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「ごめんね、負けちゃった」
あまり人生において負けるということを経験したことがないせいか、麗優はベンチに戻ってくると、申し訳なさ以上に悔しさを奥歯から滲ませたような口調で私たちに謝った。
あれから。
麗優たちがマッチポイントを迎えて以降あれから。
奇跡、もしくは絶体絶命の危機に陥ったことで麗優の髪の毛が真っ白になってデビル化することで大逆転、なんてことも起こるわけもなく、麗優チームは残念ながら負けてしまった。
が、別にそれでも謝ることは全く以てないだろう。麗優組は日輪組同様これまで勝ち続けてきたのだ。感謝することこそあっても、謝られる謂れは一切ない。むしろ私たちこそ謝らねばなるまい。本当にごめんなさい。
「ほんとだよー私たちは勝ったのにーだめだなー」
「黙れ」
「ぶりゃあ」
空気を読まず満面の笑みで人差し指をふりふりしていた日輪だったが、麗優にもちろん、もちもちほっぺを右手で、もちもちおっぱいを左手で握りつぶされ(いいぞもっとやれ)、言葉ともうめき声ともつかない声を漏らした。ぶりゃあて。
麗優は日輪のほっぺたとラクダのこぶと大差ないソレ(おっぱいのことだ)を鷲掴みにしたまま私と西条に向き直ると、
「というわけで、ごめん。ななせ、西条君、あとよろしくね」
そう言って小さく頭を下げる。
「うん。任せてよ」
「何故に、お前が得意げ……」
任せられない日本代表だろ、お前は。まぁ、その気遣いの精神だけは好感度をアップさせてやってもいいが。
それに、西条だって人間だ。……いや、人間であるか怪しい時もあるが、とにかく西条の運動神経も最悪人間の一段階下位よりはマシぐらいの存在であるわけなので、つまりもしかしたら相手も西条と同レベルの運動神経の持ち主という可能性もある。
それに能力値としては人類平均スレスレか怪しい私もいる(なんのフォローにもなっていない気もするが)。運が良ければ総合力で相手チームより勝っている可能性は少なからずあるのではないだろうか。
が、しかし、対戦相手と試合前の挨拶をするべくコート内のネットに向かったところで、そんな私の能天気な考えにはすぐさま暗雲が立ち込めることとなった。
「あれ、ななせじゃん、やっほー」
「…………」
それこそ能天気な口調でそう呼びかけきた、対戦相手であるその金髪女に、私は内心、幽霊族の生き残りの親子の生活を描いたアニメのタイトルの一文字目から三文字目までを復唱した。
よりにもって対戦相手こいつかよ……。
私は改めて、自信満々に、恥ずかしげもなくジャージの胸元を開けて居丈高に立つその女を観察する。
髪はやけにカールした、ブロンドロング。
身長は麗優と同じかそれ以上、つまり結構でかい。
無駄に足が長いせいか、学校指定のジャージが全く似合ってない。
顔には大きいが、しかし怖いぐらい吊り上がった吊り目がでかでかと鎮座している。
上乃宮孔雀、
中学の時のクラスメイトだ。
もっともメイトとは言っても友達ではなかった。
所属するグループがまるで違ったからだ。
カーストで表せば、あっちは派手。こっちはその一つ下か二つ下の地味目。
そのくせして、やたらさっきみたいに下の方にもしつこく絡んできて鬱陶しかったのを覚えている。
これで劣等生だったりすればまだ可愛げもあるのだが、意味わからんことにこういうやつが頭もよければ運動神経もいいというのだから神様は信用ならない。SNSでも私よりバズってやがるし……。せいぜいこいつの好きなところと言ったら私より胸が小さいことくらいだ。……あれ?意外と良いやつなのでは?……なんだか自分がものすごく小さいやつな気がする。二重の意味で小さいような気がする。ってやかましいわ!
「獅子ヶ谷さん。知り合い?」
少しでも場慣れしてるやつならこういう時は話題に入るのを尻込みしてしまうものだが、どこまでもこいつお人好しらしい。西条はそう呑気に尋ねてきた。
「……まぁ、一応」
「えー、一応って酷くない?わたしら友達じゃーん」
髪の毛が天を衝きそうだった。髪の毛針を喰らわせてやりたい。その髪の毛みたいに細くて薄っぺらい台詞を吐くやつはこれまでに何人かいたが、それを言う奴で実際友達になったのはあのやけに語尾が間延びする胸がメガ進化したミュージシャンの野郎ただ一人だ。
「その子がななせのペア?」
「あ、ども。西条です。よろしく」
「……ふうん。ま、いんじゃない。じゃ、頑張ってね」
一方的に西条を観察し。一方的に励ましに見せかけた悪口を浴びせ、そして一方的に握手もせずに上乃宮は去っていった。おい、西条に言いたいことがあるなら私がいくらでも聞いてやるぜ。どうせ頼りにならそう、とかそんな浅い観察をした気になってるだけなんだろうが、こいつはそんな甘いもんじゃない。逆にこっちが頼られるまであるんだぜわかったかばーかってあれ?全然にフォローになってない?
あと、完全に空気になってしまっていた、上乃宮のペアのイケメン男子といえば、普通に挨拶して普通に握手して、その後普通に苦笑いしながらサーブ権を決めると(サーブ権は上乃宮チーム先行に決まった)将来は優秀なお局になることを嘱望されている女のもとへと走って行った。なんだかそれだけですごい良いやつに見えるから不思議だ。映画版ジャイアンに似たものを感じる。
「ごめんね。なんか」
試合を始めるべくコート後方に戻りながら、一応、西条に謝っておいた。たぶん私のせいじゃないし、鈍感なこいつは気にしてもいないだろうが、人にまじまじ、それもあの女に観察されるのは、決して気持ちの良いものではなかっただろうからだ。が、しかし案の定、こいつは全く気にならなかったらしく、
「別にいいよ。でも、なんかパニック映画で真っ先にサメに食われそうな感じの人だったね」
その西条の台詞を聞いた瞬間、私の足は新規オープンしたパンケーキ屋を発見した時のように止まった。前を歩いていた西条が不思議そうに振り返る。
「ん?どしたの?」
「……いや、あんたがそんな感じのこと言うのが意外過ぎて。あんたも意外と人のこと推察できるんだなぁって」
「いやいや、俺の職業忘れたの?」
「なんだっけ?呪術師?」
「あれ?ほんとに忘れられてる?」
吹き出した。さっきまでのトゲトゲしていた心が丸くなっていくのを感じる。
そうだ。あの金髪貧乳(貧乳!)女にいらついていたせいで忘れていたけれど、そうだ。こいつと一緒にいると、私は嬉しいし、楽しいのだ。いけないいけない。あんな今にもカーリングができそうな胸の女に気を取られて、西条と一緒にいられる幸せを噛みしめることを失念していた。
「ねーさっさと持ち場についてくんない?はじめらんないんだけどー」
とか思っていると、呼んでもいないのに、遠くからお邪魔虫の鳴き声が聞こえてくる。っせーなー、ぴーちくぱーちく。今いいところだろうが。囀るな。お前だってさっきさんざん言わなくてもいいこと喚いて、開始時間引き延ばしてただろーが。
が、しかし、言っているやつが正しくなくとも、言っていること自体は正しいということはままある。現に決勝戦を見に来たわが校の生徒たちの私達を見る視線は上乃宮の言う通りだ、
私は西条と小さく笑い合うと、そそくさと互いに自分の持ち場につく。あいつごときに正しく怒られるなんて、私の人生史にあってはいけない。
それにせっかく西条とペアを組めたのだ。そんな楽しい時間をあいつが介入してきたくらいで奪われてなるものか。あの女が出てきた時点で既に勝ち目はゼロだろうが、なぁに、麗優や日輪には申し訳ないけれど、仮にテニスで負けたとしても私は私が楽しめれば、それで私は勝ちなのだ。勝ち目はないが良い目には遭ってやろう。
そう。
そう、私は思っていた。
けれどそれがまさか、あんな結果になろうとは。
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