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蘭陵王伝  小暑の記   (10)  作者: 天下井  涼
1/4

高百年の婚姻

二月の政変で常山王高演に協力し、高長恭は蘭陵王の爵位を得ることができた。しかし政変後も、相変わらず政権の実権を握っているのは高帰彦だった。王睎は、民の声を後ろ盾に高殷の廃位を迫っていた。


鄴都の城内に乾いた北風が吹き渡った。常山王府の広大な庭園の池の睡蓮(すいれん)はすでに緑の葉を失い、築山に植えられた木々が黄色や赤に色付いていた。


王睎(おうき)は王友であったが、高演とは二十歳以上年が離れて五十代になっていた。

高演がまだ十代の武将で、初陣を飾った頃から、王睎は忌憚のない意見を言ってくれるよき友人であった。大丞相になった今でも、高演は王睎が常に赤心から率直な進言をしてくれることを頼りにしていたのだ。

人臣を極めた時、高演は王睎を要職に就けようとしたのである。しかし、王睎は文弱の徒であったため、勲貴派の武将たちからの反発を恐れて大っぴらに面会することはなく、人目に付かないよう夜半を選んで屋敷に出入りするほどであった



王睎が闇夜に紛れて書庫に入ると、すでに高演が、多く灯された蝋燭の灯りの下で、上奏文を読んでいた。

「王睎、遅かったではないか・・・」

高演は、笑顔で上奏を置くと王睎に向き直った。

王睎は、礼に則り拱手をした。

「近頃、廷臣たちが『天命に従って天子とならねば変事が起きる』と私に迫ってくるのだ。そ奴らを簒奪を勧めた罪で罰しようと思うのだがどうであろう」

高演は、生真面目にそう言うと腕を前で組んだ。

「天子は身内の大切さを忘れ、殿下たち兄弟に、酷い仕打ちを行いました。一方、殿下もやむに已まれぬとはいえ臣下としての範疇を外れた一挙を起こしました。君臣が相疑う事態は長く続くはずはないのです。天命は不動のものではありません。いまの様相では、御父上が苦労して築かれたこの国も亡ぶことになりましょう」

王睎は、皇位に慎重な高演が歯がゆかった。常に慎重な王睎にしては、思い切った直言である。

「何を言うのだ、罪に問われるぞ。・・・国難を救うのは、賢人だ。凡人の私の出る幕ではない。・・・もう何も言うな」

高演は珍しく顔を赤くして立ち上がると、荒々しく書房を出て行った。


王睎は、父高歓が宰相をしていたころからの親友である。その進言は、真に国と高演の将来を思ってのことであろう。しかし、母の婁氏は、孫である高殷の廃位を望んではいない。二月の政変では、娘婿の楊愔を惨殺したことを今でも後悔しているのだ。高殷を廃位に追い込めば、母親との溝はいっそう深まってしまうのだ。

「王睎、そなたの言いたいことは分かっておる。しかし、・・・」

高演は回廊の途中で立ち止まると、思い詰めた様に己の拳を柱に打ち付けた。


後日、高演は、激務に喘ぐ丞相府の官吏たちの官位を一級上昇させた。そして、王睎を司馬(しば)領吏部郎中(りょうりぶじちゅう)に昇進させた。


                ★                ★


         

斛律光が、露台に立って南の夕空を見上げると、すでにいくつかの天灯が、温かい光を放って登っていくのが、斛律将軍府(こくりつしょうぐんふ)からも見える。

「そうだった、・・・今日は、中元節(ちゅうげんせつ)の灯籠祭りだったか・・」

家人も多くは灯籠見物に出かけたのだろうか、篝火(かがりび)の燃える音が聞こえる音がうるさいほど、広い邸内はいつになく静かである。

斛律光は露台の()に座ると、ゆっくりと首を回し黒々として顎髭(あごひげ)をしごいた。

「うむ、・・・蓉児が、何ということだ」


夕餉(ゆうげ)の時、妻の崔氏(さいし)が漏らした言葉を思い出した。

「最近、蓉児が瑗児を連れてよく出掛けると思い・・・、瑗児(えんじ)に聞き出したところ、外で男子(おのこ)と会っているようなのです」

「外で、男子と?・・・まさか、・・・何者なのだ、その男は。その男と・・・」

まだまだ子供であると思っていた長女が、男子と逢引(あいび)きをしていると聞いて、武勇に秀でた斛律光も気が動転(どうてん)し、怒りが湧いてきた。

「まさか、瑗児によると庭園を散策しただけだと言っています。蓉児は、まだ十二歳なのですよ。男女の関係など・・・」

「何を言っておる。隠れて男と会っていたとは言語道断だ。・・・ぜったい許せぬ。蓉児は外出禁止だ。すぐに、その男の素性を調べるのだ」


斛律光は、怒りがぶり返して石の卓を強く叩いた。

斛律光には、嫡庶(ちゃくしょ)を含めて息子は多いが、娘は二人しかいない。

その中でも長女の蓉児は、容貌も美しく目の中に入れてもいたくないほど溺愛していた。年頃になったら、権門(けんもん)の中から武勇に優れた武将を選んで婚儀を挙げさせるつもりであった。

以前、蓉児が高長恭に手巾を贈ったときも、多くの令嬢と浮名を流しているとの噂と出自の低さが気に入らず、息子の斛律須達(こくりつしゅだつ)に断りを入れさせたのだ。


その娘が、名も知らぬ男と逢引きをしているという。

斛律光は最初長恭を疑った。しかし、高長恭は、王琳の令嬢と婚儀を挙げた後は、恐妻に恐れをなしているのか浮いた噂も聞こえない。

『いったいどこの馬の骨なのだ。未婚の男女が親に隠れて会うこと自体、道義に反している。そ(やつ)を、・・・八つ裂きにしてやる』

斛律光は、手中の玉を盗まれた思いであった。


幷州刺史(へいしゅうしし)として遠方の太原(たいげん)に赴任してから、年頃の娘とは疎遠な関係になっている。これ以上娘との関係を悪くしたくない斛律光は、怒りを感じながらも蓉児を呼びつけて直接問い詰めることはしたくなかった。

「絶対に、・・・許せぬ」


中元節の今宵、蓉児は妻の崔氏や瑗児と共に灯籠見物に出かけている。今夜は特別に護衛を増やし、その男と会う隙を作らせないようにしている。もし中元節の灯籠見物に紛れてその男が近づいてきたら、捕縛するように命じてある。

『明日までには、男の素性(すじょう)も分かるであろう』

斛律光は、(たくま)しい腕を胸の前で組むと、唇をかみしめた。


瞑目(めいもく)すると、涼しい風が吹き花園のあちらこちらから、虫の音が聞こえてくる。

斛律光が刺史を務める北方の幷州では、すでに秋風が吹き樹木の葉も黄葉(こうよう)しているに違いない。

「光、・・・そなたは灯籠見物に行かぬのか」

隣から父の声がした。

気付かぬうちに、父親の斛律金が側に立っていたのだ。武将ながら謹厳実直(きっげんじっちょく)な斛律光は、立ち上がると父に拱手した。

「父上は、灯籠見物にいらっしゃらないのですか?」

「は、は、・・・この年になると、夜の外出は億劫(おっくう)でな」

斛律金が、椅に座ると侍女が、陳皮茶(ちんぴちゃ)を運んで来た。


斛律金は、北魏の光禄大夫(こうろくだいぶ)の子息に生まれた。長じては、北方の柔然(じゅうぜん)と激戦を繰り広げて、その功により鎮南(ちんなん)大将軍の位を与えられた。その後、高歓に従い数々の戦功を挙げて大司馬(だいしば)に任じられた。高澄が高歓の後を継ぐと、これに従い西魏に対して大いに(にら)みを利かせたという。

北斉が建国され高洋が皇帝になると、斛律金は、兵権を握り太師に任じられ栄華(えいが)を誇った。柔然が、北辺を犯すようになると高洋と共に北伐し、左丞相に任じられた。

数々の戦功を立てた斛律金は、政を牛耳ろうという政治的な欲望から無縁であったため、君主が度々変わったにも拘わらず、依然として勲貴派(くんきは)重鎮(じゅうちん)であり、人々から仰敬(ぎょうけい)されていた。


「常山王府より、縁談が来たのだ」

斛律金は、溜息まじり言葉を吐きだした。

「縁談ですと?」

権勢を誇る斛律府には、雨のように縁談が多くもたらされる。しかし、その多くは武勇に優れた息子たちにであった。

しかし、確かに蓉児はもうすぐ十三歳になって、婿を探す年齢である。

「そなたは、どう思う?・・・常山王は、遅かれ早かれ皇帝になるであろう」

常山王は、斛律家を皇帝の後ろ盾とするために、皇子の妃に娘を望んでいるのだ。しかしそれでは、政争のただ中に斛律家が巻き込まれることになる。


「常山王からのとの縁組を拒めば、敵対することになりましょう」

いくら、武功を誇る斛律家であっても、皇帝に歯向かったと断罪(だんざい)されれば、生き残りは難しい。

適齢の娘というと、嫡出では蓉児しかいない。まさか、八歳の幼女を妃に仕立てるわけにもいくまい。ましてや、市中で育てられている庶出の娘を差し出すわけにもいかない。


「そなたは、この縁談を受けると?」

「拒めぬなら、・・・いた致し方がありません。でも、できたら皇位争いには関わらぬ方が・・・相手はむしろ皇位と無関係の庶長子がいいかと」

外戚になれば昔より栄華を極めることができる。しかし、政争の渦中に立たされ滅ぼされた一族の例は枚挙に暇がない。長子との縁組で、斛律家の立場を示すことができる。

鮮卑族は、戦功でこそ栄華を得るべきなのである。外戚(がいせき)として権力を振るうのは、武門の棟梁として沽券(こけん)にかかわる事であった。

「そうか、・・・楽陵王(らくりょうおう)(高百年)ではなく、襄城王(じょうじょうおう)高亮(こうりょう))ということか?・・常山王には、その様に返事をしておくことにしよう」

斛律金は、溜息をつき冷めた陳皮茶を飲むと立ち上がった。

(わし)の事は、大丈夫だ。・・・蓉児の説得を頼む」

斛律光が腕を支えようとすると、斛律金はそれを手で制して居所に向かった。


斛律光は、多くの子供たちの中で、嫡長女の蓉児をことの他可愛いがっていた。蓉児は、まだ幼い。蓉児には想いを寄せる男がいるようだ。そんな蓉児に政略結婚を承諾させなければならぬとは・・。

斛律光は、頭を抑えながら卓に肘をついた。


斛律家に属する男子は、一族の繁栄を守るために戦いに赴かなければならない。女人であれば、それは婚姻になる。家と家の結びつきを強め一族の利益を守るために婚姻に臨むのである。

ましてや、斛律家の家長である自分には、一家を支えて行かなければならない冷徹な判断が求められるのだ。

「儂は、斛律家のために、前に進まなければならない」

斛律光は、冷めた苦い陳皮茶を飲むと立ち上がった。夜空を見上げると、数えきれないほどの天灯が、天上を目指して昇っていた。


           ★                 ★


「お嬢様、今日はお客様がいらっしゃいます。こちらに御着替えを・・・」

新しい側仕えの小梅が、鮮やかな柘榴色(ざくろいろ)の外衣を持って来た。


中元節の夜を最後に、蓉児の側仕(そばづか)えであった小翠が突然いなくなった。母親に訊くと、母親が病のために故郷に戻っているとの返答であった。しかし、両親の話を今まで小翠から聞いたことが無かった。

そして当然のことながら、小翠を通じて行っていた高百年との連絡も当然のことながら途絶えてしまったのだ。

蓉児の外出について、父母から直接叱責されることは無かった。しかし、自由であった寺院への参拝等の外出も禁じられてしまった。そして、中庭を散歩するときでも数人の監視役が付くようになったのである。


『兄上と会っていたことを、知られてしまったのだわ』

奴婢(ぬひ)であった小翠は蓉児の外出の責めを負って、処罰されたか他所(どこか)に売られてしまったのかもしれない。

小翠は、蓉児が幼少のころから仕えてくれた侍女であった。蓉児は小翠を失った寂しさと百年に会いたい恋しさに、毎日の両親への挨拶や食事を行う気力もなくなって塞いでいたのだ。


客への挨拶のための着替えを促す小梅の言葉にも、蓉児は、虚ろな眼差(まなざ)しでかぶりを振った。

「お嬢様、今日は紅を差されませ」

蓉児の顔色が悪いにもかかわらず、小梅は、妙にうきうきした口調で、蓉児の顔に化粧を施していった。

俯きながらされるままにしていた蓉児が目を上げると、鏡の中には生気(せいき)を失った少女が赤い唇で(たたず)んでいる。


「姉上様、お仕度、できましたあ?」

扉の外で、無邪気な瑗児の甘えるような声がする。

斛律家の令嬢として、妹と二人そろって今日の賓客(ひんきゃく)に挨拶に行かなければならないのだ。待っているのは、空虚(くうきょ)な拝礼や、歯の浮くようなお世辞の言葉と作り笑顔だけであることは、少女の蓉児にもわかる。

斛律家の面目を保つために、自分はこの疲れ切った心と身体を引きずって、父の待つ寝殿に行かなければならないのだ。

『ああ、もう、耐えられないわ・・・』

蓉児は鏡の前から立ち上がると、その苦しさから逃がれるように扉を力いっぱい開けた。扉の前には、瑗児と三人の侍女が待っていた。蓉児は、驚いた瑗児にぶつかりそうになった。


瑗児は、蓉児に飛びつくと耳元で囁いた。

「お姉様、見つけましたよ。常山王様のところに、・・・あの、お兄様が一緒に・・・」

「えっ?今日のお客は常山王なの?」

常山王府とは、何と懐かしい言葉であろう。

百年兄上は、自分のことを常山王の縁者と言っていた。今日は常山王の供として斛律府にやって来たにちがいない。それを、大門で迎えた瑗児が見付けたのだ。

『百年兄上にあえるかもしれない』

蓉児は急に(きびす)を返すと、鏡の前で身支度(みじたく)を確かめた。百年に会うときは、きれいな自分でいたいという女心であった。


             ★                       ★


居所から寝殿までの道筋で、蓉児は周りを見渡し高百年をさがした。

縁者であれば、常山王の警護に当たっているにちがいない。ところが、回廊はもちろん前庭を見渡しても、常山王の警護らしき人は見当たらない。よほど、少ない警護で訪れたのであろうか。

瑗児の見間違いなのかしら。蓉児は、諦めて瑗児の手を引き寝殿に入った。


居房に近づくと、よく通る斛律光の若々しい声が聞こえる。

「父は、常に安楽な余生を送りたいと、かねがね隠居(いんきょ)を願い出ております。もういい年ですから・・」

祖父の斛律金が先日隠居(いんきょ)を願い出た話をしているのだ。

「斛律左丞相(さじょうしょう)は、斉の大黒柱(だいこくばしら)だ、いつまでもお元気でいてもらわねば・・・」

常山王高演と斛律光は、正面の榻牀(とうしょう)に腰かけて親し気に話しているようだ。


入り口の手前で、蓉児は身を堅くした。

挨拶は一言だが、斛律府の令嬢として礼を失してはならない。

「お嬢様方が、いらっしゃいました」

蓉児は、目線を上げないように緊張して正面に進んだ。正面まで進むと、二人の令嬢は胸の前で手を合わせ、丁寧な揖礼(ゆうれい)をした。

「ようこそ、いらせられました。ご機嫌麗しゅう」

二人の視線は、あくまでも主たる賓客の胸から上を見てはいけない。

やっと終わったと思い、蓉児が浅く呼吸をした時だ、斛律光が二人を常山王に紹介した。

「大丞相、我が娘の蓉児だ。来年で十三歳になる。そして、こちらは・・・」

蓉児は、身体を強張らせた。父が娘の年齢など紹介することはなかったからである。

「ほう、蓉児殿か。若竹のような美しさかのう・・・。そうじゃ、こちらも我が息子を紹介しよう」


高演は、なぜか立ち上がると、伴った二人の息子に手招きをした。

「これが、長子の高亮(こうりょう)、そして、こちらが嫡子の高百年だ」

二人の長身の皇子は、葡萄色(ぶどういろ)縹色(はなだいろ)の薄絹の外衣の袖をひるがえして優雅に拱手をした。

蓉児は、高百年と言う言葉を耳にして、思わず顔を上げてしまった。常山王の側に立っていたのは、恋焦がれていた高百年ではないか。

蓉児は、高演の言葉も耳に入らず、百年から目を離すことができなかった。

『百年兄上が、なぜここに?』


「蓉児殿、覚えていらっしゃいますか」

高百年は、優美な瞳を緩ませると挨拶をした。もちろん、何度も会っていることは知られてはいけない。

「おう?、百年は蓉児と知り合いなのか?」

高演は、(いぶか)しむように目を細めた。親類でもない高官の子息と深窓の令嬢が知り合う機会は、特別のことがない限りほとんどないのである。

「はい、実は、以前、屋敷の端午節(たんごせつ)の宴でいらしたときに、偶然お会いしました。詩賦(しふ)に興味がおありとか・・・」

高演は、無作法なほど真っすぐに百年を見詰めている蓉児と、君子然(くんしぜん)として微笑んでいる百年を見比べると、笑顔を浮かべゆっくりと何度も頷いた。


「若い者は、こんな所では、気詰まりであろう。百年、亮、ご令嬢に斛律府の庭を案内してもらうがよい」

高演の言葉に、一番最初に反応したのは、妹の瑗児であった。

「さあ、お兄さま、一緒にいきましょう。瑗児が案内して差し上げますわ」

瑗児は待っていられないというように、蓉児と百年の手を取ると外に向かって走り出した。


あとには、高亮が困り顔で一人取り残されてしまったのだ。

「娘のしつけが悪くて申し訳ない。・・・武都(ぶと)襄城王様(じょうじょうおう)をご案内せよ」

斛律光は、後ろに控えていた長子の斛律武都を呼ぶと、案内を命じた。今日は、高亮と蓉児の顔合わせのはずだったのだ。しかし、蓉児は、高亮を置いて行ってしまっていた。

「斛律将軍、私は花園で花をめでるより、武術をまなびたい。武都、射術を教えてくれぬか」

高亮の、顔合わせに来たにも拘らず、置いてけぼりを食らってしまったことを取り繕うように不機嫌に言った。

「さすが、常山王の御子息ですな・・武都よお相手せよ」


高亮は、桑嬪(そうひん)所生の庶長子である。高百年が、母元氏の優雅な物腰を受け継いだのに対して、高亮は武勇を誇り粗野なところがあった。北斉の建国以来、正妃の元氏の一族が不遇を囲っていたため、高亮は庶出でありながら、おごり高ぶるところ甚だしかったという。


            ★              ★


「母上、龍井茶(りゅうせんちゃ)です」

高百年は、優雅な手つきで茶を()れると母の元氏に勧めた。

(りょう)よ、・・・斛律将軍の長女との婚儀がきまったそうね」

斛律光は、庶長子の高亮との婚儀を望んでいたとの噂もあったが、斛律府の訪問の後、父高演の意向により百年と蓉児の婚儀を決めたのだという。

「はい、父上からそのように言われました」

百年は、茶杯を持つと白く立ち上がる湯気を眺めた。


自分は、常山王世子(じょうざんおうせし)と言われている。しかし、北魏の宗族である元一族の数少ない生き残りの子供である高百年は、父高演が皇帝になった場合には、皇太子になれるとは限らない。

斉には、元一族の虐殺(ぎゃくさつ)を容認した(やから)が多く生き残っているからである。高百年が皇帝になった時の、復讐(ふくしゅう)を恐れている人々も多い。

しかし、斉の兵権を握る斛律光が、後ろ盾となれば話が違って来る。母の元氏を寵愛する高演は、百年の立太子を願っている。

しかし、政争に巻き込まれることを恐れた斛律光は、高亮との縁組を望んだのであった。ところが、蓉児の百年への好意が父親を裏切った。二人の想いを感じ取ったのであろうか、斛律家の意向に反して父の高演は、二人の婚姻を決めてしまったのだ。


「時々会っているという娘は、・・・斛律氏の・・・」

楽城王(らくじょうおう)として、散騎常侍(さんきじょうじ)に叙任することになった高百年であったが、五月の中頃から、休みを作っては寺院に参拝するようになった。元氏虐殺から一年となり、一周忌の参拝に行くと言って出かけていたのである。

「たまたま、母上に贈物を買おうとしたとき、出会いました。銀子を落としたとかで、貸したら質草(しちぐさ)として白玉(はくぎょく)玉佩(ぎょくはい)を預かりました」

「まあ、質草に白玉を・・・どれほど貸したのです?」

元妃は、驚いて笑顔を見せた。

上等な傷のない白玉は、銀百両ほどでも買えないであろう。蓉児は、物の値段に疎い令嬢であるのだろう。

「その白玉の細工で、斛律家の娘であると・・・知りました」

元氏は、百年の心を探った。

『皇太子の地位への下心から、その娘と会っていたのだろうか』

「蓉児は、純粋な愛らしい娘なのです。会っていると、世の中の憂いを忘れる様な・・・」

百年は、母親に菓子を勧めた。

「いずれ、父上にお願いして正妻として娶るつもりでした。母上も、きっと気に入ってくださるはず・・・」

高百年は、清澄な笑顔を母親に向けた。

『これで、父上は、母上を皇后に立てるはずだ』

北魏の皇族元蛮(げんばん)の息女に生まれながら、高演に嫁ぎ苦難の道を歩んできた母であった。元一族の粛清の折は、父高演の懇願により祖父元蛮は一命をとりとめ、歩六狐(ほろくこ)という屈辱的な姓を賜って生き延びたのだ。

その後、文宣帝からは、嫌がらせのように多くの側室が父に下賜された。

母の苦悩は言葉には出さないだけに、息子の百年には辛いものであった。


二月の政変の後、いずれ父の高演が皇帝に即位するときには、出自、気品、教養から言って相応しい母を皇后にさせてみせると高百年は決心したのである。前王朝の皇族である母こそ皇后に相応しいのだ。

それ以降、百年は学問はもちろん武芸にも力を注ぐようになった。

そんな中で、出会ったのが斛律蓉児であった。

四阿で出会ったときは、何処かの侍女の見習いかと思うほど幼く感じられた。しかし、唯品閣で再会し寺院の参拝にかこつけて会ううちに、その愛らしさと純粋さに惹かれるようになったのである。

玉佩により斛律家の令嬢であると知れてからは、時期を待って父に婚姻の許しを貰うつもりであった。


斛律家が、兄の高亮との婚姻を望んでいると聞いた時は、失意に打ちひしがれた。そして、どのようにして蓉児と高亮との婚姻を妨げるかに腐心した。斛律府へ兄を連れて訪問すると聞いたとき、同行を懇願したのは婚姻をどうしても阻止したいがためである。蓉児が自分を選べば、父は必ずや考えを変え、自分を蓉児の婿に選んでくれると確信していたからである。

娘を溺愛する斛律光は、蓉児の懇願を退けることはできなかった。


「母上、萩の花がきれいですよ。見に参りましょう」

高百年は、元氏の腕を取ると花園の方に向かった。



斛律光である長女斛律蓉児を嫡子高百年の妃とすることにより、高演は、斛律光を自分の味方とした。次の障害であるのは、母の婁皇太后であった。長広王高湛は、婁氏の寵孫である高長恭の力を借りて、婁氏の篭絡をはかるのだった。

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