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蘭陵王伝  小暑の記   (10)  作者: 天下井  涼
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皇帝の術

皇帝に即位した高演は、下賜した妾を断られてことにより、王唏に対する友情に陰りが生じる。王唏の反対にも拘わらず、皇帝としての雄姿を示すため高演は、漠北に親政した。


十一月、今上帝高演は妃の元氏を皇后に、世子の楽城王高百年を皇太子とした。

元皇后は、前王朝の皇族元蛮の娘であり、皇太子高百年はわずか十五歳であった。そして、大きな勲功を立てた幷州刺史の斛律光の長女斛律蓉児を皇太子妃とした。

斛律光の長女を高百年の皇太子妃とすることにより、元氏の立后に反対する勢力を抑え込んだのである。


そして、皇帝高演は、太師・太原王の婁昭(婁皇太后の弟)、太尉の段栄(段韶の父)、太師清河王高岳など斉の創世期に尽力した二十三人の功臣を宗廟に祭った。高演は、父高歓、長兄高澄、次兄高洋と続く斉の社稷の筋目を明らかにして、高洋の終末期に傷つけた人心の結束を図ったのである。


            ★               ★


十一月の半ば過ぎ、太師中庶子(たいしちゅうしょし)である蘆叔虎(ろしゅくこ)が、高演に外征を勧めた。

「斉は、周に比べて兵が精強であるぬも拘わらず、長期にわたって周との国境を制圧できないのは、その武力をうまく使っていないからです。平陽に要塞(ようさい)を築き、大軍を置いて蒲州(ほしゅう)対峙(たいじ)するのがよろしいかと」

平陽は国境の汾州の中心であり、蒲州は黄河の水運を左右する重要な港である。

これに従って、洛州刺史(らくしゅう)洛州刺史(らくしゅう)王峻(おうりょう)が洛州(洛陽)の西境に三千里に渡る塹壕(ざんごう)を掘り始めた。


しかし、これに反対する者もいた。高演の古くからの王友である王晞(おうき)であった。

高演は、斉の政を正すために王晞に古くからの礼を調べさせていた。

高演は王晞のいる東館を訪ねた。王晞が高演に会うのは、競弓会以来である。

突然現れた今上帝に、王晞は拝礼した。


「陛下、今日はどのようなことでございましょう」

高演は以前は頻繁に会っていた王晞と、最近は会うのを避けていた。妾を王晞に下賜しようとして拒絶されたため、誇りを傷つけられたからである。

「最近、世間で話題になっていることはないか」

榻に座った高演は、王友の王晞を見下ろした。


「陛下の親征についてであります」

かつては、友として、その即位を促した王晞であった。今では君と臣として遠く離れてしまった。しかし、高演の顔を間近に見ると、友を想う気持ちも捨てられない。

「朕は、まだ皇帝として戦いに出たことがない。庫莫奚の南侵は、良い機会だと思っている」

高演は、兄の高洋に比べて武功が少ないことに劣等感を持っていたのだ。


「親征は、危険なものでございますれば、慎重に行うべきもの。庫莫奚(こばくけい)ごとき小敵に行えば、天下の民に失望されるでございましょう」

小心者の王晞が、言葉を尽くして奏上した。

しかし、高演の安全と名誉を心配する王晞の赤心は、高ぶる高演には届かなかった。

「王晞よ、それは、臆病者の考えじゃ。そなたは、私を侮っているのか。私は臨機応変に戦えるぞ」

高演は、そう言うと高笑いをして出て行った。


競弓会で妾の下賜を拒否した後、予想していた叱責を受けることは無かった。しかし、以前は親密であった高演との関係がいつの間にか変化し、見えない壁ができていた。

帝位に就けばどんな人も変わってしまうのであろうか。王晞は、寂しい思いで御書房をあとにした。


           ★            ★


十二月、今上帝高演は王晞の反対にも拘らず、自ら禁軍五千の兵を率いて庫莫奚征伐に赴いた。

今上帝率いる禁軍は、およそ十日で晋陽に到った。そして、数日兵を休ませると、晋陽の北西に位置する天地に向かった。

天地には、燕京山(えんきょうさん)という山があり、その頂に祁連池(きれんち)とよばれる湖があった。祁連池は、一里四方あまりの澄んだ大池であり、天地周辺の水源になっていた。


禁軍五千を率いた高演は、祁連池の辺まで進軍し幕舎を構えた。

高演は、この湖に木瓜(もくれん)の灰を撒かせ、魚を浮き上がらせた。庫莫奚の飲料水を枯渇させ北辺へ追い遣るためであった。

飲み水を絶たれ、北方に逃走した庫莫奚族の人々はこれを恨んで囁き合った。

「祁連池には、神の遣いと言われる霊魚がいたのだ。神に遣いである霊魚は死んでしまった。きっと斉には神の祟りが起ころう」

このような呪いの言葉は、庫莫奚族から周辺の遊牧民族に伝わり斉軍の知るところとなった。


そのような霊魚の噂は、禁軍の将兵の間にも広まった。

しかし、親征での勝利に逸る皇帝高演は、庫莫奚族の兵を追跡し、長城を超えて北進した。

高演は、逃走する庫莫奚を追撃し、軍勢を二手に分けた。そして、馬邑川沿いに逃走した庫莫奚を両岸から挟み撃ちにしたのだった。

ここに至り、庫莫奚は牛と羊を放棄して、遥か北方の七介山の山麓に向かって逃走していった。

ここで得た牛と羊七万頭は、斉軍に接収された。


十二月の半ば、高演は禁軍を率い戦利品として七万頭の牛羊を伴いながら、晋陽に戻って来た。そして、晋陽宮の畜舎に牛羊七万頭を収容した。

このように、初めての高演の親征は、庫莫奚を長城の彼方に追い払い、牛羊七万頭を得るという成果を収めて凱旋した。


皇帝になって以来猜疑心の強くなった高演は、北征に行っている間、鄴都で官吏達がどのように勤務しているのかを斎師の裴澤と主書の蔡暉に監視させていた。この二人は、酷吏として有名であった。

十二月の下旬、北征より鄴都に帰って来た高演に対して、裴澤と蔡暉が誣告した。

「ある者が、『陽休之と王晞が、陛下の親征中にも拘わらず、不真面目で飲んだくれていた』と申しておりました」

王晞は、こたびの親征に初めから反対していた。

自分の意見が通らなかったので、憂さ晴らしの酒を飲んでいたに違いないと高演は推察した。陽休之は、漢人官吏の大物であるが、楊愔とも極めて親しかったので、自分に対してよい感情を持っているはずがない。

高演は二人に抗弁する機会も与えず、裴澤と蔡暉の言葉を信じて陽休之と王晞に仗刑四十の刑を命じたのであった。


           ★                  ★


「皇太后様に贈る観音像が、今日出来上がってきましたの。出来を見てほしい」

青蘭が朱塗りの櫃から取り出したのは、白玉に彫られた一尺の半分ほどの観音像をだった。舟形の光背には、優雅な天女と蓮華を背負い、柔和でふくよかな表情が、どことなく婁氏に似ている。

長恭は、窓からの光を当てて緻密な細工に見入った。

「天衣の襞がよく刻れている。鄴都にこれほどの職人がいたとは・・・」

青蘭は、観音像を絹布で包むと櫃の中に納めた。


「白玉の仏像なんて、かなりの銀子が要っただろう?」

長恭は仏像を納めた櫃を厨子に仕舞いながら、青蘭に訊いた。

「以前は、石窟に摩崖仏を寄進することが多かったけれど、最近は玉で仏像を彫り念持仏にする人が多いそうよ」

青蘭は、白磁の茶器に蠟梅の花を入れた。小蘆から熱い湯を注ぐと蠟梅の甘い香りが白い湯気と共に一気に立ち昇った。蓋をしてしばらく蒸らす。青蘭は蠟梅茶を白い茶杯に満たすと、卓の前に座った長恭に勧めた。

「香は甘いのに、味はほろ苦い・・・」

蠟梅は、他の花に先駆けて雪の降る極寒の中で花を咲かせる。雪や霜にも負けることなく、花を咲かせひときわ甘やかな香を放つのである。


皇族でありながら決して努力を怠らず、困難に耐えている長恭は、どことなく蠟梅ににている。

「人は梅が咲けば、冬に咲く蠟梅を忘れてしまうらしい」

長恭が茶杯を傾けると、ほろ苦い早春の甘い香と苦みが唇から流れ込んでくる。

「冬に咲く蠟梅?」

「ああ?、王晞殿のことだ。・・・陽休之殿と王晞殿の事聞いたか?」

「ええ、、陛下の怒りを買い、仗刑四十に処せられたとか」

清澄な瞳が、困惑に歪んだ。


「それが、・・・親征中に何人かと集い、酒を飲んだと密告されたのだ、それが勤務怠慢であったと仗刑を受けたのだ」

「たったそれだけのことで、王晞様を仗刑に?・・・」

王晞と高演の親密さを知っている青蘭には信じられないことであった。

王晞は王友であり、高演の即位を促した功臣である。また、陽休之は、文宣帝でさえ教えを受けた能臣である。それほどの寵臣を、その程度の罪で仗刑に処したのである。


「陛下は、佞臣である裴澤と蔡暉の言を信じたのだ。人は、立場が変わると人柄も変わってしまうのだな」

二人は、茶杯を持つと榻牀に席を移した、

「王晞様が、陛下の怒りを買てしまった理由は?」

「ふうむ、王晞は、こたびの親征に反対であった。しかし、きっかけと言えば、妾の下賜を断ったことかな・・・」

長恭は、小さな茶杯を卓子に置いた。

「覚えているか?競弓会で王晞殿は、陛下より妾を賜った。ところが、夫人がそれを許さなかったのだ」

その後、陛下からは何の咎めもなかったが、長恭に言わせれば、かえってそれが陛下の恨みの深さを示しているというのだ。

「人は、本当に傷つくと口に出さないだろう?」

長恭が、過去の恨みをほとんど口に出さないのは、酷く傷ついているからかもしれない。でも、もし王晞ではなく長恭が下賜されていたら、どうしたのであろうか。

「もし、下賜されたのが・・・朗君(あなた)だったら、・・・」

陛下の命は絶対だ。王友でさえ不興をかう、まして普通の家臣となれば最悪の場合死罪にされる可能性もある。

「俺だったら、君を・・・そんな場面に立たせない」

長恭は、卓子に置かれた青蘭の手に自分の手を重ねた。

「でも、そうしたら陛下のご不興を買うことに・・・」

自分の我が儘で、長恭を危険にさらすことはできない。


「なあに、そたたの夫は、身体が頑丈だ。仗刑四十ぐらいで死にはしない」

王命に逆らうことは、死を意味する。長恭のその言葉だけで。十分だと青蘭は涙が出そうになった。

「私のために、長恭に怪我をさせては・・・」

長恭は腕を組むと、しばらく目を閉じた。

「二人のために、策を講じる。・・・」

長恭は青蘭を抱きしめると、耳に唇を寄せた。

「速やかに、・・・榻牀へ・・・」

長恭は、手を掴み青蘭を臥内に引っ張って行った。


皇帝に即位して、猜疑心が強くなった高演は、酷吏を信じ忠臣にも苛烈な刑を課すようになっていった。

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