問題篇
ついに字数制限を気にしなくなりかけている……でも今回はこれでもがんばって削ったんです。
「蒲生の坊ちゃんからお話はかねがね伺っています。一見摩訶不思議にも思える事件を、何とかホームズのように華麗に解き明かすご友人がいるのだと」
陶器のティーカップを上品な手つきで持ち上げ、蘇芳警部は厳かに言った。恰幅のよい身体を上質なスーツで固め、ついでに白髪交じりの髪までワックスでオールバックにかっちり固めている。くっきり濃い眉毛と垂れ目の組み合わせはいかにも温厚篤実そうだが、一方で裏社会のありとあらゆる修羅を潜り抜けてきた一筋縄ではいかない空気感も纏っていた。
蒲生曰く、蘇芳警部とは遠縁の関係にあって、昔は蒲生父が彼の世話になっていたのだという。現在、蘇芳は県警本部の生活安全部地域課に所属している。
「あの、それで本日はどのようなご用件で――?」
蒲生から「ちょっとしたお偉いさまで、ちょっとばかり気難しい人」が本日の客人だと事前に告げられていた碓氷は、緊張に満ちた顔を警部に向ける。
「ああ失礼。このような良い雰囲気の店に来るとつい紅茶を飲みたくなる。恥ずかしながら私はコーヒーが苦手でしてね」蘇芳警部はティーカップをソーサーに置くとスーツの下襟を正す。
「今日は、あなたに一つ相談があってご足労願いました。現在我々を悩ませているある出来事について、お知恵を拝借したいのです」
蘇芳から見ればまだまだ若僧であろう碓氷にも丁寧な口調を崩さない。しばしば蒲生から安楽椅子探偵役を担がされている男は、萎縮したように肩を縮ませ「はあ」と情けない返事をする。
「お役に立てるかは保障いたしかねますが、僕なんかでよろしければ」
「是非にも。私らのように無駄に年を食っていくと柔軟な思考も凝り固まるばかりでして。時にはお若い者の視点も取り入れるべきなのだと、最近ようやく考えを改めたのです」心を入れ替えた罪人のような口ぶりである。尤も、蘇芳自身は正反対の立場にいる人間なのだが。
「それでは早速本題に入りましょう。この一ヶ月、県警本部に頻繁にいたずら電話が掛かってきています」
「いたずら電話ですか」飛び出した話題が予想外に小規模だったためか、碓氷は拍子抜けしたように肩を下げる。目ざとい蘇芳警部は、碓氷のそんな様子を見てすっと目を細めた。
「ただのいたずら電話であれば我々だけで何とでもなりますがね。実はこのいたずら電話、ある住宅街の公衆電話のみから掛けられているのです」
「のみから? その一箇所だけから掛けられていると?」碓氷は眉をくいっと持ち上げる。
「ね、不思議でしょう。発信源を特定すると、この一ヶ月で本部に掛かってくるいたずら電話はすべて、たった一個の公衆電話に辿り着く。しかも、この電話は非常ボタンを押して発信されたものなのです」
「非常ボタンというと、電話の下あたりについている赤いボタンのことですか」
「そうです。まったくはた迷惑なものです」警部は額に深い横皺を三本刻むと、
「詳しい住所はここでは伏せます。発信源の公衆電話は、閑静な住宅街の一角にぽつんと置かれています。すぐ隣は公園で、近隣住民の憩いの場となっています。夜になると人気は減り、散歩で通りかかる者がぽつぽついる程度。そんな景色を想像していただければ結構です」
「いたずら電話はどのくらいの頻度で掛かってくるのですか」
「一週間に三回あるいは四回です。時間は夜の六時から七時の間」
「その時間帯で固定されているのですか」
「稀に七時過ぎという日もありましたが、その時間帯から大きく外れることはありません。今のところは。さらに奇妙なことには、いたずら電話の主は必ず声を変えてくるのです」
「は? 声を変える、ですか」頓狂な声を発する碓氷。蘇芳警部は貴族のような優雅さでソファ椅子にゆったり背中を預けた。
「ヘリウムガスはご存知ですか。よくミステリ小説なんかで登場する、犯人が素性を隠したいときにガスを吸って機械的な声に変わるあれですね。パーティグッズとしても利用されています」低く艶っぽい声で、辞書を読み上げるように説明する。
「身元が発覚することを恐れて声を変えていると?」
「それもありますし、場所が一箇所の電話ボックスに固定されていることからもいたずら電話は同一人物、しかも公衆電話の界隈に住む者による仕業ではないかと私は睨んでいます」警部は紳士らしい上品な微笑みを浮かべる。
「そうそう、もう一つ大事なことが。いたずらとはいえ万一本物のSOSということもありますからね。電話が掛かってくる度、最寄の警察署から警官が現場に駆けつけるのですが通報内容はまったくの出鱈目なわけです。それでも仕事なので周辺で聞き込みをするのですが、その中で奇妙な証言が挙がっていまして」
途端、碓氷は身構えるように身体を僅かに後方へ引く。彼は蒲生から「奇妙な話がある」と呼び出されては、毎度のごとく探偵役として推理合戦に強制参加させられてしまう。彼にとって「奇妙」の言葉は一種の呪言に近しい力を宿していた。
「そんなに怖がる必要はありません。ああですが、碓氷さんはいわゆるホラーが苦手ですかな? だとすれば、これ以上の話は気が進まないかも分かりません」警部はどうやら勘違いをしているようだ。碓氷はホラー映画や心霊番組に震え上がるような怖がりではない(むしろそれらの娯楽を平然と真顔で眺めるくらいの度胸はある)うえに、一度乗りかかった船から下りるのは彼の性分ではなかった。
「まったく平気です。それに、その先を聞かないといたずら電話の謎は解けないかもしれない。少なくとも、蘇芳警部はそのようにお考えだからこそ僕にお話しようとしているのでは」
「さすがに蒲生の坊ちゃんが推薦するだけはありますね」警部は満足そうに喉の奥を鳴らし、右手の人差し指をピンと立てる。
「夕方頃、具体的には六時前後、件の公衆電話ボックス付近を散歩していた老人の証言です。彼は、電話ボックスの中に佇む男の姿を目撃していました。男は受話器を右手に持ち顔の横に当てていて、老人は最初、男はどこかへ電話をかけているのだと思いました。それだけなら何も不思議はないのですが、老人はその後も、問題の電話ボックスで同じ男を何度も見かけているのです。一度や二度なんてものじゃない、彼が記憶しているだけでも十回以上、同じ男が同じ電話ボックスで電話をしているのを見ている。しかも、決まって老人の散歩の時間である六時前後に」
「県警本部に110番のいたずら電話が掛かってくる時間帯と一致するのですね」警部は緩慢な動きで二度頷くと、
「あまりに奇妙な体験に、老人は警官にこう言ったそうです。『あれは、逢魔が時に化けて出た男の霊なのではないか』と」
碓氷は蘇芳警部から視線を外し、目の前に置かれた珈琲カップをじっと睨む。
「110番する幽霊の謎、ですか」