#165 : 魔神王☆降臨
前回までのあらすじ
→ 二人ともお腹空いてた。
◇◇◇
サクラ「ふぅ……やっと終わった」
私は焦げた髪を手で払いながら、グラドゥルスの灰を見下ろした。
サクラ「さてと。ユズリハがまた汚れたから洗うよ辰夫」
辰夫「はい!」(金木犀の香りの洗剤を差し出す)
ユズリハ『え』
ゴシゴシ……バキッ!
ユズリハ『いやあああああ!?また部品が!返して!』
サクラ「戻し方わからん!ポイッ!」(川にポチャン)
ユズリハ『あああああ!』
サクラ「さて、じゃ、出口探そう」
金木犀の香りを残して、私たちは奈落の出口を目指す足を再び踏み出した。
◇◇◇
サクラ「……ねぇ、辰夫」
私たちは祭壇を離れ、暗い通路を歩いていた。
金木犀の香りが薄れていく。
代わりに、何か嫌な予感が胸を撫でる。
辰夫「なんです?」
サクラ「さっきグラドゥルスが言ってたこと、気になるんだけど」
辰夫「……封印が脆い、と?」
サクラ「千年も経ってるなら、そりゃヒビくらい入るんじゃない?」
ユズリハ『サクちゃん怖いこと言わないで!?』
サクラ「だって千年だよ?私だったら三日で限界だよ」
辰夫「封印の耐久をサクラ殿の基準で語らないでください」
サクラ「この前もとんでもない気配を感じて辰夫と二人でビビったとこ──」
──その時。
ゴゴゴゴゴゴゴ……!!
足元が揺れた。
サクラ「……え?」
いや、洞窟全体が揺れた。
辰夫「これは……!」
祭壇の奥が、脈打った。
石壁のひび割れが、血管みたいに光り始める。
瘴気が流れ出すというより──息をしている。
魔神王の気配だ。
グラドゥルスとは格が違う。
空気が生き物の体液みたいに重く、湿って、動いていた。
呼吸をすると、肺の奥まで黒い何かが流れ込む。
サクラ「……ねぇ辰夫、これ、地面が呼吸してない?」
辰夫「してますな……嫌な予感しかしません……」
ズズズ……ッ。
低音が鼓膜の外じゃなく、内側から鳴った。
世界そのものが心臓みたいに脈打っている。
ユズリハ『これ……奈落全体が生きてる……?』
サクラ「やめてそういう正解言うの!怖くなるじゃん!」
その瞬間、何かが“立ち上がった”。
音はしなかった。
空気が押し潰され、重力の方向がわからなくなる。
奈落が、ひとつの生き物として形を変えた。
サクラ「……やべ」
地が鳴っていた。
鼓動みたいに、だが規則性がなかった。
辰夫の翼が音もなくたわんだ。
ユズリハの籠手が微かに震える。
辰夫「サクラ殿……動くな……」
辰夫の声が掠れている。竜の喉ですら震える。
私は唇を噛んだ。
呼吸が浅い。心臓が早い。
……これは、恐怖だ。
辰夫が膝をつく。
ユズリハの籠手が地に触れ、光を失った。
サクラ「なに、これ……」
そして──世界が、言葉を発した。
いや、声ではない“何か”が、意味だけを脳に押し込んでくる。
──我は魔神王テラ=ワロス。
千年。声は絶え、祈りは石と化した。
ならば、もはや"生"は要らぬ。
サクラ「……まって、魔神王の名前、今“テラワロス”って聞こえたけど?」
辰夫「はい、そう聞こえましたな……」
ユズリハ『え、なんか急に親しみわく!』
サクラ「ねぇふざけてんの?」
魔神王「……。」
(間)
サクラ「……返事は?」
魔神王「……。」
(間)
ユズリハ『サクちゃん!!ワロス様困ってるよ!?』
サクラ「魔神王テラワロス様とか絶対SNSでバズるじゃん……」
辰夫「ワロス殿ドンマイですぞ」
魔神王「……。」
(間)
その時、壁に亀裂が走った。
中から"目"が覗いた。
人でも、獣でもない。形が決まらない。
見るたびに違う姿になる。
辰夫には、竜の屍の山。
ユズリハには、千年前の戦友たちの顔。
私には──
サクラ「……電子レンジの中で冷凍唐揚げが爆発した時の私……?」
ユズリハ『それ程の絶望!?』
さらに──
サクラ「……あ……あぁ……コンビニチキンを地面に落として絶望した時の私まで……?」
ユズリハ『トラウマが食べ物系ばかりだな!?』
辰夫「お腹空いてます?」
空洞の"面"がこちらを見ていた。
何千という声が同時に囁く。
──人のかたちとは、かくも脆い。
ひと息で砕けるものを、なぜ生きると言う?
私の足が勝手に後ろへ下がった。
辰夫の爪が岩を抉る音だけが現実だ。
サクラ「……魔神王、か」
声が出た瞬間、自分の鼓膜が破れるような痛みがした。
──汝ら、まだ"生"を望むか。
瘴気が波のように押し寄せた。
体が動かない。
目が焼ける。
肺が潰れる。
私は歯を食いしばった。
サクラ「……望むよ。当たり前でしょ……まだ美味しいご飯食べたいし。温泉入りたいし。エスト様に会いたいし」
声が出た。
誰の助けもなく。
ただ、自分の中の"生きたい"が声になった。
ユズリハ『サクちゃん……』
辰夫「サクラ殿……!」
奈落が震えた。
魔神王の"顔"がこちらを見下ろす。
──ほう……まだ、望むか。
ならば──
黒い霧が広がる。
天井が砂のように崩れていく。
……あぁ、これ、死ぬやつだ。
でも笑う。笑わないと、折れる。
サクラ「……なぁ辰夫?」
辰夫「なんです?」
サクラ「最終奥義のスライディング土下座、してみる?」
辰夫「絶対ききません!」
サクラ「だよねぇ……」
(間)
サクラ「じゃ逃げる」
辰夫「それしかありませんな」
サクラ「……ムダ様も言ってたんだ。負け犬って言葉、聞こえねぇくらい遠くまで走れ──」
私はクルリと踵を返しながら続ける。
サクラ「どんな罵声も聞こえなければ気にならない。気にならなければ負けていない。つまり勝ってる」
サクラ「染みる……ムダ様の言葉、やっぱ好きだな……」
辰夫「久しぶりに聞きましたな……狂気の語録」
ユズリハ『謎の説得力!?』
──逃走開始。
(つづく)
◇◇◇
──【グレート・ムダ様語録:距離の悟り】──
『負け犬って言葉、聞こえねぇくらい遠くまで走れ。どんな罵声も聞こえなければ気にならない。気にならなければ負けていない。つまり勝ってる。』
解説:
罵声は音だ。音は空気を震わせて届く。
ならば、その空気ごと置き去りにしろ。
距離がすべてを癒やす。
遠くなればなるほど、意味は薄れ、声は消える。
その静寂の中で息してる奴こそ、本物の勝者だ。
勝ち負けなんて、声が届く範囲の遊びだ。
逃げ切った瞬間、それは全部、過去形になる。




