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悲想恋歌


お待たせしましたぁぁぁ!!!


スライディングゥゥ!


ε≡ ヽ__〇ノ


土下座ァァァ!!!


三三 _|\○_ ズシャア


今回が今までで最も長いです。


そしてぇ!なんとぉ!

いつのまにか7万PV突破しておりました!

ありがとうございます!

(もうすぐ8万突破するなんて言えない・・・)


ブックマークやポイント評価、Twitterフォローして頂いた方々も本当にありがとうございます!


 


 ー深夜ー


 世界樹の上に一人の少女と一人の青年がいた。


「おにーさん!?どうしてここに……」


「どうしてって言われても……必要だから、としか。」


 驚きと共に少女が青年に問うと返ってきたのは曖昧な答え。


「ラウこそこんな時間になにしてるんだ?」


「それは……」


 しかし、少女は青年の問いに対して返答すらままならない。


「そうか、なら別にそれでいいじゃねぇか。」


 だが、青年はそれに不満を抱くこともなく、そう言って少女の隣に腰をおろした。少女と少しの隙間を残して。


「……どうして何も聞かないの?」


 そんな青年の態度に少女は疑問をぶつける。

 そして、少女には青年との間にある隙間はどこかもどかしく感じるものであった。


「まぁ……強いて言うなら聞かれたくなさそうだから、かな。

 そういやこの世界の月って見たことなかったけど三つもあるのか……」


 青年は夜空を見上げながら言った。


「……ふふ、やっぱりおにーさんって不思議な人だよね。

 おにーさんの世界では月は何個なの?」


 少女は青年に笑いかけながらそう言った。


「そうか?

 一個だ。」


 青年は少女の居る方へと視線を移して聞き返す。


「そうだよ……うん、本当に不思議でとっても優しい人。」


 儚い笑みを浮かべる少女。


「……ありがとよ。」


 それに少しばかり気恥ずかしくなった青年は明後日の方向へと顔を背けた。


「あはは、どういたしまして、でいいのかな?」


「ああ。」


 そんな二人を星の海原をゆく月の船は優しく照らしている。


「「…………。」」


 両者がともに黙り、静寂が訪れる。


「「…………。」」


 少女にとってそれはひどく落ち着くものであり、自らが二度と訪れる事のないと思っていた時間。


「……。」


「……ねぇ、おにーさん。」


 しかし、少女は自らその静寂を破る。


「……どうした?」


「どうしてここに来たの?」


 『どうしてここに来たのか。』その疑問は至極真っ当なもの。

 何を隠そうここは世界樹の上層部に当たる場所である。

 普通ならば深い夜の時間帯に訪れるような場所ではなく、ましてや今までにこの場へと少女以外の誰かが来たのはこの青年で『二人目』。


「……月が見たくなったから、じゃ不満か?」


 青年はその疑問に少しの間考えてから口を開いた。


「不満だよ。」


 少女はそれを事もなげに一蹴(いっしゅう)する。


「はは、そうか。それは困ったな。」


『本当に困った』といった様子で笑う青年に


「なにかあったの?」


 少女はそれとなく質問する。


「……少しこの世界に来る前の事を夢に見ただけだ。」


 そう言った青年の面持ちはいつもよりより暗く見えた。


「……。」


 青年の言葉を聞いた少女は黙って夜空を見上げる。


「……ねぇ、聞いてもいい?」


 少しの沈黙の後、少女は青年の胸中を悟りながらもその言葉を口にした……自らの罪悪感に蓋をして。


「……聞きたいならいつでも。」


 例え、『なにを』とは聞き返さずとも両者は一体それが何を指しているのかを理解していた。


「ありがとう、おにーさん。」


「……ああ。」


 少女が礼を言いながら青年の顔へと視線を移すが、青年はそれを一瞥するだけであった。


「……少し長くなるかもしれんが、いいか?」


「別にいいよ。」


 青年の言葉に少女はうなずく。


「そうか……それなら最初から話そうか。」


 青年はそれを受け取ると少し考えてから言った。

 そうして青年は自身の過去を語り始めた。



 ––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––



 俺は深夜に世界樹の上でとある少女と話をしていた。

 いや、正確には俺の過去を聞いてもらうだけなのだが。


「そうだな……それなら最初から話そうか。」


 ならば、まずは俺の世界にあった物の説明からだな。


「俺たちの世界には車という乗り物があって、それに乗って走るためのの高速道路っていう道があったんだ。」


「くるま?こうそくどうろ?」


 流石に聞きなれないらしい言葉にラウは首をひねっている。


「車ってのは鉄の箱が動くんだよ。ほら、これがその模型でこれがタイヤな。まぁ、車輪のカバーだ。

 ちなみに動くためにはガソリンっていう油がいる。」


 そう言って俺はミニカーを取り出して、説明する。


「……へー、こんなのがあるんだ……おにーさんの居た世界ってすごいね。」


 ラウはそれを手にとると、まじまじと見つめて感心したように呟いた。


「魔法じゃなくて科学というものが発展してたからな。てか、あんまり興味湧いてないな?」


「あ、バレた?」


 いたずらっぽい笑みを浮かべるラウに


「バレてるぞこんにゃろう。」


「あうっ……おにーさん酷いよ。」


 俺は軽くデコピンをかました。


「へいへい、酷くて結構だ。」


 ラウは感心こそしてはいたが、車にそこまで興味津々というわけでもなさそうだ。

 とっとと話を進めよう。


「話が逸れたな。それで、車が走るための道の一つに高速道路ってのがあったんだ。まぁ、デカくて長い橋だと思ってくれ。」


「うん、わかった。」


 ラウは俺にミニカーを返しながらうなずく。


「さてと、そうだな……」


 説明を終えると、俺は空を見上げながら一番古い記憶(トラウマ)を思い出す。

 俺の中で最も古く、忘れられない光景。

 俺にとって最悪であり、『普通』を失った日。


「……俺が12歳の時だったな。俺と母さんと父さんの三人でとある場所まで旅行に行ってたんだ。

 それで、その場所の景色だったり食べ物とかを楽しんでたんだ……楽しかったよ……本当に。」


 その楽しい思い出が家族と過ごした最後の時間となった。


『見ろ猛士!綺麗な人もたくさんいるぞ!』


『あんた覚悟は出来てるやろな?』


『えっ……ちょ、やめっ、猛士!助けて!』


 父さんと母さんのたわいないいつものやりとり。


『あ、これ美味しいで。』


『ほんまか?ちょっとくれ。』


『子どもにたかるなアホ!』


『いた!?ちょ、なにすん!?』


 父さんがふざけたりして母さんがそれを止める。そんないつもの日常。


「だけどな、その帰りにそれは起こったんだ。」


 それは夏休みも終わりに差しかかった夏後半での深夜の高速道路だった。


「今でもはっきり覚えてるよ。その日の出来事は。」


 目を閉じると浮かぶのはあの日の光景。


 燃えさかる炎。身体中に走る激痛。タンクローリーからまき散らされたガソリン。

 血やガソリン、ナニカが燃えて混ざりあった臭い。

 潰れた運転席。助手席にいる母の痛々しい微笑み。優しい言葉と暖かい手。そして、最後の言葉と後悔。


「交通事故だった。ガソリンを満載したタンクローリーっていう車が俺たちの車に真っ直ぐに突っ込んできたんだ。」


 原因は道路に落ちていたタイヤにタンクローリーが乗り上げた事。夜だという事もあって、それを避ける事が出来なかったのだろう。

 そのタンクローリーがバランスを崩して反対車線まで来てしまった事で俺たちの車に突っ込んできた。


「運転席にいた父さんは即死。母さんと俺は車の中に取り残された。

 だが、母さんは歪んだ車の一部にはさまれて動けなかったよ。俺も急に起きた事故のせいで訳がわからなくて何もできなかった。

 そんな時でも母さんは俺に対して優しかったよ。安心させるように笑いかけながら『大丈夫、お母さんは大丈夫やから。安心してな?』って。

 けどな、さらに追い打ちをかけるようにしてタンクローリーからまき散らされたガソリンに火がついたんだ。」


 交通事故、ただそれだけならまだ良かった。

 だが、二次災害が起きてしまったのだ。


「あっという間に燃えたよ。全部……ああ、全部燃えた。

 周りが火の海になった事に気がついた俺はとにかく母さんを助けようとした……けど、無理だった。足が完全にはさまれてて12歳の腕力じゃ到底及ばなかったんだ。

 母さんは『もういいから逃げて。』と頼んできたよ。当然、俺は聞かなかったけどな。」


 そこで話を一度切ってラウを一瞥する。


「……。」


 彼女は俺を見つめながら黙って話を聞いてくれているようだ。

 それを見た俺は話を続ける。


「そうやって出来もしない事をやっているうちに火がこっちまで近づいてきたんだ。俺も焦って母さんを引っ張り出そうとして必死だった。

 けど、そこにやっと救急隊が来た。多分、たまたま通った誰かが通報してくれたんだろうな。

 俺はこれで母さんも助かると思って血まみれになりなが車の外に出て叫んだよ。『こっち!助けて!こっちにおるで!』ってな。……けどその期待は裏切られた。」


 俺は淡々と語る。一切の感情も、一切の感傷もなく。

 そうしなければ俺は過去をここまで振り返る事が出来ない。


「助けが来た時には火が目前に迫っていた……だから、俺は救急隊員に泣きながらお願いしたんだ。『母さんを助けて下さい!お願いします!』って。


 隊員の人も血まみれになった俺を見てびっくりしてたけど、それに尽力してくれたよ……けど、助けるのには道具を使う必要があるって言われた。

 でも、そんな時間なんてどこにもなかったんだ。

 だから、母さんは『私の事はもういいですから、この子を……お願いします。』って隊員の人に言ったんだ。」


 その時の母さんと救急隊員の表情が忘れられない。

 母さんは無理をして笑いながら、隊員の人はまた驚いた後に凄く悔しそうな顔をしていた。


『なに言うてん!?諦めたあかんで!』


『そんなわがまま言うたらあかん。ええからはよ行き。』


 必死に抗議する俺に母は退かなかった。


『……本当にいいんですね?(わたし)は今この場で貴女を見殺しにして、お子さんだけを救助します。本当によろしいですね?』


 救急隊員は苦渋の決断をして、最終確認をする。


『はい……でも、最後に一つだけ。』


 母はそれに同意してから少しだけ猶予を貰った。


『わかりました。』


 側で動こうとしなかった俺に母さんは俺の頰に手を当てながら


『愛してる……生きて。』


 たった一言、そう言った。


『っ!まって、そんなん……ええから……冗談にしても笑えやんで。』


 俺はそれを信じたくなくて動こうとしなかった。


『坊主……』


 それを見ていた救急隊員も苦しそうな表情だった。


『行ってください!はやく!』


 けど、その母さんの一言で救急隊員は我にかえったらしく


『っ!すまん坊主!恨むなら俺を恨め!』


『っ、離せ!離せや!』


『すまん……すまん!』


 俺を抱き上げて一気にその場所から離れていった。


『待って!まだ何も!』


 その時見た光景がまぶたに焼き付いている。

 スローモーションのようにゆっくりと動く景色。


『なんも言えてなっ……』


 そして、俺たちが離れたのを見計らったかのように


『うそ……まって!まてや!』


 炎が車を包んだ。


『あ……あぁ……ぁあぁぁあああぁぁああぁぁぁぁぁ!!!!!!!!』


 その後はよく覚えていない。

 気がついたら病院のベッドの上にいた。


 ただ、一つだけ言えること。

 それは『何も伝える事が出来なかった』ということ。


 今まで育ててくれた感謝も、たった一言の『ありがとう』も……父さんと母さんは色んなモノを伝えてくれたのに……

 ほんの少しでよかった。ほんの少しだけでも伝える事が出来たならどれだけ良かっただろうか。


 それが俺の中に深く傷跡を残した深い後悔。

 普通であった当たり前の日常を失い、当たり前を当たり前と思える事が特別であったことを知った日。


  「その日、俺は全てを失った。


 病院のベッドの上で気がついた時には俺を助け出してくれた救急隊員の人が側に居たんだ。

 その人は俺が起きたのに気がつくとひたすら謝ってきたよ。『君しか助けられなくて本当にすまなかった。君の気の済むまで俺に不満をぶつければいい。』ってな。

 けど、俺はそんな事より聞きたい事があった。母さんはあの後どうなったのか、それを聞きたい一心だった。

 最初は隊員の人も渋っていたけど俺があんまりにもしつこく聞いたから最後には折れて教えてくれたよ。」


 また話を切って少しだけ空を眺める。


「……。」


 ラウは ジッ と俺が話を再開するのを黙って待ってくれている。

 そして、俺は再び話を進めた。


「……母さんは自害していた。

 ガラスの破片を使って首の脈を自分で切っていたらしい。

 死因は失血多量。夏という季節だったのに加えて火に晒されて体温が高かったから代謝が上がってて母さんは燃えるより前に死ぬ事が出来たらしい。」


 本当に皮肉なものだ。


「っ!」


 ラウの方を見ると表情を悲痛に歪めている。


「ラウ、そんな顔するな。俺はむしろそれでよかったと思っている。」


「……どうして?」


 俺が笑いながら言うとラウは少し責めるような口調で聞いてきた。


「焼け死ぬのが一番苦しみながら死ぬ死に方だからだ。だから、俺はそれを聞いた時は安堵したよ。」


「……ごめんなさい。」


「気にするな。もう昔の、それも異世界での出来事だ。」


「……。」


 俺がそう言うとラウは黙ってしまった。

 そんな彼女の様子に俺は話を進めることにした。


「それからその人は事故の詳細も話してくれた。

 事故当時は深夜で前方が見えずらくてタンクローリーは車高が高いから運転手はタイヤを視認出来なかったそうだ。

 運転手は何箇所か骨を折ったが、生きていると言っていた。死亡したのは俺の父さんと母さんの二人だけ。


 ただ、奇妙だったのは俺たちの車はあえて運転席が潰れるようなぶつかり方をしてたそうだ。

 普通なら人間は咄嗟の判断で自分を守る為にハンドルを切るらしい、けど俺たちの車はまるで運転席だけが潰れるように角度を変えてぶつかっていたらしい。

 そのおかげで母さんと俺はあの時生きていた、と。」


 その時に脳裏に浮かんだ言葉。


「父さんはこういつも言ってた『自身が守りたいモノの為に命を尽くせ。』ってな。」


 それは父さんの言っていた言葉だった。


「それって……」


 ラウが何かを察したように呟く。


「ああ、父さんのおかげだった……父さんは自分の言葉を行動で示した。自分が死ぬことで母さんと俺を守ろうとしたんだ。

 けど、誤算だったのはガソリンが燃え広がって火災が起きた事と、乗用車とタンクローリーとの質量差で想定以上の衝撃が加わって助手席も歪んでいた事だ。」


 俺はそれを肯定しながら話を続ける。


「話を聞いてる内に俺の親戚が集まってきたよ。そこにはタンクローリーの運転手も居た。


『なんでお前が生きてるんだ。』って思ったりもしたけど、子どもの俺に泣きながら謝ったり、集まった親戚全員に土下座した運転手を見て『ああ、この人も被害者なんだな。』って思ったんだ。

 だから、その人には『もういい。あなたもわざと事故を起こした訳じゃないし、謝られても俺にはもう何もない。俺はあなたを許さないけど、文句を言うだけの力もないから帰ってください。』そう言って帰ってもらったんだ。

 親戚の人も俺の意思を尊重して何も言わなかったよ。」


 俺自身、あの時になんて言えばよかったのかわからない。

 どれだけ謝られても俺の心に空いた穴は塞がることはなかった。もう、どうでもよかったんだろう。

 戻ることのない失われた日々をもう一度過ごしたいと願ってもそれは叶うことがないのだから。


「そして俺の体調に気をつかって一度は全員病室から出て行った。たぶん、俺の引き取りの話をしてたんだと思う。

 そして、数日してから俺は『あの人』に出逢った。」


 いまだな、お忘れられない。


 モデルのように身長が高く、すらっとした長い足に長く艶のある美しい黒髪。

 見る人全員が息をのむであろう整った顔立ちに、黒い瞳は見ていると吸い込まれそうな錯覚すら覚えた。


 俺に向かって優しく微笑む『あの人』


「あの人?」


 ラウが不思議そうに首をかしげている。


「ああ、その人は独身で唯一俺を引き取れる存在だった。他の人たちはほとんど働ける年齢を超えてたからな。

 それでその人は俺を引き取ってくれたんだ。」


「すごく優しい人なんだね。」


 ラウは安堵したように笑みを浮かべてそう言った。


「ああ、俺の好きな人だ。母さんの妹で優しくてすげぇ美人だった。」


「えっ……女の人なの?」


 ラウが言外に意外だと伝えてくる。


「まぁ、意外だろうな。俺だってびっくりしたさ。

 事故から数日後にいきなり美人がやってきて『退院したらあなたと一緒に住みます。よろしくね。』ってさ。

 怪我が治るとすぐにその人が迎えに来てくれてその人の家に帰ったんだ。」


 俺はラウの反応を見て笑いながら語る。


「幸い俺の父さんは家を建てる前だったから少し俺の荷物を持ってくるだけだった、って先に俺の荷物を運んで来てくれていた。

 けど、そこは俺の慣れ親しんだ場所から遠い場所で方言も違う。正直言って嫌だった。

 傷心中だったこともあってその人の事も最初はあまり良く思っていなかったんだ。

 だから、反発したり無視したり反抗的な態度を取っていた。


 けど、俺のそんなな態度にもめげずに優しく接してくれたよ。普通なら引き取ってくれただけでも奇跡なのにあんなに優しくしてもらえたのは僥倖だった。


 それから引き取ってもらって二ヶ月してから俺は自分から初めてその人に話しかけた。」


「……何を聞いたの?」


 ラウは一度だけ聞くべきがどうか迷ったらしいが、やはり聞きたくなったらしく質問してきた。


「なんで俺を引き取ったの?って聞いた。」


「なんて言ってた?」


「『あなたが(わたし)にとある言葉を言うまで言えない。』って言ってた。」


「え……?」


 ラウは理解できないという表情を浮かべている。


「だろ?普通そうなるわな。俺も何を言って欲しいのかわからなかった。

 けど、感謝してほしいのかと思って『引き取ってくれてありがとうございます。』って言ったけど違った。」


「えぇ……」


 ますますわからないといった表情でラウは困惑している。


「俺だってわからなかったよ。『どうしてこんなに綺麗な人が俺を引き取ったんだろう?』って思った。

 その人ならすぐに良い人が見つかるはずだったんだ。俺なんか居ても邪魔なはずなのに、その人は別に彼氏を作るわけでもなく俺の面倒を見てくれた。

 その人は一切不満を漏らした事も、俺に対して怒った事もなかったよ。」


「すごいね……」


 ラウは心の底から感心しているようだ。


「ああ、すごい人だった。本当に神様みたいな人だったよ。」


 俺が懐かしむように言うと


「ねぇ、その人ってなんて名前だったの?」


 ラウがそんなことを聞いてきた。


「気になるのか?」


「うん、おにーさんがそこまで言うなんて珍しいなって思ったから。」


「そうか?」


 別に少し印象深いだけなのだが……


「うん、だっておにーさんすごく良い笑顔で言うんだもん。」


「マジか。」


 自覚がなかったが、どうやら無意識に頰が緩んでいたらしい。


「……その人の名前は『クミ』さんだ。」


「そっか、クミさんって言うんだ……うん、ありがとうおにーさん。」


「おう。」


 ラウはクミさんの名前を呟いて何か考える素振りを見せるが、すぐに何かを決心したような表情をした。


「で、どこまで話したっけな……そうそう、初めて話しかけた所までだったな。それからクミさんと少しずつ打ち解けていったんだ。」


 懐かしき想い出の始まり。


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 –––––––

 –––



『あなたから話しかけてくれるなんて嬉しいわ。よろしくね、タケくん。』


 優しく微笑みながらそう言ったクミさん。


『よろしくお願いします……タケくん?』


 俺が自分の呼ばれた名前に首をかしげると


『ああ、それはあなたと少しでも仲良くなれればと思ったのよ。(わたし)の事は……そうね、クミでいいわよ。』


 クミさんは笑いながらそう言ってくれた。


『わかりました。クミさん。』


『あら、お姉ちゃんでもいいのよ?それに敬語なんて使わなくていいわよ。』


『……できません。』


 でも、その時はまだ遠慮もあってそんな事は出来なかった。


『……そう、でもいつでもそう呼んでくれていいわよ?』


 残念そうな顔をして、また微笑みながら言ったクミさんは俺にはとても眩しく見えた。


「出逢って二ヶ月してようやくその人に話しかけた。その時のクミさんの笑顔は嬉しそうだったな……。


 ただ、クミさんはちょっと欠点もあったけどな。」


 本当に懐かしい。最初の二ヶ月は大体外食とか弁当とかそんなんばっかり食べていたから知らなかった。


『うん、今日はタケくんと少し仲良くなれた記念に料理を作るわ。』


 張り切ってそう言って台所に立つクミさんはすごくやる気に満ちていた。


『えっと……ここをこうして……あ、お皿出さないと……きゃっ!【パリーン!】……片付けないといけないわね。』


 だだ、なんというか……その……


『……あっ!焦げてる!?……どうしようかしら……?』


 ものすごく不器用というか……


『……えっとごめんなさい……なんとか作ってみたのだけど……』


『……。』


 クミさんはものすごく料理音痴だった……


 半泣きになりながら差し出された皿には焦げまくったナニカや、大きすぎる野菜のかけらなど、もはや何から突っ込めばいいのかわからないほどの出来栄え。

 ご飯でさえパサパサだ。


 差し出されたその謎の物体を前に俺は意を決してそれに箸をのばす。


『……頂きます。』


『えっ!?食べちゃダメよ!?』


 ⦅なら、出すな。⦆


 そう思いながらも一口食べると……


『!?』


 その味は最悪だった。

 サクサクとした食感やグチャッとした食感に、形容しがたい味が見事に不協和音を奏で、激しい嘔吐感に襲われた。

 一体どんな調理の仕方をすればこんな物を錬金することが出来るのだろうか?


『……ど、どうかしら?』


 そんな俺の内心など知らずにおずおずと聞いてくるクミさん。


『……お、おいしいです。』


 だが、俺は無理矢理にでも笑みを浮かべてそれを食べ進めた。


『ほ、本当?……(わたし)も食べてみるわ………っ!?』


 クミさんは慎重に一口食べるが、すぐに顔色を変えてどこかへ行ってしまった。


『……不味い。本当にまずい……』


 俺は一人呟き、その不味いご飯を泣きながら食べ続けた。


『……まずい……っ、ほんっ、とうに……まずい』


 脳が危険信号を出していても、それを食べないわけにはいかなかった。


『……っ、う……ぐすっ……』


 優しくしてもらえている、その実感がその時になってとめどなく溢れてきた。


 今までは当たり前すぎて何の疑問も感謝もしていなかった普通の事に対する感謝。


 母さんが美味しいご飯を毎日作ってくれていたことに対する感謝や、不慣れどころか出来ないはずの料理をしてくれたクミさんへの感謝も。


 ああでもない、こうでもない、と苦労しながら俺の為に作ってくれた料理とはいえない物。


 それでも、それを食べるとあの事故以降は何も感じなくなっていた心が感動に包ままれていた。

 失った悲しみをぶつける先がなくてどうする事も出来ない辛さの中にあった俺とって、それが嬉しくてたまらなかった。


『うぅ……想像以上に破壊的ね……』


 そうしているうちに顔色を悪くしたままのクミさんが戻ってきた。


『……えっ!?なんでまだ食べてるのよ!?ダメよそんな物食べちゃ!それに泣くほど酷い味なのはわかってるから別に食べなくてもいいのよ!?』


 ただでさえ悪い顔色をさらに悪くして焦った様子で俺を止めてくるクミさんだったが


『……せっかく作ってくれたんですから食べます。』


 俺は気にせず食べていた。

 すると、そんな俺を見かねたらしく


『ダメよ……こんなの食べさせたら虐待になるわ。』


 クミさんはそう言って皿を取り上げて中身をゴミ箱に捨ててしまった。


『……。』


『……今日は外食しましょう?』


 捨てられてしまった事にショックを受けているとクミさんは励ますようにそう言った。


『今度は練習して食べられる物を作ってあげるから、ね?』


 クミさんは俺の手を取ってさらに励ましてくれる。


『……そうじゃないんです。』


『え?』


 優しく話しかけてくれるクミさんに俺は伝えようと思った。

 いや、そうしなければいけないと思った。


『……泣いてたのはただ……嬉しかったんです。俺なんかの為に頑張って料理を作ってくれて……優しくしてくれて……っ、ありがとうっ……ございます……ぅうっ……』


 せめて、せめても感謝だけでもこの人に伝えなければと。


『……そうなのね。』


『っ!』


 クミさんが俺の頭を胸元に抱き込んてそう言った。

 そして、さらに続ける。


『……苦しかったでしょう?悲しかったでしょう?いいのよ、もっと泣いても……悲しかったら悲しいと、苦しかったら苦しいと『私』(わたし)に言いなさい。全部聞いてあげるから……ね?

 だから『私』を見て?『私』に話して?あなたは一人じゃない。一人にはさせない。』


 俺が顔をあげた先で見たその黒い瞳、そこには強い意志を感じた。


『私が側にいる、私があなたと一緒にいる。あなたが望むならいつまでも一緒に居てあげる。』


 クミさんの優しさはまるで甘い蜜のようだった。


 優しい微笑み、その温かい言葉、抱きしめられている感覚、伝わってくるクミさんの鼓動、甘い香り


 その全てが俺を魅了し、感情をせき止めていた全てが崩壊した。


『ぁぁっ……うぁあぁぁああぁっ!!あぁぁ!どうしてっ!なんでっ!なんで俺だけ!あぁぁあぁあ!!』


 俺はクミさんにすがりつくようにして泣いた。


『いいのよ……大丈夫……(わたし)が側にいるわ。安心して泣いて……辛かったのね……もう大丈夫よ……』


 クミさんはそれから俺が泣き止むまでずっと優しく頭を撫でながら優しい言葉をかけ続けてくれた。


 その時に撫でられていた感覚。

 それは深い安堵とこの上ない心地よさを俺にもたらした。



 ー次の日ー


『あら、おはようタケくん。』


 次の日の朝、起きて台所に行くとクミさんが立っていた。


『おはようございます。クミさん。』


 昨日の事で俺は少しばかり気恥ずかしかったが、クミさんはいつも通りの笑顔で迎えてくれた。


『今日は簡単な物を作るから安心していいわよ?今度は失敗しないわ。』


 ふふ と笑いながら優しくそう言ったクミさんに


『ありがとうございます。それなら少し手伝います。』


『あら、ありがとう。でもその前に顔を洗ってきなさい。』


『分かりました。』


 俺も何か出来ることがあれば、と皿を出したり簡単な事を手伝った。


 そして、目玉焼きとトースト、野菜を切っただけのサラダが出来上がった。


『ありがとう。何とかこれくらいなら出来たわ。』


『よかったです。』


 笑顔で言うクミさんに俺もこたえる。


『っ!』


 するとクミさんが驚いた表情で俺を見つめる。


『?、どうかしましたか?』


 俺はそれが気になって聞いてみた。


『……気づいてないの?』


 俺が聞き返すとクミさんは不思議そうな表情で聞き返してくる。


『何がですか?』


 もう一度聞き返すとクミさんは言った。


『タケくん、いま一瞬だけ笑ったのよ。』


『そうですか……?』


『ええ、そうよ。初めて見たわよ?とても可愛いのね。』


『なっ……!?』


 二ヶ月経って初めて俺が笑った姿を見て、クミさんはとても嬉しそうだった。


『……。』


『あら、照れてるの?ふふっ。』


 くすくす と笑うクミさんに俺は恥ずかしくなってしまっていた。


『そっちの方が可愛らしくていいじゃない。そのうちお姉ちゃんって呼んでみてもいいのよ?』


『ぐっ……ご飯が冷めますよ。食べましょう。』


『あらあら。』


 その日はいつも以上にクミさんが嬉しそうに笑っていた。



 –––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––



 ー数日後ー


 クミさんが仕事に出かけた後、俺が家でくつろいでいると


『ニャーン』


『ん?黒猫?なんでこんな所に……あ、首輪ついてる。』


 家の中に一匹の黒猫がいた。この家に来てから初めて見る存在だった。


『どうしたー?』


『ニャアー』


 フローリングの上でちょこんと座り、こちらを見ながら鳴く猫。


『……ちょっとだけ撫でてみるか。』


 それを見てなんとなく撫でたくなったので恐る恐る近づいてみると


『ニャー』


『あ、腹見せた……』


 その黒猫はゴロンと寝転んで腹を見せながら鳴いた。


『頼むから引っ掻くなよー?』


『ゥニャア』


 俺がそう言葉をかけると猫が返事をするように鳴き返してくる。


『……はは、なんか会話が成り立ってるみたいで面白いな……おお、いい手触りだ。』


『♪』


 本当に真っ黒で艶やかなな毛並みはサラサラとしていて、いつまでも撫でていられる。

 猫は俺が撫でるのを嫌がるどころか嬉しそうにしていた。


『かわいいなぁ……』


 俺は動物は飼ったことも、飼いたいと思ったこともなかったが、この時から動物に興味が湧き始めた。


 結局その日は一日中その猫と一緒に居たのだが


『そういえばこの猫はクミさんが飼ってるのかな?』


 夕方になった頃、ふとこの猫の飼い主が誰なのか気になった。


『!』


『あ……』


 すると、猫は何かに気づいたかのように俺の膝の上から立ち上がってどこかへ行ってしまった。


『ただいまー』


 そして数分後にクミさんが帰ってきた。


『おかえりなさい、クミさん。』


『あら、タケくんがお出迎えなんて嬉しいわ。』


 そう言ってクミさんは ふふふ と上機嫌に笑う。

 とりあえず俺はさっきの猫の事を聞いてみることにした。


『あの、クミさん。』


『なぁに?タケくん。』


『クミさん、黒い猫飼ってます?』


『……ええ、飼ってるわよ。しょっちゅう家出してなかなか帰って来ないけどね。』


 俺が聞くとクミさんは少し驚いた顔をしてそう答えた。


『どうしてわかったのかしら?』


 クミさんは顎に人差し指を当てて首を傾げながら不思議そうに聞いてくる。


『今日、黒猫が家に居たんですよ。首輪をしてて、撫でても嫌がったりしなくて、人間に慣れてる様子でした……それで、もしかしたらって思ったので。』


『ああ、それでなのね……それにしてもあの子が帰ってくるなんて珍しいわね。』


 説明するとクミさんは納得したように頷きながら言った。


『さっきまでは一緒に居たんですけどね……どこかに行っちゃいました。』


『あらあら、それは残念ね。飼い主の私には姿すら見せないのにタケくんには撫でさせるなんて……嫌われてるのかしら。』


 クミさんは片手を頰に当てて困り顔だ。


『どうなんでしょうね……でも、たまに帰ってくるなら少なくとも嫌われてはいないのでは?本当に嫌なら帰ってこないですよ。』


 それを見て俺はなんとかフォローを入れようとするが、果たして意味はあるのだろうか。


『優しいのね……その優しさが嬉しいわ。タケくんの美点ね。』


 なかった。というか褒められた。


『……えっと……ありがとうございます?』


 何を言えばいいかわからなくなってしまった俺は疑問系のお礼という謎の言葉を放った。


『そういえば、あの猫の名前ってなんですか?』


 気恥ずかしくなった俺は話題を切り替える。


『チェルノボグよ。』


 するとクミさんが微笑みながらそう言った。


『はい……?』


『だから、チェルノボグよ。』


 クミさんは微笑みを崩さずに同じ言葉を繰り返す。


『あ、はい。』


 一瞬、聞き間違えたのかと思ったが、どうやら聞き間違いではなかったようだ。というよりもそれは猫に付ける名前ではない。


『えっと……すごい名前ですね。』


 かなり独特のネーミングセンスではないだろうか?


『そうかしら?カッコいいと思うのだけれど……』


 しかし、クミさんはその自覚がないらしい。

 もしかして猫がクミさんのもとへあまり帰ってこないのはその独特のネーミングセンスか原因なのではないだろうか?


『かっこいいって……猫に付ける名前の要素にいります?』


『え?いるわよね?』


『そうですか……』


 俺はクミさんのその回答にそう言うしかなかった。

 どうやらクミさんはステータスを見た目にガン振りしてしまったらしい。


『でも、あの子可愛かったでしょう?』


 可愛いのがわかってるのにカッコいい名前を付けたようだ。さらに意味がわからない。


『えぇ、まぁ……確かに綺麗な黒の毛並みですらっとした猫でしたね。』


 確かに理想の体型をした猫だった。体も小さくて良い意味で細かったし。


『あら、ありがとう。』


 俺が同意するとなぜかクミさんがお礼を言う。


『なんでクミさんがお礼を言うんですか。』


 俺がそれにつっこむとクミさんは言った。


『それは……飼い主にとって飼い猫が褒められたりするのって嬉しいのよ?』


『そうですか。』


『それに今もタケくんが笑っているもの。』


『……。』


 クミさんはそうやってなにかと俺が笑った事を言及してくるのだった。それもとても嬉しそうに。



 –––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––



 そして時が経ち

 俺が中学三年の夏休みに入った頃だった。


『クミさん、ご飯できたよ。』


 いつの間にか俺がご飯を作る役割を担っていた。


『はーい、今行くわ。』


 クミさんがこちらに来るのを横目に見ながらテーブルに作った品を並べる。


『あれ、そういえば何で俺がご飯作ってるんだ?クミさんが作ってくれるんじゃ……?』


 俺はご飯を並べながら疑問を持つと


『あら、別にいいじゃない。同じ時期に練習を始めたのにあなたばっかり上手になって(わたし)はちっとも作れないんだもの。』


 クミさんが納得できない、といった様子でそう言いながら席についた。


『それはクミさんが味見をしないからだ。味見さえすれば完成するのにどうしてそこを省くんだ。

 見た目が完璧な分、余計にタチが悪い。』


 俺は呆れまじりにそう言うと


『つい忘れちゃうのよ。』


 と、一言。


『はぁ……そうですかい。』


『そうよ。』


 諦めのため息と共に俺も席につき


『『いただきます。』』


 二人で食卓を囲む。


『あむ……ん、タケくんの料理はやっぱり美味しいわね。もうこの味じゃないと落ち着かないわ。』


 いつもの優しい笑顔で褒めてくれるクミさん。


『ありがとうございます。』


 俺にはそれが何よりの喜びだった。


『将来はいいお婿さんになるわね。』


『……そうですか。』


『あら、そこは喜ぶところよ?それより、ちょっとタケくんが冷たくて(わたし)は悲しいわ。』


『そうですか。』


 実際、それは喜ぶべきなのだろう。

 だが、俺にとってそれは辛いものでしかなかった。


 ⦅それは貴女の、というわけじゃないんだろ。⦆


 そう、すでに俺はこの人に対して密かに恋をしていた。

 『約三年』この人と出逢ってから一緒に過ごした時間だった。それだけの時間を一緒に過ごせば、両親を失い、普通を失った俺にとって唯一安心できる存在であるその人に恋心を抱くのは当然なのではないだろうか?

 たとえ俺など眼中にないとわかっていても、それでも俺はこの人が好きだった。


 ⦅出来る事なら貴女に相応しい大人になって貴女を振り向かせたい。⦆


 それ程までにクミさんと過ごした時間は温かく、家族を失った俺にとってかけがえのない唯一の安息の時間だった。

 でも、だからといって今すぐに気持ちを伝えても『子どもの言う事だ。』と、本気になどしてはくれないだろう。

 だから、せめて貴女と共にいるこの時間だけでも俺は大切にしていたかった。


 今やこの光景が俺の普通の日常となったこの時間を。


 その日の夕食を終えて、二人でくつろいでいた時のこと。


『ねぇ、タケくん。』


『なに?』


『タケくんはそろそろ好きな人は出来た?』


 クミさんがとんでもない事を聞いてきた。


『……どうだろうな。』


『あら、出来たのね?お姉さんに教えてくれる?』


 唐突の質問に誤魔化しが効かなかったらしく、クミさんには一瞬でバレてしまった。


『無理です。』


 とりあえずすぐに拒否すると


『即答ね……』


 クミさんは残念そうにそう言った。

 俺はそれを見て少し心が痛んだが、『それは目の前にいる貴女の事だ。』なんて言える訳がない。


『どうしてそんな事を聞くんだ?』


 話を逸らそうとなんとなく聞いてみた。


『だって、タケくん去年も一昨年も夏休みずっと私と一緒だったじゃない。中学最後の夏休みくらい好きな人と一緒に過ごしたくないの?』


『別に。』


 それなら心配ない。なぜなら俺はもうずっと好きな人と一緒に暮らしているし、好きな人の為に料理だって作っている。


『別にって……そんなんじゃモテないわよ?タケくんカッコいいのに。』


『褒め言葉だけ貰っておきます。それにクミさんと居られるならそれでいい。』


 ささやかに伝える想い。

 届かないとわかっていてもそうしたかった。


『もう……そんなにいい笑顔で言わないでよ。』


 クミさんは俺の言葉に困ったように微笑む。


『……私も同じよタケくん。』


 クミさんは何かを呟いたが俺は聞き取れなかった。


『クミさんなにか言った?』


『なんでもないわ。』


 聞いてみてもクミさんはしらばっくれる。


『そう?』


『ええ、気にしないで。』


『わかった。』


 一先(ひとま)ずは納得したものの、気になるのでもうちょっと深く尋ねようかと迷っていると


 ⦅気になる……ん?ちょっと待てよ、タケくん()?……まさか。⦆


 それよりも気になる事が出来てしまった。


『クミさんこそどうなんです?』


『なにが?』


『好きな人。』


 俺は恐る恐る聞いてみた。そうであって欲しくないと願いながら。


『……いるわよ。』


 しかし、その願いはあっけなく粉々に砕かれてしまった。


『……それってどんな人?』


 俺はつい聞いてしまった。

 本当は聞きたくなんかなかった。それでもこの人が好きになった人が気になってしまった。


『そうね……まず、優しいわね。料理が出来て、一緒に居てとても安心するわ。

 最初会った時はちょっとぶっきらぼうだったけど今はそれなりに仲良くしてくれてるわね。

 それに『私』(わたし)を見てくれるし、わがままも聞いてくれて、必要としてくれる……』


『ッ……。』


 嬉しそうに話すクミさんを見て俺は聞いた事を後悔した。

 今も嬉しそうに話しているその声は俺には届いていなかった。


 嫉妬に狂いそうで、苦しくて悲しくて辛くて胸が張り裂けそうなほどの痛み。

 聞けば聞くほど耳を塞ぎたくなる。

 わかっていたはずの結末に俺は苦しめられた。


『笑うと可愛いのよ。それから……』


 ふふっ と恍惚とした笑みを浮かべるクミさんを


『もういいです!やめてください!』


 俺はすぐに止めた。


『えっ……?』


 急に話を遮られた事に驚きを隠せないクミさん。


『お願いします。もう……やめて下さい。』


 俺はただ、これ以上聞きたくない一心でそう頼んだ。


『……わかったわ。』


『俺から聞いておいてすみません。でも、クミさんがその人の事がとても好きなのはよくわかりました。』


 自分勝手な事だとわかっている。わかっていても耐えられない。


『そうかしら?』


『はい。ですからもういいです……すみません、今日は先に寝ます。』


『わかったわ、おやすみなさい。』


『おやすみなさい。』


 そうして俺は自分の部屋に戻った。


 部屋に戻ると俺は


『くそっ……何やってんだ俺は……!』


 さっきの自分勝手な行動を後悔していた。

 聞かなくてよかったはずの事を聞いて勝手に傷ついて勝手に怒っている。滑稽極まりないその行動。


『わかってるんだよ……俺なんて相手にしてもらえないって事ぐらい!……わかってたんだよ!』


 それでもやはり辛いものは辛い。

 誰かを女性として好きになったことなどなかった俺はクミさんが初恋の人だった。


 報われるはずのない想いを抱いてしまった俺は、それを自覚した時から覚悟をしていたはずだった。


『……あぁっ……なんだ、これ……なんでこんな……最悪の気分だ……』


 胸が苦しい。

 胸が張り裂けそうで、息が詰まりそうで、どれだけもがいても抜けだけないその哀しみの渦は俺の中で薄れる気配がない。


『わかんねぇよ……どうすればいい……?』


 クミさんはいつでも俺の話を聴いてくれた。

 どんなつまらない事でも、全く無関係の話でさえ笑って頷いてくれた。


『誰か教えてくれよ……』


 けれど、その人への恋心を打ち明けるなど俺には出来なかった。


 今までどんな時でも話を聞いてくれたあの人でも、本人に直接そんな話をするなど考えられなかった。


『……寝よう。』


 結局俺は何もする事が出来ずに失意の夜を過ごした。



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 少年の部屋の前には一人の女がいた。


『…………。』


 女は先ほどまで親しく話していた少年がどうして急に態度を変えたのかを知りたかった。


 しかし、少年の部屋に入ることが出来ず、ただ立ち尽くすのみであった。


『……何も、わかってないじゃない。』


 女は一言そう呟くと静かに少年の部屋の前から離れた。



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 ー次の日ー



『おはよう、タケくん。』


 俺が起きて部屋を出るといつも通りの笑顔で挨拶してくれるクミさん。


『……。』


 だが、俺はどんな顔をすればいいのかわからなかった。


『今日は天気も良くていいわね。』


『……。』


 いつもならその笑顔を見ると嬉しくてたまらないはずなのに、胸の奥がじくじくと痛む。

 耳を打つその声が、その優しい微笑みが胸の痛みを加速させる。


『タケくんどうしたの?元気ないわね?』


『……。』


 反応のない俺にクミさんは心配そうな表情で俺を気遣ってくれる。

 その優しさに仇で返す自分に対する嫌悪感が凄まじい勢いで湧き出てくる。


『……タケくん?』


『っ……。』


 クミさんは無視されているとわかったのか悲しそうな表情で俺を見る。


 ⦅やめてくれ……俺はあなたにそんな顔なんてして欲しくない……⦆


 自分から話しかければ解決するはずの問題なのに、それが出来なかった。考えと行動が一致しない事で自己嫌悪の感情が高まり、より一層胸の苦しさが増す。


『……えっと、熱でもあるのかしら?』


 クミさんが少しぎこちなく笑いながら俺の額へと手を伸ばすと


『っ!触るな!』


『え……?』


 俺はその手を強く弾いてしまう。


 ⦅待て、俺はなにをしている?やめろ、今すぐに謝るんだ……⦆


 自分でも驚くほど速く反応した。


『……。』


 突然の俺の行動にクミさんは驚いた表情で固まっている。謝るなら今しかない。


『……すみ『何か嫌な事でもあったの?そうよね?そうなら『私』(わたし)に話して?ね?』』


 俺が言葉を発しようとするとクミさんが早口気味にそう言った。

 それはまるで俺の行動を信じたくないかのように。


『……あんたには関係ない。』


 出鼻をくじかれた俺はまた余計な事を口にした。


 クミさんは俺のどんなつまらない話でも笑って聞いてくれていた。

 いつも優しく俺に笑いかけてくれた。

 どんな些細なことでも褒めてくれた。

 それがどれ程までに嬉しかったか。それがどれ程の救いになったか。


 けれど、今こんな状況になってしまった原因を話すことなど出来るわけがない。

『あなたが好きで仕方ない。』なんて言えない。

『勝手にあなたに失恋してどんな顔をすればいいかわからない。』なんて言えない。

『あなたに好きになってもらえた人が憎い。』なんて言えるわけがない。


 あなたに嫌われたくない。嫌ってほしくない。

 あなたが好きでたまらない。好きになってほしい。


 その自分勝手な想いが負の連鎖となって俺を雁字搦(がんじから)めにする。


『……そう……でも、いつでも話してくれていいのよ?』


 冷たく突き放した俺にそう言ったクミさんの表情は悲痛なものだった。


『あんたには関係ないって言ってるだろ!』


 俺はその表情を見て、そうさせてしまった自分にイラつき バンッ! と壁を叩いて声を荒げた。


 ⦅違う、そうじゃない!別の言い方があるだろ……!⦆


 正直に言えば済む話だったのだろうか。

 だが、負の連鎖は俺だけでなくクミさんまで巻き込んでいく。


『っ……え、あ…ご、ごめん……なさい……』


 俺がいきなり怒鳴った事でクミさんはビクッと体をはねさせて謝った。


 ⦅違う!違う違う!俺はそんな表情見たくない!なんで……こんな……⦆


『で、でも……タケくんが心配で……』


 クミさんは目尻に涙を溜めながらそうこぼした。


『っ……!』


 それを見た俺は胸が締めつけられる。


『……だから、もし……話してくれる気に……なったら……』


 好きな人が自分を心配してくれているにも関わらず、自分のせいで泣いている。


 ⦅どうして……どうしてそんなに俺に優しくするんだ……⦆


 その現状が自己嫌悪を加速させる。

 『正直に話す』 たったそれだけのこと。それをすればいいだけなのだ。


『……だから、あんたには関係ない。』


 それでも出てくるのはその言葉だけ。


『っ!……少し席を外すわ……』


 そして、その一言でクミさんは自分の部屋へと戻っていった。


 その場に一人残った俺は


『……クソっ……頭を冷やせ。謝ればいい、とにかく謝れ……』


 自身の行動を後悔していた。


『……水が冷たい。』


 俺は自分の行動を振り返り、一度顔を洗って気持ちを落ち着ける事にした。


『……よし、クミさんに謝ろう。』


 深呼吸をしてクミさんの部屋の前に行くと


『……っ、どうして?……なにが……の?……わからないっ……ぐすっ………』


 中からすすり泣く声が聞こえてきた。


『……。』


 それを聞いた俺はまた激しい自己嫌悪に駆られた。


『っ……タケくん……』


 クミさんが俺の名前を呼ぶ。


『っ!』


 俺は息を飲んだ。


『……ごめん…なさいっ……ごめんなさい……わたしはっ……どう、すればっ……』


 それに続くのは謝罪と困惑。


『……。』


 俺はまるで足を固定されたかのようにそこから動くことが出来なかった。


 もし、今クミさんに謝ったとしてどう説明するべきか。

 正直に話してもし嫌われたら?気味が悪いと思われてしまったら?

 逆にうまく誤魔化せるような理由があるのか?もしバレたらどうなるのか?


 様々な憶測が俺の中で飛び交う。


『……。』


 そして、俺はなにもすることが出来なくて静かにクミさんの部屋から遠ざかった。



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 俺は西へと傾いた月を眺めながら続ける。


「それからだった……俺とクミさんの会話がほとんどなくなったのは。気まずい空気の中で過ごして、結局話したのは俺が高校受験の合格発表の日だったんだっけな。」


 正直になれなかったバカな少年のくだらない想いの果て。

 それを語るために。



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 あれから7ヶ月の時間が過ぎた。


『……タケくん。今日よね?』


『……。』


 クミさんが朝食を食べながら俺に聞いてくる。

 俺は一切反応せずに朝食を食べ続けた。


『……そう。』


『……。』


 そんな俺の態度に怒るわけでもなく、悲しみを帯びた声色でクミさんは一言だけそうこぼした。


『……ねぇ、タケくん。あのね?』


『ごちそうさま。』


『あ……』


 ふてぶてしくもクミさんの話を聞かずに自分だけ食べ終えて自分の皿を片付ける。


『……っ、どうして……』


『……。』


 胸が苦しい。

 もういつもの事になってしまった。


 けれど、俺は怯えていた。

 いつクミさんが俺の事を追い出すのか、あるいはクミさんの口から彼氏を紹介する、最悪は結婚するなんて言葉を聞く事になるのか。


 それを聞きたくなくて、それを言われるかもしれない恐怖と不安に駆られて、俺はクミさんとの会話を避けていた。


『行ってきます。』


 そして、俺は受験した高校に行くためにリビングから出る。


『!、行ってらっしゃい!』


 高校の合格発表は掲示式だった。

 それを確認するために俺は一人で高校まで行く事にしていたのだ。


 俺が久しぶりにクミさんに向けて言った言葉。

 それを聞いて本当に嬉しそうに笑いながら応えてくれたクミさん。



 それが俺とクミさんとの最後の会話になった。



 高校に着いた俺は掲示板を見つけると番号を確認する。


『番号は……あった。』


 番号がある事を確認すると俺は喜ぶわけでもなく、さっさとその場を後にした。

 せめて会話が出来なくてもあの人と同じ空間に居たかったのだ。


『……ただいま。』


 けれど、家に帰るとなんの返事もない。


『……?』


 それを不審に思って家中を探してみるが、どこにもクミさんの姿は見当たらなかった。


『クミさん……?』


 久しぶり呼んだ想い人の名前。それでも返事はない。


『……?封筒と……置き手紙?』


 いつも食事に使っているテーブルの上には一枚の紙切れと一つの封筒。

 封筒の中身は一つの通帳。


『なんだ……これ……』


 通帳には見たことないほどの数字が印刷されていた。

 その額 6000万


 そして俺は手紙を開く。

 

『……は?』


 手紙の中を確認すると俺は思わず変な声を出してしまった。

 その内容とは


【タケくんへ

 突然の事でごめんなさい。

 (わたし)はもう貴方と一緒に居ることが出来なくなってしまいました。

 お金や色んな事は先にやっておいたので安心して下さい。


 通帳の中はタケくんの物です。

 それはタケくんのお父さんとお母さんの命の値段です。大切に使って下さい。私からも少しだけ入れてあります。

 その家もそのまま住んでくれて構いません。

 本当にごめんなさい。


 もし叶うなら……いえ、なんでもないわ。


 たとえ、タケくんがそう思っていなくても私は常にタケくんの側にいます。


 さようなら


 クミより】


 それを見た俺は理解出来なかった。いや、したくなかった。


『うそ……だろ……?』


 脳がそれを拒絶した。『理解するな』と警報を鳴らす。


『あぁああぁ……』


 でも、俺はそれから視線を外す事が出来なかった。

 取り憑かれたようにその手紙を何度も何度も何度も読み返した。


『あぁぁぁああぁあぁぁぁあ!!!!!』


 そして


『ふざけんなよ!俺はあんたが好きだった!あんたの事が狂おしいほどに好きだった!愛してた!なのになんで!なんで!なんでなんだよ!!………なんで……意味わかんねぇよ……無責任だぞ……』


 それを理解した時


『なんで………あ、そっか……俺が悪いんだ……はは、そうだよ俺が全部悪いんだ……あはは……あはははは!


 あははははははは!!そうだ!俺が悪いんだ!何も言わなかった俺が!

 また伝えられなかった!また失った!まただ!伝える事の大切さをわかってたのに!それをしなかった俺が悪いんだ!あはははは!!』


 またしても俺は全てを失った。


 大好きだった人であり、唯一安心できたクミさんとの日常。


 クミさんが居ることが当たり前になっていた。

 今日も明日もクミさんと居られると思っていた。

 いつかそのうち想いを打ち明けられる機会が訪れると思っていた。


 その時失った異常な日常は俺にとっての普通となっていた。


 だが、自分にとってのクミさんとの普通の日常とは世間一般に言う普通ではない事を思い出した。


 かつて失った日常こそ本来の普通の日常といえるもの。


 その自分にとっての普通が当たり前であると思える事がどれだけ幸せな事かを知った。


『……。』


 失意と絶望の中に置き去りにされた俺はただ、呆然とするしかなかった。


『ニャーオ』


 そんな時だった。


『チェル……お前も独りか?』


『ニャオ』


 いつのまにか俺の側にチェルがいた。

 それはあの時の黒猫。

 チェルは俺がつけた愛称で本当の名前はチェルノボグ。折角なので可愛い愛称を、と思ってつけたのだ。


 最初に会った時からいつもクミさんがいない時を見計らったかのようにチェルは家に来た。

 そして、今回もそうだった。


『はは……家族はもうお前だけになったよ……チェル。』


『ニャァー』


 チェルは俺が落ち込んでいるのがわかったのか足にスリスリと体を擦りつけてきた。


『はは……ありがとよ。ほら、こっちおいで。』


 俺はあぐらをかいてこっちに来るように催促するとチェルは


『♪』


 機嫌よくあぐらの隙間に入り込んできた。


『これから先どうすれば良いんだろうな……』


『ニャア?』


 チェルに語りかけると首を傾げて俺を見る。


『って猫に言っても仕方ないか……』


『ニャア♪』


 とりあえずチェルを撫でる。


 そうして時間だけが過ぎていき、気がつけば死んだように生きる日々を過ごしていた。


 俺が高校から帰ってくると


『ただいま。』


『ニャアー♪』


 チェルが迎えてくれる。

 まるで自身がクミさんの代わりだと言わんばかりに。


『ありがとう。』


『♪』


 俺は一通りチェルを撫でてから家事をこなした。

 どうせ一人と一匹しかいない家だ。家事もすぐに終わる。


『チェルーおいで。』


『ニャー』


 俺が暇を持て余してチェルを呼ぶとすぐにトコトコと俺の側まで駆け寄ってくる。


 クミさんが居た時は滅多に帰ってこなかったくせに俺が一人になった途端にチェルは家から出て行くことがなくなった。


『はは、お前まさか俺が寂しがってるのがわかるのか?』


『ニャー』


 冗談交じりにそう言うと、チェルが返事するように鳴いた。


『そうかい、ありがとよ。』


『♪』


 チェルは俺の言葉になんとなく反応して鳴いているだけなのだろうけれど、俺は寂しさと虚しさを紛らわすために会話する相手が欲しかった。



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 ー二年後ー



 高校三年になる直前、春のとある日のこと。


『ニャ……』


 そこには衰弱しきったチェルの姿があった。


『チェル……もういいよ……』


 なんとか立ち上がろうとするが、チェルは体に力が入らないらしく、立ち上がろうとする度によろけて立ち上がる事が出来ずにいた。原因は寿命による衰弱。


『……ァー』


 力のないその声はこれまで過ごしてきた中で最も弱々しい鳴き声。


『もういいんだ……ありがとうチェル。』


 俺が無理をしないように優しく語りかける。


『…… ニャ。』

 

 そして、その一言を最後に命の灯火が静かに潰えた。


『……』


『ありがとうっ……ありがとうチェルっ……お疲れ様……』


 俺は泣きながらチェルの亡骸を抱きしめていた。


 クミさんが突然姿を消してからはずっと俺の側に居てくれた献身的な猫。

 本来なら自由奔放なはずにも関わらず、俺が寂しくないように最後の瞬間まで俺と共に居てくれた。

 そのチェルでさえもまた死んでしまった。


 その事実に、俺の中でナニカが静かに崩れる音がした。


『……はは……もう、これで俺は独りだよ……』


 正真正銘最後の家族を失い、たった一人になった俺は静かに呟いた。



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 月明かりがひどく眩しく感じる。


「そうして、俺は家族を三回失った。」


 クミさんとの事は完全に自業自得である。

 ほんの少し想いを伝えるだけでよかった……それが出来なかった俺が悪い。


「そんなっ……」


 ラウを一瞥すると、彼女は両手で口元を押さえて言葉を失っている。


 そんなラウの様子に夜空を眺めて笑いながら言った。


「でもな、両親が死んで、好きな人が突然居なくなって、最後の家族を看取って……その時に気がついたんだ。


『ああ、世界は完全に公平なんだ。』って。


 最初はなんで俺だけこんな目に合わなきゃいけないんだって思ったよ。

 けど、気づいたんだ。いや、気づく事が出来たんだ。

 よく世界は不公平だと言うけど、そうじゃないんだ。

 むしろ完全に公平なんだ。

 完全な公平性を持っているからこそ不公平に思えるだけなんだ。矛盾してるけどな。


 なんでそう思ったのか。

 それは俺が両親に『ありがとう』と伝える機会も、クミさんに想いを伝える機会も、ずっと与えられていた事に気がついたからだ。

 でも、俺はその機会を失うまで気がつかなかった。


 クミさんに想いを伝える事で確実に何かが変わる。

 けど、それは良い方向なのか悪い方向なのかはわからなかった。


 もしかしたらクミさんは『ありがとう。』と言うだけで何もなかったように振る舞うかもしれなかった。

 でも、『もし嫌われたら……』そう思うと俺は何も言えなかった。」


 結局、俺は可能性を恐れて可能性に殺された。

 自分が嫌われることを嫌った結果だ。


「それで思ったんだ。


 どんな人にもどこかに必ずチャンスは訪れている。


 それは生まれる前からそうだ。

 生まれる場所や環境、生まれ持った才能や身体的なもの、親の善悪や生活環境、どんな環境で育ってどんな事を考えるのか、幸運や不運、人格形成や思想、考え方、倫理観や常識と良識を得る機会。


 それらにどれだけ多く恵まれるかどうかは『運』次第。けど、チャンスは必ずどこかにあるんだ。


 それに気がつけるかどうかは自身の積み上げてきた『過去』次第。

 俺はそれが努力というものなんじゃないかと思ってる。その努力を積み重ねた人ほど高い場所から世界を眺められる。何かに気づくことが出来る。それに気づく(すべ)を知っている。


 例えばこんな風刺画があった。

 二人の人がいて、それぞれ同じ高さの壁の向こう側を覗こうとしている。

 その踏み台に使われているのは本。

 そして、より多くの本を積んだ場所に立っている人だけがその壁の向こう側を見る事ができる。


 つまり、勉強している人ほどその壁を越える事が出来て、より多く世界を知る事が出来る。


 当たり前だけど、人は自分の知ってる事しか知らない。

 でも、だからこそ自分の経験した事しか本当に理解出来るものはない。

 そして、『自分が誰よりも努力した。』と傲慢になったりなんかする人も中にはいる……他人のそれを認め、理解し、納得する事で自分の努力も理解してもらえるかもしれないのに。


 でも、本当に賢い人はどれだけ努力をしていてもそれを振りかざしたりしないし、心の底から見下したりしない。

 むしろ相手を気遣って助言をしてくれたり、基本的には優しかったりする。

 だから、常に物事を俯瞰的(ふかんてき)に見ていて、冷静な判断を下せるんじゃないかな。

 自分より更に格上がいると理解しているから。


 それは自分にとっての辛い経験にも当てはまる。

 別に励まされなくてもただこうして話を聞いてくれるだけでも嬉しいもんなんだ。


 話がそれたな。


 何が言いたいのかといえば最終的には『自分次第』なんだ。

 とある人が言った。

『戦いは相手次第。生き様は自分次第。』

 この言葉を知った時は震えたよ……自分の考えが肯定されたみたいで嬉しかった。


 この公平な世界でどれだけ他人より多くの努力を重ねて、どれだけ高くから世界を見下ろせるか。

 自分を信じて行動すれば何かは必ず起こる。


 行動無き者に結果無し

 成功なれば()重畳(ちょうじょう)

 その先、(さち)あらば()僥倖(ぎょうこう)、ってな。


 だから、まずは自分を信じていられるかどうかが大事なんじゃないかと思っている。

 自分自身を信じていない人間を誰が信じるんだ、って話だ。


 まぁ、これで終わりだよ。最後はちょっとズレたけどな。」


 やっと全てを話し終える。

 すると


「……っ……おにーさん。」


 ラウの声が震えていた。


「ん?なんだ……ってなに泣いてんだよ。」


 それが気になってラウの方を見ると、彼女は涙を流しながら


「ごめん…なさい……ごめ…ん…っ…なさい。」


 突然謝ってきた。


「ラウ、なんで謝る?」


「わた、し……最低…だよっ……ごめん…なさい……おに…さんは……ぐすっ…話して…くれた……のに……わたしはっ……嘘ばっかり…ついてっ……!」


 ラウは言葉に詰まりながら必死に謝ってくる。


「ラウ……」


「ゆる…して……なんて、言えないっ……けどっ……ぐすっ……ごめん…なさい……」


 そんな彼女の様子に俺は


「なんだ、そんなことか。」


 あっけからんと答えた。


「……え?」


 俺の言葉にラウは驚きで涙がひっこんだらしい。

 計画通り、なんてな。


「別に俺がラウに嘘つかないとは言ったけど、ラウが俺に嘘つかないなんて言ってないしな。」


「で、でも、わたしは自分のこと何も教えようとしないのに、おにーさんの事はすぐに教えてもらったんだよ?」


 ごめん、ある程度は知ってる。

 人伝(ひとづて)にラウの過去を勝手に聞いたから正直なところ罪悪感もあったんだ。


 それに信用してるしな……信頼はしてないけど。

 悪いなラウ、俺にとって信用と信頼は全くの別物なんだ。


「おう、だからなんだって話だ。」


 俺は特に気にすることもなく言うと


「っ……んで……」


 ラウが何かを呟いた。


「どうした?大丈夫か?」


 急に顔を伏せたラウに俺は少し心配になって声をかけた。


「……なんでっ!……なんでそんなに『笑って』いられるの!?おにーさんは悲しくないの!?辛くないの!?家族が死んじゃって……好きな人が居なくなって……それが昔の事でもなんで笑って話せるの!?」


 理解出来ないと表情に出ている。


「ん?……あぁ、それはたぶん母さんとクミさんがずっと笑ってたから、かな。」


 どうやら俺は無意識に笑っていたようだった。


「……どういうこと?」


 ラウは意味がわからないと言いたげな表情で聞いてくる。


「それはな、俺にもわからない。

 ただ、わかるのは母さんは事故が起きた時も俺だけが助けられる時もずっと笑ってた。自身も苦痛と恐怖があったはずなのにどうしてか笑ってたんだ。


 クミさんもそうだった。俺がどれだけ反発的でも、どんなにつまらない話をしても、最後に一言だけ交わしたその瞬間も、いつだって笑っていた。


 だから、俺もいつだって笑っていられればあの二人がどうして笑っていられたのかがわかると思ったんだ。


 でも、結果として俺にいつでも笑う癖がついただけで結局何もわからないままなんだ。」


 いつも通りに笑いながら話すと


「……。」


 ラウは黙り込んでしまった。


「そんな顔しなさんな。」


 俺はラウの頭を撫でてそう言った。


「……。」


 それでも黙ったままのラウに俺はとりあえず夜空を眺めるしかなかった。


「「……。」」


 再び訪れた静寂は俺にとってどこか居心地が悪かった。


「……。」


「……ねぇ、おにーさん。」


 どうしたものか、と考えあぐねていると、またラウから話しかけてくる。


「なんだ?」


「……わたしの過去を聞いた……って言ってたよね。」


 ラウが少し声を震わせてながら言った。


「……ああ、言ったな。」


 俺が肯定すると


「……幻滅したでしょ?」


 ラウはなぜかそんな事を言った。


「は?」


 俺はそれを理解することが出来なくて素っ頓狂(すっとんきょう)な声を出して固まった。

 ラウは俺に向きなおって言った。


「……だって世界樹の精霊っていう立場のわたしがたくさんの命を奪ったんだよ?精霊は生命の象徴なのに……それにわたしは……」


 自虐的に言うラウに俺が思い出すのは人族代表団の全滅の話。だが、それは偽装工作だったはずだ。


「何を言って……?人族代表団全滅は偽装工作じゃ?」


 俺がそう言うとラウは


「おにーさん、何を言ってるの?わたしがこの手で全部殺したんだよ?一人残らず。」


 俺の知っているそれを否定する。


「わたしが……殺した……人族の代表団も……討伐隊のほとんども……わたしが殺したんだよ。そのせいで友だちも死んだ……ううん、結局はわたしが殺したのと同じ。」


 彼女の面持ちは暗い。

 乾いた笑みを浮かべて俺を見据えて自白するように呟く。


 だが、俺は内容を全く理解することが出来ない。

 やはり、俺の聞いた話は歪んだものだったのだろうか。


「ラウ、待ってくれ。俺の聞いた君の過去と君の本当の過去はおそらく違う。」


「……え?」


 そこでラウは呟くのをやめた。


「だから、話したくなければそれでいい。俺が勝手に人から聞いた話は歪んだ伝説だったと思っておく。だから「おにーさん、それ、どういうこと?」」


 俺は聞き出すのではなく、あくまでも自由意思で話して欲しかったので安心してもらおうとすると、ラウが話を遮った。


「いや、だから俺が聞いた話は違うものだったって思っておくから。」


 俺が改めて言うと


「そう、それだよおにーさん。おにーさんが聞いたわたしの過去を話してくれる?」


 ラウはそう要求してきた。


「わかった。」


 俺がそれを了承すると、ラウは耳を傾ける。


「まずは……」


 それから俺はルイスさんから聞いた話を全てラウに話した。


 ラウが大戦終結の英雄であること、ラウが和平、恒久的平和、不可侵条約の締結者であること。


 歴史的惨劇が起きたこと、その内容はラウが人族をかばうために自分から濡れ衣をきたこと、真犯人はリューゲという龍の始祖であったこと、上位龍は殲滅され、七魔公爵と全種族との交戦の末にリューゲも突然現れた一頭の龍の協力によって封印されたこと。


 そして、結果としてラウは悲劇の英雄として今も人族から多大な尊敬を集めていることも。


 俺が全て話し終えると


「なに……それ……全然違う……」


 ラウは怒りに震えながらそう言った。


「……何が違うんだ?」


 俺はラウを刺激しないように慎重に言葉を選ぶが、彼女は立ち上がってこう言った。


「途中からだよ……わたしが平和条約を結んだところまでは合ってる……でも、わたしが人族をかばう?ふざけないで!なんでそんな事をしなくちゃいけないの!?

 龍が戦争を望んだ?全然違う!むしろ逆だよ!戦争を望んだのは人族の方だよ!?龍のみんなは温かくてとっても優しかった!誰よりも平和を望んだ!なんで死ななくちゃいけないの!意味がわからないよ!それに、リューゲなんて子は聞いたことない!そんな子はいなかった!どうしてそんな事になったの!?」


 はぁはぁ、と息を切らしながら言いきったラウに俺も戸惑う事しか出来ない。


「なんでっ……なんでみんなが死んだの……?わからないよ……『ティルちゃん』……」


 ラウは膝をついて呟いている。


「ティル……?」


 ラウの言葉の中にあった初めて聞く名前のような単語。


「……わたしと一番仲の良かった龍の友だちだよ。

 名前は【ヘンティル・アンファング・ドラッヘ】……一番平和を愛した子だよ。

 大戦の終結を望んだのはその子……だから、わたしは戦争を止めた。あの子が平和でみんなが笑いあえるような世界になってほしいって願ったから……」


「……なるほど。」


 つまり、戦争を止めた事やその後の結末は俺の知っている通りで、その途中経過の中身が全く違うのか。


「でもね、わたしは途中から何も出来なかったんだ。」


「どういう事だ?」


 力なくうなだれる彼女に俺は問うた。


「おにーさんも話してくれたからわたしも話すよ……わたしの過去……ううん、本当の『私』を……」


 そうして彼女はゆっくりと自分の過去を話し始めた。




作者「はい、という事で主人公の過去でした。ぶっちゃけ必要な部分だけを切り取ってかなり縮小しました。


次回はお察しの通りアルラウネの過去話なのですが、過去編として数話分を書こうかどうか迷っております。

今のところ今回のように縮小して過去話にする予定です。ちなみにこれは作者の気分で変わります。」


隊長「ところで貴様、なぜ1万PVの次は7万PVなのだ?普通なら5万PV辺りでまた報告するだろう?」


作者「ああ、それはですね・・・そろそろ5万PVいってるかなー?と思ってビクビクしながら開いたら7万超えてました。」


隊長「なるほど、つまり気がつかなかったと?」


作者「はい。だって1万PV超えたのって第20部の【邂逅】あたりだよ?まさかそれから26話でそんなにいってるなんて思わないじゃん!

正直言って4万後半あれば良い方だと思ったよ!嬉しいよ!ありがとうございます!」


隊長「お、おう・・・」


作者「引いてんじゃねぇ!このハゲー!」


隊長「それはネタとしてだいぶ古くなった思うんだが・・・」


作者「うるさい。

それはそうと、本当は感謝の意味を込めて『こんな話が見たい!』という意見があれば書きたいのですが、『んな事してる暇があったら続き書け!』とか『図になるなよ小僧!』とか怒られそうなのでやめておきます。」


隊長「なら言うな。」


作者「それくらい感謝してますって言いたいの!言わせて!」


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