3 ダンガンロンパV3の要約
抽象的に話を進めすぎたので、整理して考えてみよう。
元々、ダンガンロンパという作品は、何らかの特殊な才能を持った高校生が、閉鎖された学園に閉じ込められ、モノクマという謎のロボット(裏で人が操っている)の強制によって殺し合いを強要されるという話だ。
その際、仲間を殺した犯人は、その後の簡易的な裁判において、自分が犯人だと気づかれてはならない。犯人だと気づかれずに裁判を乗り切れば、裁判に参加していた他の仲間はモノクマに処刑され、犯人一人が生き残る。犯人は「卒業」、つまり学園の外に出ていく事が許される。逆に、犯人がバレれば、犯人だけが処刑され、残ったメンバーは生き残るが、彼らは外に出る事はできず、殺し合いは存続される。
この時、外に出る事が褒美として存在するのだが、外の世界が普通の世界ではないというのが前二作でも問題になっている。つまり、ただ殺し合いを生き残って外に出たところで、それは自分達の思っている普通の世界ではない、というのが謎になっている。この謎に対しても、高校生達は、殺し合いを続けながらも向き合わなければならない。
さて、V3においては三作目なので、前二作も含んだ問題となる。例によって殺し合いが始まり、裁判も続けられる。高校生らは殺し合いを、犯人を見つける事によって、数を減らしつつも生き残っていく。しかし、作品のラストで驚きの真実が明かされる事になる。
それというのは、この殺し合いは実は53回も繰り返されたので、今がその53回目だというのである。殺し合いを強要していたのはモノクマではなく、外の、傍観者である「視聴者」であり、彼らの期待に沿うように、記憶を失わされた生身の若者達がみな、殺し合いをさせられていた。これはメタ的な仕掛けであり、ダンガンロンパを楽しんでいるプレイヤーの存在を作品内に入れた処置と言える。彼らが望むから殺し合いが続く……暴力をエンタメとして消費する事を批判するハネケの立ち位置と、こうしたメタ的な終わり方はよく似ていると言えるだろう。
ラストでは、殺し合いをさせられている学園そのものが、キーボというロボットのキャラクターによって徹底的に破壊される。それと共に、「ダンガンロンパ」、つまり「コロシアイエンターテインメント」は終わりを迎える。主人公の最原終一は、自分達が殺し合いを強要され、それを楽しんでいる視聴者がいる事に気づき、視聴者を「楽しませない」ような選択を選ぶ。それによって視聴者らの失望を意識的に招き、このフィクション世界を破壊する。それが最原終一の狙いだった。
だが、作品のエピローグはまだその先を描いている。生身の人間である最原や春川といった、殺し合いの生存者らは、キーボの徹底的な破壊の後も不思議に生き残っている。彼らは、フィクションとしての世界が終わった後、閉じ込められていた才囚学園の「外」に出るのだが、その「外」がどうなっているかは依然わからない。しかしとにかくも、生き残りの三人は学園の外に出ていく事で話が終わる。




