60、吟遊詩人
レジーナはお昼休みの時間にソフィー図書室で会う約束をしていた。
時間通りに図書室へ行くと、すでに広い机に座って何かを読みながら必死に書き写している。
「やっほー、ソフィー。」
そう言いながら廊下を歩いていたレジーナは、小さな違和感を覚えた。
(何か……ある?)
机までおよそ3メートルの場所に来たところで、違和感は確信に変わった。
ソフィーが、机に肘をつきながらーー見慣れない革のノートを必死に隠していたからだ。
「ソフィー?」
レジーナは軽く笑って声をかけた。
「ねぇ……今の、新しいノート?」
ソフィーはびくりと肩を跳ねさせ、慌ててノートを閉じる。その目はレジーナの方を見ているのに、どこか焦点があっていない。
「えっ……えっと……ち、違うよ。あの、これは……その。」
(誤魔化してる。しかも下手。)
レジーナは椅子にガタッと座り、揶揄うようにそのノートに触った。
「ふぅん?大事にしてないようには見えないけど?」
「大事にしてないよ。全然!ただの……メモ、見たいな!」
「ふぅん。」
レジーナはそのままソフィーの顔を覗き込む。
するとソフィーはパッと顔を背け、真っ赤になった。
「なんでそんな顔をしているの?」
「してないよ!」
「ここ図書室だよ。静かにしな。」
(あらら。本当に隠したいことがある顔ね。)
だが、深追いはやめることにした。
アリアンヌの件で、自分が思い悩んでいるように。
ソフィーにも何かがあるのだろう。
今度は先程と違い、囁くような声にする。
「まぁ、いいや。」
レジーナはにっこりと笑い、しっかりと席に座り直した。ソフィーはほっと息を吐いた。
だがーーレジーナは見落としていなかった。
ソフィーがそっとノートを撫でるその手つきを。
まるで、
誰かから託された大事な秘密を守るような。
(ソフィー……あれ、ただのノートじゃないよね。)
胸の奥に、疼く不安が広がった。
セレスト王国をずっと東側に行ったところにある街の外れにて。
王都の喧騒が遠くに霞む、小さな丘のふもと──そこに一軒の古い馬小屋がある。
「……ここ?」
ココスが眉をひそめる。
「そうよ。」
アリアンヌはためらいなく進んだ。
ココスは外観を見渡し、肩をすくめた。
「吟遊詩人って、もっと……ほら、華やかな場所にいると思ってたけど。」
「それは“売れている”吟遊詩人ね。」
アリアンヌの声はひどく楽しげだった。
「本当に優れた者は、たいてい誰にも見つからない場所にいるわ。」
「なんで?」
「面倒くさいからよ。」
扉を押すと、干し草の匂いと、低い弦の響きが三人を迎えた。
「入るがよい。靴はそのままで構わぬ。」
暗がりの奥から、しわがれた声が響いた。
姿を現したのは、白髪混じりの中年の男。
長い外套を羽織り、古びた竪琴を抱え、目だけが異様に鋭かった。
「あなたが……《歌紡ぎのミンステル》?」
アリアンヌが尋ねる。
「その呼び名を知る者は少ない。……なるほどの面構えだ。目的は何だ?」
アリアンヌがすかさず前に出る。
「単刀直入に言う。噂を広めてほしい。」
ミンステルは小さく笑った。
その笑いは“嘲り”ではない。“観察”の匂いがした。
「噂など、風が運ぶ下世話な話にすぎぬ。
だが《物語》となれば……魂に沈む。」
アリアンヌは一歩踏み出し、ためらいなく言った。
「だから必要なの。
宰相グラビスがどれほど民を欺いてきたのか──
“物語として”民の心に刺してほしい。」
レジーナも続く。
「私たちが直接動けば、すぐに潰される。でも、あなたの詩なら……人々が信じる。」
ミンステルは竪琴の弦をひとつだけ鳴らした。
その音は、濁った馬小屋に似つかわしくないほど澄んでいた。
「なるほど。そなた達の願いは宰相グラビスに関する 噂を広めることだな。」
「えぇ。」
「ただし、」
男はアリアンヌをじっと見つめた。
「君にひとつ聞く。
“正義”のためではなく、
“復讐”のために物語を使おうとしているように見えるが?」
レジーナもココスも息をのんだ。
アリアンヌは、躊躇わなかった。
「……私に、それを答える義務でもあるの?」
「答えてくれねば、いい歌は書けん。」
「貴方が調査に協力してくれればわかる話じゃないかしら?」
その声音に、一切の隙がなかった。
しばしの沈黙。
ミンステルはゆっくりと立ち上がり、竪琴を抱えたまま三人の前で膝を折った。
「――よかろう。」
「え?」とレジーナ。
「復讐のための物語ほど、燃えるものはない。
私は歌う。民に、旅人に、子供たちに──
“真実を隠した王妃と、影から揺さぶる少女”の物語を。」
アリアンヌは息をのみ、低く呟く。
「……協力してくれるのね。」
ミンステルは不敵に笑う。
「ただし、少女よ。
物語はいつも、作り手の思いどおりには終わらぬぞ。」
その言葉に、アリアンヌは微笑んだ。
「それでいいわ。」




