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4. 里高サウンド

「悠斗くん」


「なんでしょう、由美さん」


最近の2人は、相手に物申したりツッコミを入れたりするとき、ふざけて下の名前で呼ぶようになっていた。例えば、悠斗のペットボトルを由美が取り違えたとき、「ちょっと由美さん、それは俺のお茶」といった具合に。しかし今回は、いつになく真面目な雰囲気だったので、悠斗はおどけて答えながらも、少しだけ緊張する。


「悠斗くん、もしかして、私の音を真似しようとしてる?」


「ん? 最初っから、そのつもりだったけど?」


そう言えば、由美の音が好きとは言ったけれど、由美と同じ音を目指してるとは、あまりにも身の程知らずな気がして、言ったことはなかったかも。悠斗はそんなことを思いながら答えた。


「そっかー。そう思ってくれるのは嬉しいけど。他の人の音も聴いてる? 例えば、先輩の音とか、プロの演奏とか。クラシックとかジャズとかもあるし」


「聴いてると言えば聴いてるけど……」


あんまり聴いてないかも、と言う本音はごくんと飲み込んだ。


「トランペットは私だけじゃないし、悠斗はもっと色んな人のを聴いた方が良いと思うんだよね」


由美は、どちらかと言うと、自分自身に言うように呟いた。悠斗を呼び捨てにしたので、そう見えただけなのかも知れない。ただ、そんな由美の姿を見て、悠斗はだんだん素直な気持ちになって来た。


「俺の中に入ってきた音が、最初に音楽資料室で聴いたのと、由美さんのだったから。言われてみれば、それに夢中になり過ぎて、他の音には耳を向けてなかったかも」


すると由美は、悠斗の方に顔を向けて聞いた。


「悠斗くん、里高の定演に行ったことある?」


「ううん。なにしろ、吹奏楽に興味を持ったのが高校に入ってからだから」


「私、小5の頃だったかな? その頃から毎年行ってる」


「そんなに前から?」


「うん。お姉さんが里高吹部だった友達がいてね、一緒に聴きに行ったのが最初。結構好きなんだ、里高サウンド」


由美はちょっとだけ照れたような笑顔になる。


好きなんだ、里高サウンド。でも里高吹部には入部しない。由美の気持ちにはどれほどの葛藤があるのだろう。悠斗は由美の笑顔の裏に思いを巡らせた。そして、由美が吹奏楽部で一緒に吹いている様子を想像する。


「里高サウンドって、何年も変わらないものなの? その、部員って入れ代わるのに……」


「もちろん少しずつ変わってると思うけど、里高サウンド!っていう感じは変わらないんだよね」


「里高サウンドかぁ。もちろんトランペットも含んでるよね」


「うん。含むと言うか、私はどうしてもトランペットに耳が行っちゃう」


由美の笑顔に、そうなっちゃうんだよね、という雰囲気が加わった。

悠斗は、そんな由美の表情を伺いながら、ほんの少しだけ遠慮気味に言う。


「なんか…… 由美さんが好きって、その、意外というか……」


「私の音と違うから?」


「うん。……でもそれって、絵を描く人が、自分とは違う絵柄も好きになるのと、同じようなものなのかな」


「きっとそれと同じだよ」


由美は悠斗に、にこにこしながら言った。

そしてトランペットを構えて、音出しを始める。「基礎練習だよ」と言って、いつも吹いている曲。その音は、どことなく「里高サウンド」に寄った音のように、悠斗は感じた。



この日のこの短いやり取りは、悠斗の心の中に大きな出来事として残った。最初に河川敷で出会ったとき以来初めて、ほんの僅かとは言え、由美が吹奏楽部の話をしたからだ。これまで吹奏楽の話は沢山してきたけれど、吹奏楽部の話はしていなかった。


悠斗は、瑠奈と話してからずっと、由美の中学時代のことを気にしていた。でも、それを由美に直接尋ねようとは思わなかった。尋ねて聞き出したところで、あるのかないのか分からない「良くない噂」をどうにか出来るとは思えなかったし、それならば、悠斗が無闇に聞き出すものではない、と考えていたからだった。


それが、由美の方が自ら、ほんの少しだけ話してくれた。悠斗は、自分と由美との距離が少しだけ縮まったように思った。


◇ ◇ ◇


悠斗は当然、先輩たちの吹き方も参考にしていた。しかし由美に言われて思い返してみれば、由美の音を見るときよりは、一生懸命さが少なかったかもしれない。


その日以来、悠斗は由美を観察するのと同じように、先輩を観察するようになった。

先輩の姿勢、先輩の息遣い、口の形、音出しまでのアップの方法、練習メニュー、指の形まで。そして、自分でも真似してみて、音がどう変わるのかを、悠斗なりに研究した。



そんなある日、パートごとに各教室に分かれて個人練習をしていたとき、晃一が悠斗に言った。


「なんだよガン見して。こっちが緊張するじゃないか」


そう言いながら、晃一はちょっと上機嫌だ。


「あ、すみません。その、どう吹いてるのかと思いまして」


悠斗がやや恐縮気味に答える。すると、あまり感情を表に出さない2年の秀治が、今回もやっぱり淡々とした表情で、


「そう言えば塩野、おまえ最近音が変わってきたな。誰かのレッスン受けたりしてるの?」


と、聞いてきた。

悠斗は晃一の手前、正直に言ったものかどうか一瞬迷った。しかし、変に隠したところで、ますますおかしな話になるだけだろう。


「青木先輩は、東中から里高に来た、1年の松井由美さんって、知ってますか」


ちらりと晃一を見る。晃一は無表情で聞いていた。かえって怖くなる。そんな悠斗の様子には気づかないのか、秀治は普通に答えた。


「いや、知らないなぁ。トランペット上手いの?」


由美のことを知らない。今となっては逆に、その方が新鮮に感じてしまう。悠斗は、ほっとするような気持ちだった。


「はい。すごく綺麗な音を出す人で、今、俺と同じクラスなんです。実は、その松井さんの練習をよく見せてもらっていて、一緒に吹いたりもしてます。結構参考にしてるので、影響はあるかもしれません」


本当は「影響あるかもしれません」どころか、悠斗自身が積極的に影響されにいってるのだが、そこは表現を抑えた。


「ふ〜ん。なんでまた、一緒に練習するようになったの?」


秀治は素朴な感じで聞く。悠斗は晃一を意識しながらも、正直に答えた。


「松井さんが俺の近所に住んでいて、とは言っても、川を挟んでなので学区も違うんですが、たまたま日曜日に河川敷で吹いている松井さんを見かけたんです。それがきっかけですね」


秀治は、淡々とした口調の中にも、おかしそうな笑いを含みながら言う。


「見かけただけじゃ、一緒にやることにはならんだろ」


なんでそうなる?と、面白がっているようだ。


「そうですね。俺が松井さんの音をすごく気に入ってしまって、それで頼み込んだんです。松井さんの音になりたくて」


「なるほどね。影響があるというより、その音になろうとしてるのか」


はい、その通りです。悠斗は観念した。

秀治は軽やかな声で続けた。


「具体的な目標とかイメージがあるのは良いことだよ。音が変わってきたということは、だいぶ観察して、真似してみたんだろ?」


「はい」


「それにしても、塩野は俺たちのことも、よく観察してるよな」


「この間、里高サウンドをよく聴け、って松井さんに言われたので」


「里高サウンド?」


「はい。松井さんは、そう言ってました」


すると晃一が、少し意外そうに聞いてきた。


「松井さんが、里高サウンドを聴け、って言ったのか?」


「はい。もちろん俺が里高吹部だから、というのはあると思いますけど、松井さん自身、里高サウンドが好き、って言ってました」


「そんなに俺たちの演奏を聴いてるの?」


「定演は、小5の頃から毎年来てるらしいですよ」


話しながら、悠斗はだんだん心配になって来た。聞かれるままに事情を話しているけれども、こんな風にして、由美に関する噂というのは広まったのかもしれない。自分は由美のために良かれと思って話しているけど、それを晃一がどう受け止めるのか、計り知れなかった。もう、これ以上は本人から直接聞いてもらった方がいい。悠斗はそう思い始めた。


「毎年…… なのか。松井さんて、中学のときから音とか変わったの?」


「分かりません。俺は高校からしか知らないので」


事実を答えているだけなのだが、少し突っぱねる言い方になってきてしまう。


「そりゃそうか……」


逆に、晃一が由美のことをどう思ってるのか知りたくなって、悠斗は問いかけた。


「中学の時の松井さんは、どんな感じだったんですか」


「学校が違うからよく分かんないけど、この辺の吹部仲間では有名だったな。1年か2年のときからソロ吹いてたし」


「その、トランペットはどんな感じだったんですか」


「1回聴いたことあったかな。上手かったと思うよ。周りと合うかどうかはともかくとして」


それを聞いていた秀治が、変わらず素朴な感じで晃一に聞く。


「中学でやってたのに、うちには入部しないんですかね」


「やってたとは言っても、途中で辞めちゃったからな。上手くても、他の部員とそりが合わなかったんじゃないの?」


「中学ではそうでも、高校では違うかもしれないですよね。1年生なのにそんなに上手いなら、せっかく僕らの高校にいるんだし、1回は合わせてみたいですね」


秀治のその言葉を聞いて、悠斗は自分の中に光が差し込んでくるような気がした。そうだ、雑念は全部取り払って、まずは合わせてみればいいじゃないか。それが一番のような気がする。悠斗はすぐに反応した。


「あ、じゃあ、俺が松井さんに掛け合ってみますか?」


秀治は悠斗の方に顔を向けて答える。


「そうだね、ちょっと聞いてみてくれる? 出来るだけ早い方がいいかな。神崎先輩もぜひ。みんなも時間が合えば」


秀治は、最後は教室内にいるパートの全員に声をかけた。晃一は黙ったまま、小さく頷いた。


その後はパート練習に入った。悠斗たち初心者が初めて合奏に参加する曲。悠斗は雑念を振り払うように、練習に没頭した。


◇ ◇ ◇


その日の夜、悠斗はメッセージアプリで由美に話を持ちかけた。


『ということがあってさ、由美さんと合わせたいんだけど、どう?』


『嬉しいけど緊張するなー』

『とりあえず合わせてみるだけだよね?』


『うん』


『何の曲合わせるの?』


『里高の三重奏の練習曲』

『それなら初見でいけるからって』


『はーい』


『授業終わったあと、部活始まる前にやりたいんだけど、都合がいい日ある?』


『今週なら木金どちらでもいいよ』


『じゃあそのどっちかで』

『先輩に聞いてみる』


『はーい』

『あとさ、』


『ん?』


『めんどーだから由美でいいよ』

『悠斗』


『ガッテン承知の助』


『なにそれww』


『なんか勝手に出てきた』


『渋い』


『俺のスマホ昭和レトロ』


由美からは笑いを堪えてるスタンプが送られてきた。

悠斗はトランペットパートのメンバーにもメッセージアプリで連絡を取り、その結果、今度の金曜日に由美との合わせをやることになった。




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