ちょっと待って、文豪先生!!
二人の男が乗った小さな白い営業車が、目黒区の高級住宅街へと入ってゆく。
『ヴウウ・・・ン』
そしてすぐ、車はある家の前で止まった。赤茶のレンガ造りの壁をツタがはう大きな家だ。
運転席の男が、助手席の青年に話しかける。
「なぁヤギラ……小説家ってのは良いよな。こんな家に住めるんだ。編集者とは違う」
ヤギラと呼ばれた青年は車から降りて、その家を見上げる。品良く撫でつけたサラリーマンヘア。20代後半くらいだろうか。少し神経質そうに、垂れた前髪を戻す。
「『井戸端会議』『カフェ・カサブランカ』『56年のプジョーを捨てて』―――“喫茶シリーズ”だけで600万部。良いんですか先輩? 僕がそんな大先生の担当を引き継いで」
「この業界は人手不足だからな。お前の“復職”も歓迎。それにヤギラは大御所にも物怖じしないだろ。じゃ、後は頼んだぜ」
「え? 先輩は?」
「俺今日で辞めるんだわ。田舎で農業やるの」
「えっ」
「俺はもう“文豪先生”の近くに1秒もいたくねーんだよ! 気分屋!偏屈!ノリで呼んだ編集を5分で家から追い出すドS! 」
「えぇっ!?」
「執筆に集中するとか言って急に服は脱ぎだすし、しまいには執筆に集中し過ぎたとか言って書斎でオシッコ漏らしちゃう人だぞ!? 天才ってのはイカれてんだよ!」
「えぇっ……」
「あと、あの人の出すコーヒー死ぬほどマズいから気を付けろ! じゃあな!」
そう言うと先輩は運転席の窓を閉め、車のアクセルを吹かして逃げる様に走り去っていった。
ポツンと一人、家の前に取り残されるヤギラ。
「はぁ……行くしかないか……!」
呼び鈴が無い。
代わりに大きな鉄製の扉に、可愛らしい猫が金属の輪っかを咥えた装飾が施されている。
ヤギラはその猫の輪っかを掴むと―――
『カン・カン・カ……』
「いらっしゃい」
「うわっ!!」
驚いて横を見ると、横の出窓から“文豪先生”が脇の出窓から顔を覗かせていた。
大きな瞳、ぷっくりとした唇。斜めに顔を出しているので落ち着いたベージュカラーの長い髪がふわりと垂れている。“文豪先生”は32歳独身の、美人作家なのである。
「キミが新しい編集のヤギラ君?」
「ええ。ではあなたが」――――
掲題
『ちょっと待って、文豪先生!!』
大きなリビングの大きなソファに、緊張した面持ちで座るヤギラ。そのリビングを見渡せるキッチンから、文豪先生が話かけている。
「ヤギラ君、珈琲は好きかい?」
キッチンには手挽きのコーヒーミル、陶器と木製のコーヒードリッパー、口の細いコーヒーポットと、豆の入ったキャニスターが所せましと並んでいる。
「あ、はい。ブラックが好きで」
「素晴らしい! ミルクも砂糖も良いけれど、ブラックの方が味と香りを楽しめるからね。ちょうどコピ・ルアクを買ったんだ」
「! あの、ジャコウネコのフンで発酵させた高級豆の……」
『パチンッ』
先生は指パッチンをならし、パッチンが終わったままの動きで、嬉しそうに僕を指さしてみせる。
「エクセレント! 淹れるから、ちょっと待っててね」
そう言って、彼女は丁寧に秤でコーヒー豆を20g取り、コーヒーミルに入れてゴリゴリとハンドルを回し始める。
(……良かった……ちょっと中二病的な感じはあるけど、常識人じゃないか……)
ヤギラは部屋を見渡す。ミッドセンチュリー調で統一されたウォールナット調の家具達。
作家のイメージからは程遠い、今すぐインテリア雑誌の取材も受けられそうな洒落た空間だった。
整理整頓も行き届いている。
本棚には昭和文化の文献から経済書、ファッション誌、コーヒー指南書、春画の作品集まで多岐に渡る書物が並んでいた。
(小児ガンの研究書まで……先生の作品で医療系はない筈だが……)
「本棚の本でも読んで待ってて。春画の作品集もあるよ! 男子はそう言うの好きだろ!」
「いや、ジャンル古すぎますって!」
「はっはっは」
(まぁ、春画が出る作品も無いか……)
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『ブーーーーッ!!!』
出されたコーヒーを、思いっきり吐き出すヤギラ。
「うわっ!! キミは松田優作か!」
そう言いながら、慌ててテーブルを拭く文豪先生。
(いやいやいや………え!?? あのコピ・ルアクだぞ!? マズい……マズ過ぎる!!!)
「もしかして、あんまり美味しくなかった……?」
「ああいや……美味しいですよ、少しだけゲ〇みたいですけど」
「えぇっ……」
露骨にふさぎ込む文豪先生。
「味濃すぎますねコレ。抽出、何分かけてます?」
「8分10秒だ。毎回時間も計ってるぞ」
「ながっっ!! 中煎り豆なら3分以内でしょう! あとその“10秒”のこだわりマジでムダですから」
「そ、そんなぁ……この10秒が大事なのに!」
「はぁ……段々と先輩の言ってた事が分かってきたな……」
「えっ……前任の彼、何か言ってた?」
「イカれていると言ってました」
「ひどっ……ちょっ……ひどくない!? 私これでも一応売れてる作家なんだけど!?」
「じゃあ、先生は本音を言わず、ヘコヘコしている編集の方が良いですか? 先生のご機嫌をうかがう様な?」
「いや……それは……そのっ」
「そんな編集を足蹴にする作家が小説に登場したら“悪者”ですよね? 先生は非常識で原稿も良く落とすけど、編集の意見を取り入れ“会話”して下さる方と伺っています」
「待て待て待て……私は常識人だぞ!?原稿も落とした事なんか、片手で数えられるくらいだ」
「あ、そうでしたっけ……」
「二進法だけど」
「二進法かよ! じゃあ、アレも本当なのか……!?」
「え? アレって?」
ヤギラは少し恥ずかしそうに咳払いをすると、目の前のキョトンとした文豪先生から目を反らす。
「先生はその、集中し過ぎて……トイレに行くのを忘れて…………失禁した事があると伺いましたが……」
顔を真っ赤にして両手を振る先生。
「ちょッ……待て待て! まず『大』じゃないぞ! 『大』じゃないからね!!」
(そこじゃないんだよ……)
「その……尿意って、どうやっても忘れられないですよね? むしろ集中できないと思うのですが」
「『忘れて』が違うんだ。もちろん忘れる筈がない。私は常識人だからな。小説を書いてるとさ……降りてくる瞬間があるワケ」
「スポーツ選手でいう“ゾーン”ですよね。まぁ理解はできますけど」
「その時にトイレに行くと“途切れちゃう”んだよ! だったら漏らした方がまだマシなワケ」
「あっもう意味が分かりません」
「何でよ!」
しかしその瞬間、文豪先生の目の焦点がヤギラから外れ、虚空を見ながら爛々と目を輝かせ始める。
「待て………“途切れる”………! “途切れる”か……!!」
「!?」
「降りてきた……」
「えっ」
「よし、ヤギラ君、キミ今日はもう帰りなさい」
「いやっえっ、だって、新作の締め切りは明日ですよ!? 今日はほぼ完成してた原稿の校正確認と、PRイベントの打ち合わせを……」
「あんなモノ駄作だ! 今この頭に浮かぶコレは……!!」
そして、突然文豪先生は、目から大粒の涙を流し始める。
「……!!?」
「これは……これこそが名作だ……!」
そして文豪先生は『もうっ……待ちきれないよっ……!』といった様子で、突然来ていたタイトワンピースを脱ぎ始める。
「あぁっ……もうっ……こんなん、邪魔だっっ……!」
しかしワンピースを脱ぎ捨てるその所作は色気があると言うよりも、ケンカに際して上半身の服を脱ぎ捨てるアメリカ人ヤンキーのソレだった。
「いやっえっ……!? 服は!? 服を脱ぐのはどうして!?」
服を脱いだ先生は豊満な胸をどうにか支えるブラとショーツ、スケスケのナイトキャミソールのみになってしまう。
「感覚が研ぎ澄まされた瞬間から!布なんか邪魔なんだよッ!」
「!?」
「けど、キミの前で全裸にはならないよ! 私は常識人だからね!」
そしてブッ飛んだ笑みを浮かべて、わなわなと震え始める。
「さぁ……書く! 私は書くぞ!! 出てってくれ!」
そう言って、先生はヤギラを立たせると、背中を押して玄関へと追い立てる。
「えっ……ちょ……」
「締め切りには間に合わせる! 明日の夜にまた来い!!」
『バタンッ!!』
追い出され、玄関の前に立たされる。
「アイツ……マジで何なんだよもう……!!」
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出版社のオフィス内。
全員を見渡せる窓際の大きな机に座る編集長に、ヤギラが正面から机に両手を載せて、激しい剣幕で話している。
「新作の締め切りは明日! ほぼ完成していた原稿を捨ててゼロから12万字!! 終わるワケがない!!」
「まぁ落ち着けってヤギラ……それが“文豪先生”だから」
「なんすか編集長!“文豪先生”って! カメラマンもリスケ、印刷もリスケ、PRイベント自体もリスケ!! サイン会の書店の常務、僕が説き伏せたんすよ!? これから謝罪行脚っすよ!!」
「いやぁ、すまんなヤギラ……俺も同行するからさ……」
「頼みますよ……初代担当編集なんですから。あの人昔から“ああ”なんですか?」
「そうだよ。文豪先生って呼び始めたのも俺。あの人メチャクチャ破天荒だろ?? 昭和の文豪みたいでさ……ははは」
「笑ってる場合じゃないんで」
「はは、ゴメンナサイ……。でも、あんなに命削る様な感じで書くようになったのは、息子さんを亡くしてからかな」
「え?」
「え? あっ……」
「……そんなの知りませんでしたよ? 有志によるファンサイトでさえ、そんな情報は載って無い」
「まぁ……な。すまん、表には出てないんだ、今の話」
「………」
「文豪先生も、結構苦労してるんだよ」
「……それは雑な人付き合いの言い訳にはならない。僕だって苦労しましたから」
「“お母様の件”は……残念だった。けど、ヤギラは復職してくれたからね」
「人手不足な業界ですからね。でも、僕みたいな生意気でも雇ってもらえるなら、もう僕じゃなくたって……」
「待てヤギラ。それは違う」
「……?」
「ヤギラはさ、ちゃんと先生達と“会話”ができるじゃん? 意見をぶつけ合える。そういう人なら文豪先生とはうまくいく。性根が熱いトコも似てる」
「似てませんよ。僕は冷静な人間です。コーヒーも正しく淹れられる」
「いいや……お前は熱いヤツだよ。だから、俺はお前を復職させたんだ」
「……!」
「人手不足な業界だけどさ、猫の手も借りたいって訳じゃ、ないんだよね」
そう言って、編集長は眉をハの字にして笑う――――
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翌日の夜。
両手に大荷物を持ったヤギラが、再び文豪先生の前やってきて、赤茶のレンガ造りの家を見上げている。
夜の文豪先生の家は昼間とはまるで違い、幽霊でも出てきそうな異様な雰囲気を放っていた。
(真っ暗だし……まさか大見得切って逃げたか……?)
ヤギラは片方の手に持った『大人用オムツ』のパッケージに目をやり、ため息をつく。
(あんな言葉……信じたオレが、バカだったかな……)
ヤギラはオムツのパッケージを地面に下ろし、猫の咥えた輪っかを扉に打ち付ける。
『カン・カン・カン……』
返事はない。ヤギラは小さく舌打ちして、扉に手をかける。
『ガチャ……』
「!?」
あっけなく扉は開いた。カギがかかっていないのだ。
「……文豪先生……?」
呼び掛けるが、返事はない。
ヤギラは廊下を進んでリビングへと繋がる扉をそっと開く――――
『グォァッーーーー!!』
扉を開けた瞬間、熱気をはらんだ空気がヤギラにぶち当たり、突き抜けてゆく。
(……なんだ……!?)
視線の先にはパソコンの明かりだけが、文豪先生の顔を青白く照らしていた。部屋の中の様子は暗くてよく分からない。
「あぁ………すまん、ヤギラ君か」
「なっ……何やってるんですか、電気も点けずに……」
そして、ヤギラは手探りでドアの脇のスイッチを見つけ、明かりを点ける――――
「なっ………」
そこら中に散らばった本、本、本――――綺麗に整理されていた昨日のリビングは跡形もない。
本だけでなく、部屋の中はまるで戦争でも起きたかのように、滅茶苦茶に物が散乱していた。
―――なんだ!? この空間は!??―――
部屋の真ん中には目を充血させ、文字通り必死に執筆をしている先生。イスの上に体育座りをしながら、息も切らしている。表情はやつれ、そして―――泣いていた。
「す、すまんね。おみぐるしいトコロを……感情が入ってしまってね……ハァ……ハァ……汚い部屋ですまん……」
「そ、そんなのどうでも良いですよ……それより………まさか先生、昨日からずっとそこに……!?」
「……もう少しで……出来そうでね」
「クソ!アンタ、そんな無茶をしてたら死ぬぞ!まさかと思って食材は買ってきました!とりあえず………あっ」
「………?」
「先生……その、一応これも買ってきたんですが……さすがにトイレは……行ってますよね……?」
気遅れ気味に大人用オムツを掲げるヤギラ。
「でかした、ヤギラ君……!」
「でかしたって……」
「……机の下にもぐれ。服を脱がして、そのまま私にそれを履かせろ。トイレに行くと……ここから離れると“途切れてしまう”んだよ……!!」
「でっ……できませんよ!!そんな事!」
「やれっ!!早く……実は、もう限界なんだ……!」
「!? 何をバカな事を……」
「……バカだと思うかい。『トイレに行くのなんて一瞬だろ、 浸ってんじゃねえ』って……そう思って私を笑うかい、 ヤギラ君」
頼み事はメチャクチャだが、文豪先生の泣き腫らした目には、まだ爛々と光が満ちていた。
「笑うかって………?」
そしてヤギラは気付いていた。自分と会話をしながらも、先生の視線が一度もパソコンの画面から離れていないことに。力の無い音で、それでも絶え間なくキーボードを叩き続けていることに。
「面白くもねぇのに、笑えるかよっ……!!」
ヤギラは気付いていなかった。自らもまた先生の熱にアテられ、目に涙を浮かべていた事に。
「ええいもう知るか! とことん付き合ってやらぁ!!」
そう言って、ヤギラは大人用オムツのパッケージを乱暴に引き裂き、オムツを握りしめる。
「ふふ……それでこそ……私の担当編集だよ、ヤギラ……」
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机で一心不乱に書き連ねる文豪先生。
『タタタタタ・・・タタタンッ』
「はい、これ食べる!」
「うん」
横にヤギラが付きっきりで座り、スプーンで食事を口に運びながら、意見をぶつけ合っている。
「このシーン、敵は銃の扱いに慣れてるんでしょう! じゃ『銃を顔の横に構えて』はおかしい! あれは顔と銃を画面に同時に写したい映画の演出! 実際あんな構えはしない!」
「なるほど……!やるな、ヤギラ!」
「あとここ、『潜入したい』が『潜入死体』の誤字だ! 潜入した側から死んでんじゃねーか!」
「あぁもううるさい!直したぞホラ! あとヤギラ、ここの主人公の行動はどう思う? 主人公はこう考えるか? この主人公は私の小説の中で生きてるか!?」
「キャラクターの感情描写なんざ、今のアンタなら世界一だよ!! 安心してそのまま行け!!」
「よっしゃ!!」
「ほら、これ食べる!水も飲む!」
そういって、ヤギラは自分の用意した料理をスプーンですくい、先生の口へと運ぶ。
「カレー美味いなヤギラぁ!カレーを作らせたら、お前が世界一だよ!」
「これハヤシライスだよ!! いいから書け!」
ーー
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翌朝。ソファーで毛布にくるまり、ウトウトしているヤギラ。
「……………ハッ……!?」
目を覚まし、慌てて飛び起きるヤギラ。
「げ、原稿は……!?」
「終わったよ」
「!」
すると、そこに濡れた髪を肩に掛けたタオルで拭きながら、キャミソール姿の文豪先生がやってくる。スッピンの筈だが、泣き腫らした目は戻り、彼女はその驚異的な美貌を取り戻していた。
「……もう少し格好に気を使ってくださいよ」
「ハハハ、ヤギラ君は恥ずかしがりだな」
「そういう問題じゃ……」
「ありがとう。君のお陰で間に合ったよ。これはお礼。コピ・ルアクだぞ」
文豪先生はコーヒーのカップ2つを持っていた。
「……抽出の時間は?」
「きっかり3分!」
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ーー
「先生は……命削って作品を書くタイプですね」
「はは……大げさだな。“仕事”と割り切って、流れ作業の様に小説を書ける作家もいる。私は不器用だから出来ないだけさ」
ヤギラは先生の話を聞きながら、飾り棚に飾られた写真を見ていた。そこには病院のベッドで体の半分を起こした子供と、その両肩を抱いて写真に写る、文豪先生の姿があった。
「あの写真……息子さんですか?」
「あっ!……ハハ、いやごめんね。なんかアピールみたいになっちゃった」
「いえ。まだ付き合いは短いですが……先生がそういう人でないのは分かります」
「……うん。……息子がいたんだ。もう死んでしまったけれど、最愛の息子だった」
「気持ちは分かりますよ……僕にも最愛の母がいましたから。……もう死んでますけど」
「……!」
「先生の話、聞かせてもらえませんか………それから、僕の話も聞いて欲しいです」
「うん……私も、ヤギラの話、聞かせて欲しいな」
「えぇ……ではまず、先生から……」
「いやいや、先にヤギラの話を……」
「・・・・・」
「・・・・・」
二人は笑い合う。
そして左右のページで、互いが互いの方を向いて独白を始める。
「作家同士で結婚したんだ……『ブレードランナー』について喫茶店で1日語り合えるような、趣味の合う人だった」
「うちは母子家庭でした。物心ついた時から父親はおらず、母は泣き虫な僕を女手一つで育ててくれた」
「けど……趣味が合うのと一緒に暮らすのは全然違った。一緒に住んだらケンカばかりだったよ。ほどなく私達は離婚したけれど……その後で妊娠が分かった」
「でも……僕が成人した時点で、母は68でした。僕は憧れていた出版の仕事に就けたけど、ほどなく母に痴呆の症状が出始め……僕は一度休職し、自宅で母を介護していた」
「私は作家人生で7年ほど、筆を折った時期がある。息子と共に……作家ではなく、母として生きようとした。息子は良い子でね……家事のヘタな私をよく手伝ってくれた」
「やがて母は……少しずつ僕を認識できなくなった。僕を、訪問介護のヘルパーだと思ってたんですよ。『ありがとう、また来てね』とお礼を言いながら……僕に、自分の息子の話をするんです」
「ある日息子が熱を出し、下がらなくなった――――小児がんだったよ。色んな文献を漁った、民間療法も先進医療も、できる事はすべてやった……けれど、日に日に息子は弱っていった……」
「ある日、母が僕に言いました」
「ある日、息子が私に言ったんだ」
「『息子はね、出版社で編集の仕事をしているの。忙しくて全然会ってくれないけれど……私は息子が誇らしい』ってね。それから10日後に母は死にました。誤嚥性肺炎でした」
「『ママ、僕が死んじゃったらまた小説を書いてね』って……言ったんだ。『すぐ元気になるよ』と言おうとしたが……代わりに息子の手を強く握った。それから2か月後、息子は神様に呼ばれてしまった」
ページを繋げて、ソファーで互いに向き合う二人を見開きで描く。
二人とも、目に一杯の涙を溜めていた。
「ほんの少しだけ………先生には、母に似た所がありますね。母のが美人でしたけど」
「ヤギラも……少しだけ息子っぽい所があるよ。息子の可愛さには、足元にも及ばないがね」
「………」
「………」
そして二人は冗談っぽく笑い合い、ハグを交わす。
恋人としてではなく―――――まるで血の繋がった、母子のように。
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ーーーーー
ーーー
それから半年後。とあるホテルのきらびやかな宴会会場。
『第32回『小説の部屋』大賞受賞式』
と掲げられた看板の下で、ロングドレスを美しく着こなした文豪先生が著作を掲げ手を振っている。
「先生、改めましてこの度の受賞おめでとうございます。これまでの作風である会話劇をベースに、スリリングな展開も本作の魅力ですが……」
「あっちょっと待ってください。ヤギラ、ヤギラちょっと!」
「!」
会場の端で見ていたヤギラに、壇上の上から“おいでおいで”をする文豪先生。
「いや、俺は……」
渋るヤギラに見かねた文豪先生は、ロングドレスのスカートをたくし上げると、ヒョイとステージから飛び降りる。
どよめく会場。先生は気にせず会場を突き進み、ヤギラの手首を握ると高々と掲げてみせる。
「私の名前で書かれた作品は、私だけの物ではありません………ヤギラあっての本作です。だから……“拙作”とは呼びません。是非この“傑作”を、皆様にも読んで頂きたいのです」
会場から、一人また一人と拍手が始まり、やがて割れんばかりの歓声がヤギラへと向けれられる。
「はは……!」
その光景に目を潤ませるヤギラ。しかし―――
「待て……バディものか……降りてきた」
「え!? ま、まさか……!?」
「ヤギラ、あとは頼んだ!!」
そう言いうと、文豪先生はマイクをヤギラに渡し、スカートをたくし上げ、出口へと走り出してしまう。
「ええ!? ちょ、授賞式中ですよ!? 先生!! 先生ってば――――」
『ちょっと待って、文豪先生!!』――――完
あとがき
この度は、『ちょっと待って!文豪先生!!』をお読みいただき誠にありがとうございます。
この作品はつい最近、某有名出版社へ持ち込み、色々と改善点の指摘を受けました。
小説家、漫画家、シナリオライターetc...とにかく「作家」を志す方にとって参考になる部分があればと思い、ここに指摘を受けた内容を記載致します。
【指摘を受けた箇所】
・核となるキャラクター『文豪先生』の個性が弱い。
例えば最初にコーヒーを出すくだりがあるが、それでは弱い。
・文豪先生がどんな作風小説を書いているかを描いておらず、キャラの深堀ができない。
※例えば『エロマンガ先生』なら「あんなキャラがエロ漫画を!?」というギャップが出る。
・二人の回想までのフリが弱い。唐突に回想に入っている。例えばオムツを変えるシーンで、先生がよりヤギラを信用するような心の動きを描くべき。
・回想の内容もベタな内容で、驚きが少ない。そのキャラクターの性格を形成する、歴史が見られるようなものになっていない。
・この作品だけの独自性が感じられない。
・この作品内で、『事件』が起きていない。『新作を1日で仕上げる』というのは事件として弱く、展開も想像がつく。
以上です。
っっつぁーー悔しい!!!
しかし!悔しいかな、ご指摘の通りです。
編集者の方は限られた時間の中で初対面の人間に対して、本当に親身に指摘をくださったと思います。
『ちょっと待って!文豪先生!!』と、それを持ち込んだ結果指摘を受けた上記内容が、
反面教師的に、皆様の創作に活きれば(でもってぶっちゃけPV数も増えれば…!)幸いです。
ありがとうございました。