6. 川面を吹き抜ける風に
6. 川面を吹き抜ける風に
日曜日、いつもと同じように、悠斗と由美は河川敷でトランペットを吹いていた。
日の光にきらきらと輝く川面。
遠くでキャッチボールをしている少年たち。
橋の上を颯爽と走り抜ける自転車。
穏やかな風に優しく揺れる草原。
そんないつもの風景を、由美の音と悠斗の音とが織りなすベールが、ふわりと包み込んでいる。悠斗自身も由美とともにベールに包まれて、その一体感に身を委ねていた。
練習室で吹いた数日後、由美は長沼先生に入部届を出して、正式に入部した。練習参加はその都度調整することになった。悠斗は、最初からそれしかないじゃん、なんて思っていた。
あれから晃一は、由美に関して否定的なことを一切言わなくなったし、むしろ気さくに会話している。この数ヶ月で一番大きく気持ちが変わったのは神崎先輩かもしれない、と悠斗は思う。
ソロを取る取らないについて、晃一がどう思っていたのか、結局は分からない。由美は入部が遅かったので、少なくとも夏のイベントまでの曲ではソロを吹かない見込みだ。その後は、晃一たち3年生は引退になるだろう。
川面を吹き抜ける風に、夏の訪れがすぐそこにあるのを感じる。悠斗は楽器を下ろして、風が汗を連れ去っていく爽やかさを、しばらく楽しんだ。
由美が穏やかに話しかける。
「なんか嬉しそうだねぇ」
「そりゃ嬉しいよ。由美と一緒に吹部やれるんだから」
悠斗も穏やかに答えた。
由美は地面に視線を落とし、しばらく何かを思ってから、また顔を上げた。
「悠斗は心根が真っ直ぐだよね」
由美がそう思って好感を持ってくれるのは、素直に嬉しい。でも実際の自分はどうだろう。悠斗は飾らずに答えた。
「そうか? 入ってまだ数ヶ月なのに、吹部の人間関係めんどくせぇとか思ってるよ」
素のままの悠斗の答えを、由美は微笑みで受け止める。それから、柔らかさの中にも少しだけ芯の入った声で言った。
「そう思ってても真っ直ぐじゃない? 私、そんな悠斗に嫌われたくなくて、ずっと言えなかったことがあるんだ…… 言っても嫌いにならない?」
もう、由美のことは何でも受け入れられる気がする。悠斗は穏やかな気持ちのまま、答えた。
「嫌いにならない自信しかないな」
由美は少しだけ深く息を吐き、ゆっくりと微かに肩をおろした。そして、前を向いて遠くを見る目になる。川面がきらきらと輝いている。
「あのね、里高サウンドが好きだな、って思い始めたの、実は去年の定演からなんだ。私、中学の頃は、本心ではかなり尖ってた。周りの子の練習方法とか、演奏とか、音とか、練習態度も、色々許せなくって。里高の定演も、友達の付き合いで行ってたけど、正直、上から目線で聴いてたかも。隠そうとはしてたんだけどね。それが、吹部辞めてから、ようやく色々考えて、悩んで、それで周りに対しても色んなことが許せるようになってきたの。素直になって聴いたら、里高サウンドっていいな、って思うようになって」
「なんとなく、想像はついてたよ?」
悠斗の声は穏やかなままだ。
由美は、悠斗を見て優しげに微笑んでから、続けた。
「瑠奈先輩は、私の数少ない味方だった。悠斗が話を聞きに行った先輩が瑠奈先輩で良かった!って、あのとき心底安堵したの」
「俺が聞きに行ったこと、瑠奈先輩から聞いたの?」
「その夜すぐにね。悠斗のこと、めちゃくちゃプッシュされた」
「まじか」
少しだけ照れの入った悠斗を見て、由美はふふっと微かに笑う。そうしてから、自分自身を見つめるような目になった。
「でも私、根っこの部分は全然変わってない。これが私なのかも、って思うの。ねぇ悠斗、こんな私でも嫌いにならない?」
嫌いにならない?と言われて、悠斗の声に少しだけ熱が籠もった。
「全然嫌いにならないな。由美は明るくて人懐っこくて笑顔も素敵だし」
「仮面だよ仮面! 本当は変に気が強くて、強情で、意地っ張り」
悠斗は由美を見やる。そして、はっきりとした声で言った。
「ただの仮面なら、こんなにずっと続けていられないだろ? 気が強くて意地っ張りなのも、明るくて人懐っこいのも、どちらも由美の根っこなんじゃないかなぁ。俺はそんな……」
由美が好きだよ、と言いそうになって、悠斗は慌てて言葉を飲み込んだ。あれ? でもこれって言っちゃいけないことだっけ? と思っていると、由美が悠斗の言葉を継ぐように、
「私のこと、好き?」
と、少しだけ、はにかむような笑顔を見せた。
「うん。大好き」
悠斗は素直に答える。
由美は爽やかな笑顔になると、声を大きくして言った。
「私、里高に入って、悠斗と同じクラスになって、本当に良かった! ねぇ悠斗、あのとき橋の上から私を見つけてくれてありがとね。今、こんなに穏やかな気持ちでいられるの、悠斗のおかげだよ」
言葉とともに、由美の想いが悠斗の胸の中へ清流のように流れ込んでくる。由美の想いを受け止めて、悠斗も言葉に想いを込めようとした。
「それは、由美の音が聞こえたからだよ。あのとき、由美が俺を呼んでくれたんだ。だから、由美を見つけることができた。あのときから色んなことがあって、こうして由美のそばにいることができて最高だよ。俺の方こそ、本当にありがとう」
本当は、もっと上手く気持ちを伝えたい。トランペットだけじゃなく、言葉の方だって、うまく表現できるようになりたい、と悠斗は思った。
でも、悠斗の言葉を聞いた由美が、嬉しそうに微笑みながら頭を悠斗の肩にのせて来たので、良しとしよう。
最後まで読んでくださいまして、ありがとうございます。
恋心が芽生えて育っていくのは、その人と話したり一緒に過ごしたりしている時だけじゃなくて、その人のことを考えながら、他の人と話したり一緒に過ごしたりしている時もだよね、というのを、物語にしてみたいと思いました。
あと、「好き」とはっきり言うのは男の子の方だけ、というのも、ありかなぁと。
吹奏楽部のことを吹部というのは、全国区なのでしょうか。