5 希望を断つ
アマゾンレビューで怒っている人達がいるのは、「ダンガンロンパ」が「ダンガンロンパ」そのものを破壊したからである。つまり、ルールを破った、エンタメとしての形式を逸脱したからだ。
しかし、それこそが作品の狙いだとしたらどうだろう。作品の最後で、視聴者達の姿が作品内に投影されている。ここでは、レビューをつける者達を相対化して、作品内の一部にしている。エンタメは、このような方式を取る事はない。取っているように見えても、どれだけメタに位相に逸脱しても、結局は視聴者に受け入れられようともがいているに過ぎない。どれだけ気取ろうと、拗ねようと、視聴者の期待に反する事は過ちであるという先天的観念が支配している。
この殺し合いのゲームを終わらせる…その為には、希望を断たねばならない、と最原は最後に気づいたのだった。そうだ。希望こそは、我々をゲームの内に捉える鎖に違いない。我々は希望によって鎖に繋がれる。希望は、世界が作ったゲームを遂行する為の原動力である。今、私はこの世界そのものを一種の「ダンガンロンパ」として考えているのだが……考えてみるがいい。夢を持って努力せよ、という言葉がいかに世界のシステムに都合よくできているか。努力せよ、成功せよとは、他人に認められる事しか意味しないのだから、その先には他人達が規定していた価値観が罠のように待ち受けている。我々は希望を持ち、明るい未来を描いて、そこに走れば走るほど世界の罠にはまっていく。
最原達は殺し合いを期待されていた。生き残りをかけたゲームだった。希望を持って生きようとするからこそ、ゲームは終わらなかった。人々の要望に答え続けたからこそ、悲劇は連鎖した。だとすると、希望を断つ他ない。希望を捨てなければ、ゲームは終わらない。
ここにもエンターテインメントとしての逸脱が見られる。希望を捨てる事。明るい未来を捨てる事。しかし、もし未来があるとしたら、それは希望を破棄した先にしかない。これは人々の願望とは異なる。ここでも、V3は既存のパターンの逸脱を犯している。だが、私にはそれでいいと思われる。




