璧な、フラットサーブで。
わけが、分からない。
「な、なんで、西条――」
と、いつの間にかカラカラに乾いていた喉でなんとか問いかけようとしたタイミングで、私の脳のモニターに一瞬、ふっ、と、とある一つの映像が映し出された。
それは四時間ほど前の映像。
球技大会が始まり、私が日輪と麗優とともに、別種目に参加しているクラスメイトの応援という名の暇つぶしをするため、体育館に向かっている最中に見た、西条の姿を映した動画。
そうだ。
そこで、西条は、何をしていた?
そう。
壁に向かって、サーブを打っていなかったか?
が、それはよくよく考えてみればおかしい。
酷い言い草になってしまうが、だってあの運動音痴の権化たる西条だ。そもそもサーブなど打てるはずがない。
それなのに、あいつは、サーブを、壁に、打っていた。
そうだ。
ネタを探していたなんてバレバレの哀しい嘘が発覚したことに気を取られて、そっちの方に気が回っていなかった。
それにさっきくれたあの湿布。
西条は運動神経が悪く、たびたび怪我をするから、みたいなことを言っていたけれど、そしてそれはきっと事実なのだろうけれど、それももしかしたらずっとサーブの練習をしていたからこそのものなのでは?その際に生じる怪我の処置のために湿布を持ち歩いていたのではないだろうか。そして私の誘いを断っていたのも、その練習をするため、その練習に、運動音痴の自分に私を付き合わせたくなかったから断っていたのではないだろうか?
「西条、あんた……」
「ね?サーブ権持ったら流れが変わるって言ったでしょ?ストロークも練習しようと思ったけど、俺の運動神経じゃあたかが知れてるし。だったら即席でポイントが取れるサーブを練習しようと思ったんだよ」
西条は自信満々なんだか卑屈なんだかよく分からない台詞を言って胸を反らした。そして勝ち誇ったような笑みを浮かべる。あほか。流れが変わるどころか引いちまったつーの。
「……いやいや、流石にまぐれでしょ。何一回サービスエース決めたくらいで調子乗ってるわけ?」
とか考えていると、煽り運転の輩みたいな口調が向こうのコートから聞こえてくる。無論ラケットを餅つきの杵みたいに担いだ上乃宮のセリフだ。おいおい、お前は妨害運転罪が創設されたのを知らんのか。交通法規の中でもとりわけ罰則が厳しい法律なんだ。なめてると痛い目見ちまうぜ。
「よっ」
「はっ」
「はい!」
そしていざ試合が始まると、本当に罰則を与えるように、西条は容赦なく上乃宮とペアのイケメン君相手に何の捻りも工夫もないフラットサーブをポンポンポン打ち込んでいった。
これがテニス経験者相手ならば、それこそカウンターを喰らうところだろうが、どちらも運動神経抜群と言っても上乃宮とそのイケメンはあくまで初心者だ。種目を決めてからずっとそれだけを練習していたであろう西条のサーブを打ち返せるほどではない。サーブだけでポイントを得られるテニスという種目の特性をうまく西条が突いた形だ。
「な……!?うそでしょ……!?」
そして上乃宮の歯噛みとともに、試合はあっという間に第三ゲームへ。なんだかこの第二ゲームがピークな感じがあるが、おそらくこの西条のサーブ作戦が本領を発揮するのはここからだろう。というのも、
「……!?ちょっと!何であんたがサーブ打つのよ!さっきのゲームでもあんたが打ってたじゃない!」
あちら側のサーブから1ポイント取られた後、サーブ権が移り、すぐにサーブポジションに入った西条を見て、上乃宮が激高する。しかし、
「この球技大会のルールでは好きな方がサーブを打ち続けられるっていうルールだよ。そーですよねー甲斐先生ー」
「ん?お、おうーそうだー!」
西条にそんな意思があったのかはわからないが、まるで先程の意趣返しかのように、西条は甲斐先生に大声を出させて観客の笑いを誘った。きっとこれまで圧倒的に勝ち続けてきて、第三ゲームまで行ったことがなかったから、ルールを知らなかったのだろう。赤っ恥をかいた上乃宮は黙り込んでしまう。やーい!ざまぁみろー!べろべろべー!
っていかんいかん。こんな時に心の中指を立てている場合ではない。立つというのなら、私には立てるのではなく、役に立たなくてはならないことがあるのだ。
「それじゃ、ちょっと痛いだろうけど、あとよろしくね。獅子ヶ谷さん」
それを分かっているのか、西条はサーブを打つ一瞬前にこちらに一瞥をくれる。ああ、わかってるよ。やってやらあ。
西条がサービスエースを二本決める。そして逆に相手のサーブでは2ポイントを取られる。その流れを繰り返し、やがてポイントは私たちから見て6対5へ。
つまり、マッチポイントまでやってきた。
そしてここで一つ、テニスの知識のおさらいだ。
テニスには卓球やバドミントン同様、ポイントが40対40、つまり3対3だったり、今のようなタイブレークで6対6になったりした場合にデュースが適用される。
つまり先に2ポイント差つけた方が勝ちというルールだ。
ここで西条のサーブ作戦は最も力を発揮する。
何が言いたいかと言えば、それはシンプルもシンプル。西条がサービスエースを決め続ける限りは引き分けはあっても、負けはしない、ということだ。
これはテニス風に言えば大きなアドバンテージだ。
なぜなら私みたいな素人かつ小心者で怪我人でも、安心してサーブリターンからリスク度外視の強力な球を打てるということなのだから。
普通のストロークが打てない西条の代わりに、背中の痛みを我慢して私が一発でも、一発でもいいから、ウィナー、もしくは相手のミスを誘えるような高威力なボールさえ打てれば、その時点で私たちチームの勝ちとなる。おそらく西条はそれを期待してさっき私に「ちょっと痛いだろうけど、あとよろしくね」と言ったのだろう。
「………ふー」
サーブ前にボールをつくという、あの初心者からすれば全く意図が分からない謎動作を行いながらこちら睨んでくる上乃宮を見据え構えつつ、私は大きく深呼吸する。
背中が痛い。
鼓動が速い。
脳が鈍い。
今すぐ保健室に行きたい。
でもそれ以上に、西条と勝ちたい!
上乃宮が太陽に重なるようにトスを上げた。
――その瞬間、私は右へ向けて動いた。
「……っ!」
賭けが当たったのだろう。上乃宮はその私の動きを見て、一瞬硬直した、そして私が動いた方とは逆、つまり左方向へサーブを打つべくフォームを修正する。しかし、それも読み通りだ!
「……しまっ!?」
上乃宮は呻く。ディノハリアリ以上に腹が黒い野郎だ。きっと私が勘を的中させれば即座に軌道修正してくると思っていた。
不安定な体勢ながら上乃宮はサーブを放った。が、フォームを修正したせいでサーブの速度は私が親に成績表を持って行く時ぐらいまで落ち込んでいる。おまけにコースも、不甲斐ない成績を親に叱られ、今日から毎日勉強するぞっていう私の決意くらい短い。
そして。そう。
私は根性なしの卑怯者だ。
頭もよくないし、運動もそれほどできないし、容姿も麗優から指摘される通り、良いのか悪いのかよく分かっていない。
そのくせ努力もあんまりしないんだから手に負えない。もしかしたらまだ上乃宮の方が上等な部類の人間なんじゃないかと思うほどだ。
けど。
そんな私でも。
頑張れる時だって、ある!
ボールが来る。
構える。
足に力を籠め、土台をしっかり作る。
そして、上乃宮が手を伸ばしても絶対に届かない場所を意識して、とある一つの私の原動力を気持ち悪いくらい思いっきりぶつけるように、安物ラケットを、振りぬく!
――絶対、私がマッチポイント決めてチームを優勝に導いてやったぜって西条とのツーショット写真付きで投稿してSNSバズらせんだごらあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ”ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!
私のアレな思いを乗せたボールはネットスレスレを超え、上乃宮側のベースラインとダブルスサイドラインが交わるコーナーを一直線に目指す。
「……くっそ!」
完全に虚を突かれた形になった上乃宮は出遅れるも、しかし流石の運動神経で尻に火ならぬ足に火をつけたように、ロケットスタートで飛び出す。
月へと届けと言わんばかりの勢いで、上乃宮のラケットがボールに向けて伸ばされる。
が、
「っ……!」
私のわけのわからない、宇宙猫的な意味不明な思いが力となったのか、地球を閉じ込める大気圏のように伸ばされる上乃宮のラケットを、しかし私のボールは、上乃宮の足以上に、ロケットのように貫いた。
そしてやや遅れて、
がしゃん。
ボールがフェンスにぶつかる音が、響く。
そんな、それこそ宇宙みたいな静寂の中で唯一響いた音。
それだけが、私と西条、ひいては二年一組の勝利を知らせる鐘だった。
ご一読ありがとうございました!続きもよろしければご覧ください!