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推理篇


「その公衆電話の男を目撃したのは老人だけだったのですか」

「警官たちが聞き込みをした限りではそのようですね。何も電話ボックスの中で逆立ちをしていたわけではないのですから、たとえ男を目撃した住民が他にいたとしても、記憶に留めていない可能性もあります。服装も、裾の長い黒いコート姿で帽子を被っているという印象に残りにくい格好だったようですし」ストレートのアールグレイをきれいに飲み干した蘇芳警部は、ご満悦な笑みを顔に張り付かせる。「うん、実に美味い」

「公衆電話を使っていたということは、男は携帯電話やスマートフォンを持っていなかったんだろうな」ここで蒲生も会話に参入する。「電話を持っているのに、わざわざお金を払ってまで公衆電話から電話をする意味はない」

「そうだね、もし非通知で電話を掛けたかったのだとしても、携帯やスマホでもできることだし」

「しかし、だとすると110番の男が近隣住民という説が揺らいできますな。近場の者ならば、自宅で掛ければ済む話です」

「自宅に電話の類が一切なかったんじゃないのか。固定電話も携帯もスマホも」

「今の時代にそんな鎖国みたいな生活している人いるかな」碓氷は懐疑的な目を友人に向ける。

「じゃあ、出かける途中で110番のいたずら電話を掛けることを思い出したが、携帯やスマホを家に忘れて取りに戻るのが面倒だったとか」

「ふむ。だが現代人にとって、携帯電話の類はいつどこで必要になるかも分からんのだし、取りに戻る選択肢はなかったのかね」

「ううむ、それもそうか。付近の住民なら取りに戻るのにも大した時間はかからないだろうし」腕を組んで、音もなく回るシーリングファンライトを見上げる蒲生。一方碓氷は、斜め掛けバッグの中から手帳とペンを取り出すと、真っ白なページを開き黒インクを素早く走らせていく。

「今回のいたずら電話事件、5W1Hの方式でまとめるとこのようになりますね。いつ、どこで、だれが、何を、何のために、そしてどのように行ったか」


When:ここ一ヶ月、週に三~四日、夕方の六~七時の間

Where:住宅街の公衆電話で

Who:?

What:いたずら電話をした

Why:?

How:公衆電話を使って


「なるほど、このクエスチョンマークの部分が不明点ということですね。実に分かりやすい」見開き手帳に目を落とし、蘇芳警部は顎をゆっくりと撫でる。

「Why、つまり動機はもちろんですが、僕はWho、誰がいたずら犯であるかについてある疑問を持っています」

「ある疑問?」テーブルから身を乗り出すようにして手帳を覗き込んでいた蒲生が、きょとんとした顔を碓氷に向ける。

「老人が見た男といたずら電話犯が本当に同一人物なのか。つまり、この二人は実は別人ではないかという可能性だよ」

「老人が男を目撃した時間といたずら電話が掛かってくる時間帯は一致しているんだろう。だったら」蒲生の話の続きを碓氷はやんわりと遮る。

「謎の男が公衆電話を使っていた時間が、偶々いたずら電話の時間と重なっただけかもしれないだろ。謎の男の前後で、公衆電話からいたずら電話を掛けた別の人物がいる可能性だってゼロじゃない。尤も」言葉を切って、碓氷は残り僅かな珈琲で唇を湿らせる。「謎の男といたずら電話犯が別人だった場合、犯人探しという意味では振り出しに戻るわけだけれど」

「犯人が誰か、ということよりも、動機を先に考えたほうが早いかも分かりませんな」警部は通りすがったウエイトレスを「そこのお嬢さん」と呼び止めると、二杯目のアールグレイを注文する。

「Whyについては三つあるんだよな」蒲生は出し抜けに言い出した。「なぜいたずら電話をしたのか、なぜいたずら電話が110番だったのか、そしてなぜヘリウムガスで声を変えたのか」

「なるほど。重要な着眼点だね」碓氷は二番目の「?」の隣に蒲生の言葉を書き込むと、ペンの頭を唇に押し当てる。

「いたずら電話を掛けた理由はとりあえず置いとくとして、なぜ110番だったのかはたしかに気になるな。警察に何か恨みでもあったのか」

「復讐にしてはえらく幼稚なやり口ですな」穏やかなトーンで犯人を煽るような発言をする警部。蒲生は手帳から碓氷に視線を移すと、

「公衆電話がある住宅街に警察を呼び出したい理由があったんじゃないか。警察に調べてほしいことがあるが、ストレートにその理由を告げるわけにはいかなった。だから起きてもいない事件をでっち上げて110番したんだ。これなら声を変えた理由も論理的に説明できる。通報者は犯人に自分が通報したことがバレて口封じされることを恐れていたのさ」

「しかし結局は警官が駆けつけたところで、近隣住民にちょっと話を聞いて回って退散する、の繰り返しだろう。であれば一度の110番で『これこれこういう事件が起きている可能性があるから調べてくれ』と匿名の通報をしたほうが効率的だ。いたずら電話を何度も掛けたって、当の警官たちは何をどう捜査していいのかも分からない」

 碓氷の反駁に、蒲生は一瞬黙り込んだがすぐに「いや」と首を振る。

「それなら、いたずら電話犯はこれから住宅街で何かしらの事件が起きることを予測していたんだ。いたずら電話で警官たちを何度も呼び出して住宅街をパトロールさせ、犯人に警戒心を抱かせる。警官の目を恐れて事件を起こさせないようにするために」

 蘇芳警部は蒲生の推理に感心したように頷いている。「警邏目的にわざと110番をしたのか。たしかに110番であればいたずら電話の可能性があろうと駆けつけないわけにはいかないからな」

「お言葉ですが、蒲生の推理には一つだけ穴があります」執事が主人に物申すように、碓氷は控えめに口をはさむ。

「蒲生の仮説はたしかに理に適っていますが、なぜ『公衆電話だったのか』という疑問が解消できていません。犯人が電話機器類を所有しているかいないかが曖昧な以上、公衆電話である必要性については明確にしておきたい。公衆電話がある周辺に警官を呼び出したかったのかもしれませんが、それなら呼び出したい場所の住所を告げれば済む話です。通報者が住所さえ伝えておけば、わざわざ公衆電話を発信源と特定させる必要性もありません」

「じゃああれだ、公衆電話に警官を呼び出すことが目的だったんだよ。きっとその公衆電話には何かの事件の重要な証拠が隠されていて、それを警官に調べてほしかった。それなら特定の公衆電話でなければいけない理由になる」蒲生は自分の組み立てた理論を打破されないよう必死で補強を試みる。碓氷はゆっくり首を横に動かしながら、

「さっきも言ったけど、特定の物事を調べさせたいのなら一度の電話で詳細を告げたほうが早いんだよ。『どこどこの公衆電話ボックスを調べてくれ。ある事件の証拠が隠されている』とかね。同じ公衆電話から何度もしつこくいたずら電話が掛かってくれば、警察は誰かの悪ふざけだと結論付けて深刻に考えなくなるかもしれない。そうなればむしろ逆効果だ」

 机に顔を伏せ撃沈する蒲生に申し訳なさそうな視線を一瞬だけ送って、碓氷は警部に向き直る。

「ところで蘇芳警部。謎の男を見たという老人以外にも警官たちは話を聞きに回ったのですか」

「ええ、それはもちろん。呼び出される度に周辺住民の家を訪ねて回るので、顔なじみになった住人もいるほどです」

「聞き込みの詳細は、警部も把握しているのですか」

「私は地域課所属ですからね。今回のいたずら電話は私の担当でもあるので一通りの報告は受けています」

「では、守秘義務を犯さない程度で結構です。聞き込みの話の中で蘇芳警部が気になったことや怪しいと思ったことはありませんか。現状僕たちが把握している情報だけでは、犯人の絞込みや動機の特定は難しい」

「たしかに、相談を受けていただいているのに手の内を見せないのはフェアじゃありませんな。私はフェアプレイ至上主義なのでね」警部はスーツの内ポケットから革の手帳を取り出すとページをパラパラ捲る。

「とはいっても、事件解明に役立つような証言はあまり取れていないのです。何しろ老人以外に男を見た目撃者はいないのですからね。強いて気になることがあるとすれば、問題の公衆電話に撤去の話が挙がっていることくらいでしょうか」

「撤去?」

「ええ。公衆電話もああ見えて商売ですからね。売上げが伸び悩んでいる公衆電話は、利用者が少ないと判断されたら撤去の対象になるのです。近年、街から公衆電話がどんどん消えていっているでしょう。自動販売機はどこに行っても見かけますが、公衆電話はもはや絶滅危惧種のようなものです」公衆電話の未来を嘆くように悲しげに告げる蘇芳警部。

「あとは、そうですね。いたずら電話の中には『近くを不審な男がうろついている』という通報内容もありましたが、不審者に関する話も特に住民からは聞かれませんでした。それくらいですか――」

 蘇芳警部の視線が、手帳のあるページで他のページよりほんの少しだけ長い時間固定されているのを碓氷は見逃さなかった。

「他に何か気にかかることでも?」

「ああ、いえ。これは事件とは何も関係ありませんよ。懐中時計を持っていた女性がね」

「懐中時計?」碓氷はぴくりと肩を上げる。

「道端である女性に聞き込みをした警官の話なのですがね。その女性は今時珍しく、アンティーク調の洒落た懐中時計を持っていたそうです。出かけの途中で呼び止めてしまったためか、時計の文字盤をちらちら見ながら警官の聴取に応えていたそうで。いえ、決してその女性が怪しいという意味ではありません。第一、目撃情報にあがっているのは男ですからね。女性はどちらかといえばほっそりした体格で、件の男の特徴とは一致しない。女性がというよりも、懐中時計が印象に残っていたというだけです。すみませんね、大してお役にも立てず」

 己の非力を詫びた蘇芳警部だが、碓氷はなぜかにんまりと顔をほころばせると「いえ、必要にして充分です」と謎めいた一言を発してウエイトレスに珈琲のお代わりを頼む。そんな友人の様子を見ていた蒲生は蘇芳警部にこっそりと耳打ちした。「蘇芳おじさん。もうすぐ碓氷の探偵ぶりを拝めるかもだよ」

 蒲生の予想は、それから間もなく的中した。

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