表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
133/173

#132 : 世界が終わった日



──そして。


空が、音もなく、裂けた。

それは世界が”上”から壊れていく音だった。


何かが、見下ろしていた。

無関心に。無慈悲に。

まるで実験の結果を確認するように。


希望は、この瞬間に死んだ。

愛も、祈りも、明日への願いも──すべてが無意味になった。


誰も知らない。

誰も助からない。

誰も覚えていない。


神は沈黙し、英雄は現れず、奇跡は起こらない。


ただ、終わりだけがある。


──


地上


とある都市 夕暮れの広場


夕日が建物の隙間から差し込み、石畳を黄金色に染めていた。


「おじさん、これ三つ下さい」


少女がリンゴを手に取りながら、無邪気に笑った。


「はいよ、お嬢ちゃん。今日は良いリンゴが入ったよ」


商人の男が笑顔で袋に詰める。

少女は小さな財布から硬貨を取り出そうとして──


カラン、カラン……


硬貨が地面に落ちて音を立てた瞬間、夕暮れが沈黙に変わった。


「え、なに? なんか今、空が──」


少女が空を見上げた時、指先が固くなり始めた。

まるで血管に冷たい水が流れ込むような感覚。

表情は驚きのまま──瞳の光が失われ、頬の紅みが消えていく。


小さな唇が開いたまま、石になった。


カラン……手から滑り落ちた硬貨が石畳に転がる。


「な……なんだ……?」


商人の男が呟く。

手を伸ばそうとして──その腕に灰色の斑点が浮かんだ。


「いや……いやだ……」


笑顔を浮かべていた口元が、恐怖に歪んだまま石となった。


バサバサバサ! ハトたちが慌てて舞い上がる。鳥は石にならない。

ただ、パニックを起こして飛び回っていた。


──


広場の向こう側


「おかしいな……なんだ、この霧は……」


ベンチの老人が新聞から顔を上げた。

遠くの空に、黒紫の雲がゆっくりと広がっている。


「戦争か……? また、戦争なのか……」


老人の目に、遠い記憶がよみがえる。


「いや……あれは、戦争なんてもんじゃない……」


ピチッ、ピチッ……指先の皮膚の色が変わり始めた。


「あ……ああ……これは……」


恐怖が顔に浮かんだまま、ゆっくりと石に変わっていく。

最後まで握りしめていた新聞が、風に舞い上がった。


ニャアアア!

野良猫が鳴く。

猫は石にならないが、瘴気に触れて目が赤く光っていた。


──


街角


タッタッタッ……


「ママ、なに? あの黒いのなに?」


小さな子供が母親の手を引っ張りながら走っている。


「大丈夫よ」


母親は子供を抱きしめた。


「怖いよ、ママ……」


「大丈夫、ママがいるから」


母親の声が震えていた。

それでも、子供を安心させようと必死に笑みを浮かべる。


ザアアアア……黒紫の霧が街角を包んだ。


「ママ!」


「離さないから……絶対に離さないから……」


抱き合ったまま、二人は石になった。

愛する人を守ろうとする腕の形が、永遠に刻まれた。


ワンワンワン!

飼い犬が石になった飼い主を見て吠え続けた後、隣の犬に突然飛びかかった。

血のようなよだれを垂らして。


──


獣人街区


「みんな、急いで! 何かが来る!」


狼の獣人が仲間たちに叫んだ。

獣人たちは敏感に危険を察知していたが──


ザアアア……瘴気が街区を覆った瞬間、彼らも人間と同じように石化し始めた。


「が……ぁ……」


狼の獣人が呻く。

毛皮が灰色に変わり、筋肉が固まっていく。


「隊長!」


「逃げろ……早く……」


猫の獣人の少女が駆け寄ろうとして──走る姿勢のまま、その場で石になった。


「人間も……獣人も……区別なく……」


鷹の獣人が最後に呟いた。


──


兵士詰所


ドオオオオン……遠くで爆発音が響く。


「隊長! 街の方で何かが起きています!」


兵士が血相を変えて駆け込んできた。


「何だと?」


「人が……人が石になっています! 獣人も!」


「何を馬鹿な……」


隊長が窓から外を見て、言葉を失った。

街の向こうで、人も獣人も次々と動かなくなっている。

まるで時間が止まったように。


「……全員、配置に就け」


「みんな、建物の中に! 早く!」


兵士たちが街に向かって叫んだその時、黒紫の瘴気が詰所を覆った。


兵士たちは剣を掲げたまま、石の彫像となった。

最後まで市民を守ろうとする、勇敢な表情のまま。


ガルルルル……詰所の軍用犬が唸り声を上げ、赤い目で石になった兵士たちを見つめていた。


──


教会


キイイイ……重い扉が開かれる。


「主よ、どうかこの民をお救いください……」


神父が祭壇の前で祈りを捧げていた。

教会の中に避難してきた人間と獣人が、不安そうに身を寄せ合っている。


「神父様……私たち、死ぬんでしょうか……」


狐の獣人の老婆が震え声で尋ねた。


「安心なさい。主は我々を見捨てられない」


神父の声が教会内に響く。

ステンドグラスから差し込む光が、彼の白髪を照らしていた。


ゴゴゴゴ……教会の壁が震えた。

黒い霧が隙間から侵入してくる。


「主よ……」


神父は最後まで祈り続けた。

跪いた姿勢のまま、石となった。

人間も獣人も、祈りの姿勢で石になった。


カアアア! 教会の鐘楼で烏が鳴く。

瘴気の影響で目が血のように赤い。


──


市場


ガシャン、ガチャガチャ!


「おい、早くしろ!」


人間と獣人の商人たちが慌てて店じまいをしていた。


「家族の元に帰らなきゃ……」


若い商人が荷物を抱えて走り出そうとした時──


ザアアアア……瘴気が市場を覆った。

荷物を運ぶ途中で、人間も獣人も全員が石になった。


ブルルル……市場の馬たちが嘶く。

馬は石にならないが、瘴気で錯乱状態になり、蹄で地面を叩いて暴れ回っている。


──


街の外れの宿屋


ガタガタガタ……窓が震えている。

まるで地震のように宿屋全体が揺れていた。


ギャルルルル……外から獣の唸り声が聞こえる。


「……か、かかか、カエデええええええッ!?!?なんかモンスター来てるし!変な霧来てるし!どうしよう!どうしよう!」


ツバキが絶叫する。

窓にへばりついて外を見ていたが、迫り来る黒紫の霧と、凶暴化したモンスターたちに完全にパニック状態だった。


「え!?なに!?世界終わるの!?なんかこれヤバい気しかしないんだけど!?」


ツバキの声が裏返る。


ガオオオオ!

巨大な熊のようなモンスターが宿屋の近くで暴れている。

瘴気で目が赤く光り、泡を吹いて錯乱していた。


「ツバキ!? 落ち着いて! ローザさん! ローザさんどうしよう!?」


カエデもつられて慌てる。

普段はのほほんとしているカエデも、この異常事態には動揺を隠せなかった。


窓の外で街の明かりが一つ、また一つと消えていく。


「祈りましょう……」


ローザだけは、静かに目を閉じた。

三人の中で、彼女だけが諦めに近い平静を保っていた。


──その時。


「あ……」


カエデが窓の向こうを見て、言葉を失った。

街の人々と獣人たちが、まるで時間が止まったように動かなくなっている。


「嘘……嘘でしょ……?」


まるで巨大な彫刻庭園のようになった街。

人と獣人だけが石になっている。


鳥は飛び回り、犬は吠え、馬は暴れているが──すべて瘴気で凶暴化している。


ギャオオオ!ガルルル!ヒヒーン!


動物たちの鳴き声だけが響く、狂気の世界。


「あ……ああ……」


カエデは、世界が”狂った”音を聞いた気がした。

人の声は消えたが、凶暴化した動物たちの叫び声が街を支配していた。


──


ザアアアアア……ついに、黒紫の瘴気が三人の居る宿屋を包んだ。


「きゃああああああ!」


ツバキが目を閉じて身を縮こまらせる。


「ツバキ!」


カエデがツバキの手を握った。


「……神様……」


ローザが最後の祈りを捧げる。


──その瞬間。


何かが起きた。


キイイイン……三人の体が、ほのかに光ったのだ。

まるで見えないバリアが張られたように、瘴気が三人を素通りしていく。


「え……?」


ツバキが恐る恐る目を開けた。

自分の手を見つめる。石になっていない。


まだ温かい。


「なんで……?」


「私たち……大丈夫なの……?」


カエデも困惑していた。


「……ツバキ様が……守ってくださったのかも……」


ローザが静かに呟いた。


「え”!?私何もしてないッ!?………でも、あの光は…まるで、“何かに選ばれた”みたいだった」


ツバキが慌てて言った。


「うん…」


カエデが頷いた。


──


三人は窓から外を見つめた。


石になった人と獣人たち。

凶暴化して暴れ回る動物とモンスターたち。


ガオオオ!ギャルルル!

街には獣の咆哮だけが響いている。


人の声は、もうない。

笑い声も、泣き声も、歌声も。

足音も、話し声も、祈りの声も。


すべてが消えた世界で、狂った獣たちだけが叫び続けている。


風も止まり、雲も動かない。

だが、生き物だけは動いている──狂気に支配されて。


「……サクラ……」


カエデが、遠い記憶に向かって呟いた。

もう二度と会えない──……それでも。


「ねえ……助けてよ……サクラの”だいじょうぶ”ってさ……本当に、大丈夫になれたんだよ……」


「うわぁぁぁぁあああああ! 絶対無理!世界終わったぁ!!」


ツバキが泣き叫びながら、壁に頭を打ちつけていた。


「……でも」


ローザがゆっくりと目を開ける。


「私たちは……生きている」


──それだけが、唯一の希望だった。


ギャオオオ!

遠くで巨大なモンスターが咆哮を上げた。


── 知らない。


彼女たちは知らなかった。

彼女たちの親友が、とっくにその”戦場の中”にいたことを。


── そして、そのサクラも、もう倒れていることを。


彼女たちは、まだ知らない。


世界は、とっくに──終わっていた。



空から見下ろせば、都市は石の彫像で埋め尽くされていた。

無数の人と獣人たちが、最後の瞬間の姿のまま固まっている。


遠くで、誰かが叫んだ。


「──!」


母親の、必死な声だった。



その都市から、“音”が消えた。



── そして、世界は静かに止まった。


人も獣も、祈りも愛も、すべてが”石”に変わった。


動物たちの凶暴な叫びだけが、死んだ都市に響いていた。


(つづく)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ツギクルバナー
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ