#159 : 妹に捨てられた伝説級アイテム☆姉
深い奈落の底で漂う瘴気は、最初こそ肺を焼くような苦痛だったが、半年も吸い続ければ身体が慣れてしまう。
紫黒色の靄が皮膚にまとわりつき、呼吸のたびに喉の奥で苦い味がするのも、もう日常になっていた。
……慣れたくなんてなかったけどさ?
薄暗い岩肌の通路を進んでいると、辰夫が不意に足を止めた。
その竜の瞳が、暗闇の奥を見据えて細められる。
辰夫「……微弱だが、魔力反応があります」
空気が変わった。
瘴気の流れが、そこだけを避けるように歪んでいる。
辰夫「出口じゃない。これは……何か、とても古い……」
言葉を切って、眉間に深い皺を寄せた。
辰夫「……懐かしい、ような……いや、まさか……」
サクラ「何よ、ビビってんの?」
強がってはみたが、私も背筋に冷たいものを感じていた。
この奈落で半年。今まで感じたことのない圧迫感。
サクラ「……まあ、確認するしかないか」
慎重に歩を進める。
通路の奥から、微かに……金色の光?
通路の突き当たりに苔むした古びた石の祭壇があった。
その上に、肩まで覆うほど巨大な籠手が左右一対、静かに鎮座している。
金色の文様が籠手の表面を這うように刻まれ、まるで生きているかのように淡く脈動していた。
辰夫「この籠手……見覚えがあります。かつてユズリハ様が──」
すると、突然、籠手から明るい女の声が響いた。
籠手『サクちゃん!お姉ちゃんだよーん!やっほー☆会いたかったぞ妹ィィ!!』
サクラ「のわッ!?軽ッ!?」
辰夫「おわッ!?」
思わず二人とも後ずさる。
サクラ「なになに!?籠手が喋った!?」
籠手「ユズリハよ!サクちゃんのお姉ちゃん!」
サクラ「は!?私に姉なんていないし!?つーか籠手が喋ってるし!?」
ユズリハ「あー、話せば長くなるのよねぇ」
籠手から漏れる声は、妙に気楽そうだった。
辰夫「……ユズリハ様の籠手だと思ったらまさかのユズリハ様だった!?」
竜王がドン引きしている。
ユズリハ「久しぶりね、リンドヴルム」
サクラ「あー今はこいつ辰夫って名前だから。覚えやすいでしょ?」
ユズリハ「わかった!良い名前ね!じゃあ辰夫!おひさー!」
サクラ&辰夫「「やっぱ軽ッ!?」」
あっさりと名前を変える軽さに、二人は同時に声を上げた。
辰夫「……ユズリハ様……なぜ籠手に……!?」
辰夫の声が震え始める。
竜の瞳に、今まで見たことのない感情が宿っていた。
辰夫「それよりも……話したいことが山ほど……」
その声は完全に震えていた。
《天の声補足》
── 千年。
彼は失った主の姿を胸に、心の時間を止めたまま生きてきた。
炎に包まれた戦場、最期まで立ち続けた小さな背中。
掴もうとしても掴めなかった命の重みと無力感は、竜王としての誇りを蝕み続けた。
そして今、目の前にいるのは血肉を持たない、冷たい金属に宿った魂。
千年分の後悔と喜びと哀しみが一度に押し寄せ、言葉を選ぶことすらできない。
それでも──
辰夫「……今は、何から話せばいいのかも分からない……」
竜の瞳に宿るのは、戦士としての強さではなかった。
千年の間閉ざされていた色が、今ふたたび彼の瞳に宿っていた。
握った拳がわずかに震え、瞼が熱くなるのを必死で堪えた。
ユズリハ「細かい話はあとあと!サクちゃん!私を装備してみて!」
(沈黙)
サクラ「やだよ!落ちてた物だし!誰が着けてたかも分からないし!汚い!」(ポイっ)
私は籠手を投げ捨てた。
(沈黙)ガランガラン……(*転がる籠手の音)
ユズリハ「まさかの潔癖症!?千年物のアンティークなのに!」
辰夫「話進まないから装着しましょう!感動の再会を台無しにしないでください!」
サクラ「いや!いやよ!汚い!」
ユズリハ「……私が……汚い……?」
サクラ「握手というのは、相手の菌と親しくなる儀式だ!だから私は殴る!この拳で!」
(*ムダ様、詳細は文末)
ユズリハ「いやそれ名言っぽく言ったけど意味分からんからな!?」
ユズリハの光がしゅんと弱まる。
ユズリハ「千年……待ったのに……妹に汚いって言われた……」
サクラ「……うっ……」
罪悪感がチクリと胸を刺す。
サクラ「じゃあ洗おう!ピカピカにしよう!近くに川があった!」
ユズリハ「は?」
◇◇◇
近くの川まで籠手を運び、二人がかりで籠手を磨き始める。
サクラ「辰夫!指の間を丁寧に!関節部分も忘れずに!洗剤はこの金木犀の香りで!」(洗剤を懐から出して最高の笑顔)
辰夫「なんでそんなの持ってるんです?」
ゴシゴシ……ゴシゴシ……
ゴシゴシ……バキッ!
ユズリハ「おい!バキッて!なんか取れたぞ!大事な部品じゃないのか!?」
サクラ「え、なにこれ?」(じー)
手のひらに乗った小さな金属片を眺める。
辰夫「部品……?これは魔力増幅装置では……」
サクラ「わかんね!ポイッ!」(川にポチャン)
ユズリハ「あああ!それ大事なやつ!!」
バキッ!バキッ!
サクラ「あ、また何かとれた」(じー)
辰夫「魔力制御回路のようですな……」
サクラ「しらね!ポイッ!」(川にポチャン)
ユズリハ「ダメぇえええ!それも必要!全部必要なの!!」
バキッ!
サクラ「なんかネジみたいなの取れた」
ユズリハ「それは特に大事!魂を固定してる核心部品!!」
サクラ「……」(じー)
ユズリハ「お願い!それだけは!それだけは捨てないで!!」
サクラ「まぁいいや!ポイッ!」(川にポチャン)
ユズリハ「ああああああ!!」
(数分後)
サクラ&辰夫「はい!キレイになりました!」
ブンブン!バシッバシッ!
水気を切るために籠手を振り回し、岩に叩きつけて乾かす。
ユズリハ「もうやめてください……ごめんなさい……汚くないです……部品返して……」
金木犀の香りがふわりと洞窟内に漂った。
まるで場違いな、優しい花の香り。
ユズリハ『売る前に聞いてサクちゃん?これから大事な話するからね?いい?』
ユズリハの声色が変わった。金木犀の香りを放ちながら。
ユズリハ『私は千年の昔に──』
サクラ「ねぇ!辰夫聞いて!これ凄いよ?」
私はユズリハの話を遮り、目を輝かせて辰夫を見た。
辰夫「む?」
サクラ「これがあれば憧れの 『ロケットパンチ』 が出来るかもしれない!」
私は興奮して震えていた。
ユズリハ『な...投げる気!?わ、私は千年間、あなたを待って』
ユズリハの声も震えていた。
サクラ「さてと。早く地上に出よう!そしたら御馳走を食べよう!辰夫!たまには奢るよ!」(鼻の下を指でスリスリ)
辰夫「まさか……」
辰夫も遅れて震えだした。
ユズリハ『さ、サクちゃん……私を、売るつもりでは……』
ユズリハの声が弱々しくなる。
サクラ「喋る籠手!売っても良いし!見せ物小屋をやれば目玉サービスになりそう!」
ユズリハ「あの……お手数おかけして申し訳ないんですが、もう一度、元の祭壇に戻して貰っても良いですかね?」
ユズリハの声が虚ろになっていく。
──その時!!
ゴウッ……!
突然、祭壇の奥の壁が崩れ、濃い瘴気が津波のように吹き出す。
紫黒色の靄が渦を巻きながら押し寄せてくる。
辰夫「……来るぞ」
(つづく)
── 今週のムダ様語録 ──
『握手というのは、相手の菌と親しくなる儀式だ。だから殴った方が良くない?』
解説:
コロナ禍のムダ様は、常に震えていた。
ドアノブに触れれば消毒、誰かが咳をすれば逃走、テレビで「換気」と聞けば窓を全開にして凍死しかける。
「菌が!菌が!」と怯え続け、ついに人間の手そのものを敵視するに至った。
結果、「菌と仲良くする握手」より「一撃で敵を遠ざける殴打」の方が安全と真顔で断言。
衛生観念が過剰に進化した末に、友情表現が暴力に転化したのである。




