- 05 - 『何気ない日常』
――次の日。
天気は快晴。金曜っつーことで、気分も上々。今日さえ終われば、明日からはゴールデンウィーク。腰を据えて破損したデータの復旧に入れるからな。
いつもと違うことがあるとすれば、マスコットモードで表示が小さくなったアイが、そこらを飛びながら興味深そうに街並みを見ていることか。見るもの全てに興味津々といった様子のアイは、いままでのおとなしい雰囲気と違って、どこか微笑ましい。
「ワールド、あの路上を走る機械はなんでしょうか?」
「あれは――」
微笑ま――
「ワールド、あの道に設置された機械はなんでしょうか?」
「あれは――」
微――
「ワールドワールド、あの建物は――」
「……だーもうッ! すこしはおとなしくしてろよッ!!」
――微笑ましいにも限度があるだろッ!
自動車やら自販機やらコンビニやら、当たり前のもんをいちいち聞かれても答えにくいんだよ。グーグル先生かウィキペディア先生に聞いてくれ。
「つか、なんも覚えがないのか?」
「はい。目覚めた時のワールドの部屋もでしたが、見覚えないものばかりで、とても新鮮です」
……そういや、俺が帰ってきた時、居間をウロウロしてたな、コイツ。
記憶が消えちまったっつっても、一般教養レベルの知識すらロストしてるのは、さすがに考えにくいっつーか……って、ちょっと待てよ。
「なぁ、お前……データベースにアクセスしてないのか?」
「……はい? そのデータベース、とは?」
やっぱ知らないのか。首を傾げるアイに、知ってるうろ覚えな情報を伝える。
「えーっとだな……AIのベースになるサーバーがあるんだよ。一般教養といったベースの知識が蓄えられたデータベースがな。AIはそのデータを基に、各々知識を蓄えて学習していくんだが……」
「私はその情報にアクセスしていないため、知らないことばかり、ということでしょうか」
「まぁ……その通りなんだが…………いや、本当にそれだけか?」
「……?」
いや、そもそも、コイツはAIなのか?
ホログラムとしても、AIとしても、コイツは挙動がおかしい。俺のメモリーにデータが保存されているわけでもないのに、俺と一緒についてくることができるし、自分自身でデータの復旧を行ってたし。シフト起動中しか見えねぇし、触れることもできねぇから、暫定的にホログラムとして扱っているが……根本は別物なのかもしれない。
「………………ま、考えても仕方ねぇか」
ぶっちゃけ、俺が考えたところでわかりっこねぇしな。
当面の問題はデータの復旧。よくわからん超常現象の解明は……アイが何か思い出すまで放置でいいよ。とりあえず、来週の日曜までには俺のホログラムのデータだけでも復旧しないとな……っと、あれは――
「おっす、おはよ、風音。それとエメ」
「あ、おっはよー、けーちゃん。今日はアイちゃんも一緒なんだね?」
「きゅう!」
相変わらず元気なヤツだな。特にエメ。
だが、そんな日常のやりとりに戸惑ってるヤツが、ここに約一名。
「ハロー、ワ――……わ、ワールド、こういう時はなんて呼べばいいのでしょうかっ?!」
「普通に名前で呼びゃあいいだろ、風音って」
「そ、そうですか。アクセプト。……ハロー、風音」
どこか違和感を覚える挨拶に、俺も風音も苦笑いを浮かべる。ハローは固定なのかよ。
「あはは……普通に『おはよう』って言ってくれればいいのに」
んなわけで、いつもの雑談にアイを交えて、学校へと歩いていった。
「そういやけーちゃん、昨日の通信障害、大丈夫だった?」
「通信障害? ……あぁ、そういやお前が昨日放送してたラジオ、機材トラブルかなんか知らんけど、途中で放送が切れたりしてたな。あれ、障害だったのか」
「うん、街全体が軽微な通信障害だったみたい。今朝ニュースになってたよ」
「へぇー………………って、はぁッ?! この街全体?!」
「うん、けーちゃんは大丈夫だった?」
「大丈夫もなにも、俺はネット使ってなかったしな。……でも、街全体……?」
「ん、何か気になることあるの?」
顎に指をあて、唸り声を漏らす俺に、風音が首を傾げる。そんな素朴な疑問に、俺は首を横に振って答えた。
「いいや、何も。……ただ、なーんか嫌な予感するんだよなぁ……」
「……けーちゃんの嫌な勘って、よく当たるよね……」
「その言い方、俺が死神みたいに聞こえるからやめてくれよ。勘なんてそんなもんだろ」
悪い方が当たると記憶に残りやすい現象を――なんつったっけ。まぁあれだ、忘れたけどそういうもんだ。俺の勘なんて、実際の的中率は人並み程度だろ。
「ワールド、話の途中に申し訳ありません。あそこに集まっている人はなんなのでしょうか?」
「んー? あっ、あそこはね、バス停なの。みんなバスが来るのを待ってるんだ」
「……バス? とはなんでしょうか?」
「え、えーっと……交通手段で、大型の乗用車って言えばわかるよねっ? トラックみたいなの!」
「……トラック? それはなんですか?」
……でも、昨日あった通信障害、か。どうも気になるな。
というのも、アイが現れた時に起きた通信障害と、どこか重なって考えちまう。そのせいで、街全体という規模の通信障害が、どうも何かの前触れにしか思えなかった。
「え、ええっと……けーちゃんも黙ってないで答えてあげてよーっ!?」
「……っと、悪ぃな、んじゃお先ぃ」
「逃げるなぁーっ!!」
◆ ◆ ◆
あれから数時間経って、時刻は休み時間。
適当に昼飯をすませた俺は、旧型の携帯ゲーム機を起動する。こないだから妨害に妨害を重ねられ、家じゃデータ復旧の準備やら宿題やら、結局倒せてねぇんだよ。今日こそぶっ倒す。
ちなみにアイだが、インターネットブラウザの起動方法を教えて、自分で調べろってグーグル先生にぶん投げた。お陰で静かになって、今は隣で黙々とネットサーフィンを楽しんでいる。
「ワールド、あちらのお二人は何をしてるんですか?」
「ん? 誰だよ?」
「あの二人です、ホログラム同士が戦っているように思えますが――」
そう言って指差した方向では、マスコットモードと化した小さなホログラムが、テーブルの上で対戦している。……別に珍しい光景でもなんでもないが……あぁ、そうか。知らないのか。
「あれな、シフト・ワールドっつーARゲームだよ」
「ゲーム、ですか?」
「そ。簡単に言ゃあ、育てたホログラムを戦わせる対戦ゲーム。あいつらがやってんのはテーブルの上をフィールドにしたリトルバトルだけど……そこから校庭見てみろよ」
「……校庭?」
俺の言葉に従うように、窓から校庭を見下ろすアイ。
それを追いかけるように、携帯ゲーム機を片手に、俺も同じように見下ろすと――そこでは、いつものようにシフト・ワールドで遊んでいる学生がいた。教室で遊んでいるヤツらと違うのは、ただ一点。それは――
「ワ、ワールドっ! あんなモンスター同士が戦って――え、だ、大丈夫なんですかっ?!」
「ホログラムだからな」
――等身大での迫力満点のバトル、っつーわけだ。AR機能ならではの演出だな。
俺達が実際に指示を行いパートナー達と戦う、拡張現実の機能をフルに活かした次世代ゲーム……っつーには結構時間が経ってるけど。ただのゲームがここまでの社会現象になったのは、国による普及活動もあるが――この迫力を体験できるの一言に尽きる。
見下ろしている先では、勇敢な騎士と、巨大な悪魔によるバトル。
指示ひとつで悪魔が黒いブレスを辺りに撒き散らせば、自身の判断で騎士は盾を構え、ブレスを真正面から受け止める。止んだタイミングで切り込んだ騎士と、鋭い爪で応戦する悪魔。
いまや珍しい光景でもなんでもないが、発表当時は大層なキャッチコピーと共に、全世界を沸き立てたもんだ。いまのこいつみたいにな。
ゲームのクエストの事前準備をしながらアイの様子を見ているが、窓に張り付いて目を輝かせているこいつは、何も知らない無垢な子供のようにしか見えないな。
「あの、ワールド。ワールドもデータが消える前はこのゲームをやられてたんですよね?」
「……まぁな」
「その……ワールドはどんなモンスターを使っていたんですか? 私、気になります」
純粋な好奇心。あと、若干の後ろめたさ、か。
複雑そうな顔を浮かべるアイに、「そうだなぁ」と、ゲームをプレイしながら語り始める。
――例えば、リーダー。機械仕掛けの巨龍のことを。
――例えば、アタッカー。両刃斧の戦機兵のことを。
――例えば、サポーター。草花を操る樹精霊のことを。
自慢のモンスターのことを、アイに色々話していった。プレイしているゲームのリアクションを交えながら。……ねーわ、いまのコンボ卑怯過ぎるわ。
「……っと、あと使ってたモンスターっつーと……あぁ、そうだ、エメもだな」
「エメ? 風音が連れていた、あの小動物ですか?」
「そう、あいつな。元々は俺のパートナーだったんだよ。今は風音んとこにいるけどな」
「……その、想像できないのですが……あの子、戦えるんですか?」
「もち。あんな見た目の癖に地味にプライド高いから、あいつの前でその質問すんなよ。ふてくされるから」
元々反抗的な小動物の姿を思い浮かべ、苦笑する。
なんであんな子に育っちまったんかねぇ。……俺のせい、じゃねぇな。絶対。あいつの学習能力が悪い。間違いない。
そうこうしている間に、全部位破壊も順調に完了。昨日みたく絶好調っつーわけじゃねぇが、ここまで一回しか死んでない。このペースならなんとか行けるか?
「……大切なパートナー、だったんですね」
とか考えてると、横から自己嫌悪に包まれた声が響いてくる。思い出話を聞いたからか。
だが、そんな落ち込む声を、俺は軽く一蹴する。
「おい、勝手に殺すな。データはまだ生きてんだから」
「……あれ?」
「プロテクトの方が破損しちまって、読み取れないだけだっつーの」
データが死んでたら三日三晩は落ち込むわ。こんな気楽にゲームできねーっつーの。
先日のチェックで、データが生きてることは確認が取れてる。破損状況もな。問題は、ホログラムのプロテクトが堅すぎて、データを復旧できないわけだが――
「ま、だから気にすんなよ。最悪、お前にロア達の代わりを務めてもらうからさ」
「ロア? の、代わりって――え、えっ?! わ、私が戦うんですか!?」
「そりゃお前しかいねぇしな。……ま、安心しろ。それは最終手段だから」
俺としても、アイをバトルに巻き込むのは遠慮したい。勝てるか以前に戦えるか不安だしな。
……最終手段っつーのは、昨日の弓月の強制ハッキングに巻き込まれた時とか、そんなのだ。そうそうないだろ。つか、あってたまるか。