別れの挨拶(改編)
大通りをリュックに詰めた荷物を背負って歩くとウェーブがかった栗色の髪が背中で揺れる。青空がどこまでも広がり清々しい気持ちで胸一杯に空気を吸い込んだ。
「リン! 待ってくれ!」
その清々しい気持ちを台無しにするかのような声がした。声に振り返ると声の主は幼なじみのマリウスだった。
「本当に行くのか? 母さんが花嫁修行の打診しても断られたって。なんでだよ! ずっと一緒だったじゃないか!」
マリウスはリンに詰め寄った。。
「3年前までは一緒にいてもいいと思ってたわ。でも、ロザリーのおかげで気づいたの。価値観の違う人とは結婚できない」
詰め寄るマリウスを正面から見据えてはっきりと断言すると、マリウスは声を大にして口論するように叫んだ。
「ロザリーのは唯の事故だ! 自殺なんかじゃない! 3年前にそう片付いただろ?」
こういうデリカシーのないところが好きではなかったと改めて再認識すると共に敵を認識した野生動物のように血が煮え滾った。
「何を言っているの? 私が言いたいのはそこじゃない!」
怒りを最大限伝えようとマリウスを睨み付け、塵になってしまえと頭の中で念じた。
「二股男に、『本命はおまえじゃない』って言われたロザリーにマリウスはこう言ったの。『浮気のひとつやふたつ養われる身なら見て見ぬふりしなきゃ』って! 忘れもしない」
傷つき泣いているロザリーに言い放った言葉は余りにも理解し難いものだった。当時、ロザリーの側にいたリンは出来ることなら火を吹いてマリウスを燃やしてやりたいと怒り狂った。
「町の皆んなも誰も二股男を責めやしない。ロザリーに、『花嫁修行中にいい勉強になったじゃないか』って言うの。どこがいい勉強よ! 傷ついたロザリーにまた結婚を薦めるなんてどうかしてる!」
リンは捲し立てるために吐きすぎた息を吸い込む。
「ロザリーは私に、『結婚はしたくない。もう信じられない』って言ってた。皆んなその言葉を聞いても、『結婚して家に入ることが幸せだ!』なんて馬鹿の一つ覚えみたいに言って頭がおかしいよ!」
呆れたように「言い過ぎたぞ」とマリウスが口を挟んだ。リンの怒りを無視して。
マリウスの態度はリンの怒りの炎にさらに油を注いだ。
「黙って聞いて! 馬車の事故でロザリーが死んでしまった理由なんてわからない。でもね、ロザリーは傷ついたまま死んだの! おかしいよ! ロザリーは何も悪くないのに!」
リンはマリウスに強引に接近し襟を掴んだ。至近距離で真っ直ぐにマリウスを睨みつける。
「私はそんな価値観を持ったままの人となんて結婚できない。そう言ってるの。自殺か事故か? もう片付いてる? 笑わせないで」
捲し立てたリンにマリウスは襟を握っていた手を払って後ずさった。それでも、リンはマリウスの胸元に指をさし攻撃の手を緩めない。
「ずっと一緒に? 3年前にロザリーが天国に行ってしまった日から、『結婚なんてしない』って何回も言った。聞いてなかったの? それとも、女が一人で生きていけるわけないって馬鹿にしてるの?」
「違うよ、違う。馬鹿にしてなんてない。ただ、リンに危ないところに行ってほしくなくて……。ずっと好きだったんだ」
今更何を言っているのかとリンは鼻で笑った。
「ごめん。わかってる。ロザリーへの言葉は慰めのつもりだった。気にするなよって、きっといい人いるからって意味だったんだ。本当だよ」
マリウスが必死に弁明しているがリンは静かに冷笑してマリウスに最後の言葉をかけた。
「そうなの。価値観の違いは永遠に埋まりそうにないわね。さよなら」
マリウスが「リン」と呼ぶ声がしたが、もう振り返らない。
別れの挨拶は充分にできた。