18、アリアンヌのエリザベート
次の日から本格的な稽古が始まった。
机に広げられた図面を前に、アリアンヌは指先で舞台の動線をなぞる。
「ここで、レジーナは客席へと視線を抜いて。観客に“鏡”を意識させるの。……そのあと、レオとマルクは互いにすれ違いざま、ほんの一瞬で火花を散らすように」
レオが眉を上げる。
「火花? 言葉じゃなく、目線で?」
「そう。だって王子とトートは喋れないんですもの。目線だけで観客には十分伝わるわよ。」
アリアンヌは迷いなく答えた。
マルクが腕を組み、少しだけ考え込む。
「視線の間合い……面白いな。だが、俺は表情が固いって言われる」
「なら、むしろそれを活かすのよ。固さは威圧感になる。――逆に、いつも固い表情の王子が表情を崩したら、面白そうじゃない?」
アリアンヌの言葉に、マルクは小さく口元を緩めた。
レジーナは胸に抱いた脚本を開き、震える声で台詞を読み上げる。
「『……わたしの中に映るもの、それは光か、影か』」
その声に、アリアンヌがすぐさま指摘を飛ばす。
「レジーナ、もう少しだけ声を大きくして。
でないと、セリフの抑揚が感じづらいわ。」
レジーナは頷き、再び挑戦する。
でも、出てきたのはやはり小さな声だった。それでいて落ち着きがない。
「レジーナ、今の貴方に足りないのはね、余裕感よ。」
「余裕感、ですか?」
「えぇ。」
エリザベートを見たことのないレジーナのためにアリアンヌが軽く説明する。
「鏡の間が何を表しているのか知ってる?」
「エリザベートの孤独や葛藤ですよね?」
「えぇ、それもあながち間違いではないわよね。
でも、この鏡の間において私が貴方に一番表現せいて欲しいのは『エリザベートの成長』なの。」
「成長?ですか?」
「成長というよりも、やっぱり落ち着きという感じかしらね。試しに私のお手本を見てみる?」
「はい!ぜひ!」
「一回しかやらないからね。
しっかり見ておくのよ。」
「はい!」
鏡の間ではエリザベートは階段の上にある三面鏡から出てきて、階段から降りてくる設定になっている。どうせなので、雰囲気を味わってもらうということで、レオにも見てもらうことにした。
アリアンヌがマルクにエリザベート登場の直後のセリフを言ってもらう。
「君を失うくらいなら、死んでもやろう」
マルクがそのセリフを言い終わると共にアリアンヌが鏡から出てくる。
一歩、踏み出す。
足取りは確かでありながら、どこか夢遊のようにふわりとした軽さを帯びている。
こうすることで、観客には、彼女の身体が現実の重力から解き放たれているように見える。
顔を上げる。
瞳が光を受けた瞬間、そこには少女の不安と女王の孤独が同時に浮かぶ。
ほんの刹那、レジーナとレオはその表情の揺らぎに心を捕まれる。
彼女の指先がゆっくりと持ち上がる。
鏡の縁をなぞるような仕草。――まるで、まだ自分が夢の中にいるのかを確かめるかのように。
「っていう感じね、どう?」
「さすが元劇団員志望だっただけあるな。」
レオが素直に褒める。
レジーナはずっと考えていたことを堪えきれなくなり聞くことにした。
「あの、私がやるよりアリアンヌ様がやった方が絶対に需要ありますよ。何で私なんですか?」
その問いにアリアンヌは意地悪な笑みを浮かべて答える。
「さあ、なぜなのでしょうね。」
アリアンヌは、満足げに小さく頷いた。
「ありがとう、マルク。レオももう自分の練習に戻っていいわよ。どう、レジーナ。できそう?」
「、、、正直に言うと無理そうです。」
「じゃあ、まずは威圧を出すための声の出し方から教えましょうか。」
その日のアリアンヌのエリザベートによって、三人のモチベーションは高まるのだった。