5. トランペット三重奏
その日の悠斗は、ドキドキと緊張するような、ワクワクと期待するような、とにかくそわそわと落ち着かない気持ちで過ごした。由美が楽器ケースをロッカーに仕舞っているところを見たりすると、なおさらだった。なんてことはない、ただ合わせてみるだけだし。そんな風に自分に言い聞かせたりした。
一方の由美は、悠斗から見れば全くの普段通りで、いつもと同じように友達と笑い合い、悠斗とふざけ、真剣な面持ちで授業を受けていた。
午後の授業が終わり、悠斗と由美は練習室へ向かう。そっと扉を開くと、まだ誰もいなかった。なんとなくトランペットパートの位置に楽器ケースを置く。由美は準備が早い。早速、音を出し始めた。悠斗も自分の楽器を用意した。
ほどなくして、秀治が、続いて晃一が練習室に入って来た。秀治はもちろん、晃一も、由美と直接会うのは初めてなので、「はじめまして」の挨拶が交わされる。秀治は何をかしこまっているのか、
「塩野がお世話になっています」
なんて言っていた。晃一はちょっと緊張しているようだ。表情が固く、いつもより口数が少なめだ。
部活が始まるまで、あまりのんびりしている時間はない。それぞれが少し音出しを終えたところで、早速合わせることになった。適当にパートを振り分ける。そのとき、楽器をケースの上に置きっぱなしにしている悠斗を見て、秀治が言った。
「おい塩野、何やってんだ?」
「あ、俺も吹くんですね」
「お前も里高トランペットだろ?」
そう言われると嬉しい。悠斗は素早く楽器を手に持った。この前、音が変わってきたと秀治に言われた時はとても嬉しかったのだが、それでもやっぱり、自分の音は如何にも初心者な音なので、とてもアンサンブルには参加できないと思っていたのだった。
ザッツ(合図)は晃一が出す。練習室にトランペット三重奏が響き渡った。
(由美って…… 本当にすごい!!)
最初の音を聴いた瞬間、悠斗は激しく感動した。普段から先輩の音も由美の音も深く聴いていた悠斗には、よく分かる。先輩の音にピタッと由美が寄り添っていた。美しいハーモニー。
悠斗は、由美と先輩の響きを聴きたいばかりに吹くのをやめて、楽器を構えたまま聴き入った。響き合う音の美しさにも感動したし、由美の表現の幅の広さにも感激して、悠斗の目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
ぼちぼちと部員が練習室に到着し始める。最初に扉を開けたのは瑠奈だった。急いで来たのか、少し上気している。演奏中の由美たちを見て、にこにこ顔で近づいて来た。
演奏が終わる。晃一は緊張がほぐれてきたのか、悠斗が目をうるうるさせているのを見て、
「なんだよ塩野、そんなに松井さんが来てくれたのが嬉しいのか?」
と、ちょっとだけ揶揄うように言う。悠斗は、
「当たり前じゃないですか」
と言いながら、袖で目を押さえた。そんなことよりも三重奏の音に感動していたのだけれど、由美が来てくれた嬉しさも入っていたから、嘘ではない。すると秀治が、
「じゃあパートを替えてもう一回。塩野、今度はちゃんと吹けよ」
と少しニヤッとした。そりゃバレるよな、と苦笑いしながら、悠斗はトランペットを構える。
2回目の演奏中に、トランペットパートの部員が次々と練習室に到着してきて、演奏に合流した。3回目にはパート全員での合わせになった。
◇ ◇ ◇
合わせが終わると、秀治がいつものように淡々と、しかし深く感心したように言った。
「うん、初めてなのにしっくりくる。松井さんって上手いな」
晃一もそれを受けて、
「だな」
と、短く応じる。
「由美、このまま入部しちゃえば?」
瑠奈が笑顔で、けしかけるように言った。由美は遠慮がちに答える。
「あ、でも、私、練習出られないし」
「時々なんだから、そこは何とかなるでしょ。ねぇ神崎先輩」
瑠奈は晃一の顔を覗き込む。その笑顔を見て、これじゃダメとは言えないじゃん、と悠斗は思った。晃一は気押されるように、
「あ、あぁ」
と頷く。
瑠奈は由美に振り返ると、質問してるけど決定事項、のように言った。
「じゃあ、とりあえずさ、今日吹いてったら? 今日は大丈夫なんだよね?」
由美は笑い出して答えた。
「え? いきなり?」
すると瑠奈は悠斗の袖を引っ張って、
「今日は合奏だけど、塩野くんが吹くくらいだもん。初見でもいけるって」
突然引き合いに出された悠斗は、慌ててリアクションする。
「それどういうことですか…… って、そういうことですよねー」
実際には、悠斗が河川敷で練習している時に由美も一緒に吹いたりしていたので、完全な初見ではないが。
「えと、皆さんが良ければ」
由美は周りを見回した。するとトランペットパートの部員だけでなく、何となく話しを聞いていた他パートの部員まで頷いていた。
端っこの悠斗の席の、さらに隣に椅子を置く。譜面は悠斗と共有する。こうして由美の席を作った。トランペットパートの面々は、
「おぉ〜、うちのパートに女子が……!」
なんて軽口をたたいている。悠斗はそれを片耳で聞きながら、
(あれ? そう言えば、いつの間にか男子の数を気にしなくなってたな)
と思っていた。自分のそばに由美がいればそれでいいや。そんな感じ。我ながら、ちゃっかりしてると思った。
チューニングと、学生指揮による基礎合奏が終わると、長沼先生が指揮台に立った。
「さぁ、この曲は最初の合わせですね。初心者の人は初めての合奏です。楽しんでください。では頭から! 最初に4拍振るので、その後入ってください」
長沼先生が指揮棒を上げ、それと同時に部員も楽器を構える。長沼先生は確認するようにササっと全体を見回したが、トランペットパートの端に目をやった瞬間に、
「おぉっ!松井、来たのか!」
と、手を上げたまま、驚きの声を上げた。部員たちから笑いが漏れる。指揮台の近くに座っているフルートの和美が、呼びかけるように片手を頬に当てて、
「仮入部ですって!」
と長沼先生に言った。長沼先生は笑いながら、
「そうか、仮入部か。でもあれだ、このまま3年まで仮入部しててもいいんだぞ」
と言った。
相変わらず気楽な誘い方だなぁ、と悠斗は思った。