手間のかかる子
黒い翼を背中に生やした大橋先生が突き破ったガラス窓は、すぐに結界の壁が形成されて魔物の侵入を許さなかった。
「皆、私たちに出来ることはすべてやろう。いいかい?」
鈴子部長が1年1組の生徒達へ呼びかける。
皆それぞれに返事をしたり頷いたり、肯定の反応を示した。
鈴子部長は一人一人と目を合わせて確認する。
生徒達の行動は早かった。
まず、通過側のドアの前に机を積み上げバリケードを組む。
校庭側の窓に沿って、机とイスを組み上げていき、壁を作る。
粘着テープ、カーテン、給食着、体育館履き入れと使えるものは何でも使った。
そして最後に黒板側の壁面に背を向けて、皆で身を寄せ合った。
「な、な、な、なんだこりゃぁぁぁ――――!?」
翔太の叫び声が校庭にこだました。
1時間遅れで登校してみると、校庭中に何匹もの魑魅魍魎がうようよといた。
上空では黒い翼を生やした大橋先生が鴉天狗と交戦中。
宿題集めなどでざわついているはずの1年1組の教室には、ガラス窓一面に魔物たちがへばりついて中を覗き込んでいた。
校門前で立ち尽くしている翔太の元へ、黒い翼をバサリと羽ばたかせて大橋先生が舞い降りる。
周囲に結界を張って魔物の侵入を阻止してから、キッと翔太を睨んだ。
「今まで何をやっていたのよアンタ。重役出勤とは、随分良いご身分なこと!」
「あ……はい……」
皮肉を言ったのに何も響かなかったようだ。
「まあいいわ。先生は外にいる魔物の連中を退治するから、アナタは校舎内をお願いね!」
大橋先生はそう言い残して飛び立とうとするが――
翔太の反応がなくて、改めて彼の顔を覗き込む。
翔太は放心状態でただうつむいていた。
大橋先生は腰に手を当ててため息を吐き、背中の黒い翼をバサリと折りたたむ。
彼に背を向けて――
「アンタ、神崎さんと別れたんだってね。先生、それは大歓迎だけど……クラスメートの危機を救うことぐらいはしなさいよ! アンタにはそれだけ力が――」
「無いんだ!」
「そう、無いんだ――って、アンタそれってどういうこと?」
大橋先生は振り向きざまに翔太の肩に手を置いて問い詰める。
「俺は詩織を守るために神様の半身となったけど……それは詩織が巫女だったからの話だ。詩織が巫女でなくなった今や、神様にとって俺は……用無しだから……」
翔太は肩を振るわせて涙を堪えている。
大橋先生の手からは、その振動が伝わってくる。
だからこそ、努めて感情を打ち殺して彼女は言う――
「ふーん。そうなんだ。じゃあ、確かに下加美神社の土地神にとってはアンタは用無しね。でもさアンタ、神崎さんからも用無しって言われたの?」
「そんなの訊かなくたって分かるさ! 力の無くなった俺が傍にいたって迷惑だろ……」
そう言って翔太はうな垂れた。にじみ出た涙を悟られまいとして……
しかし、先生は両手を広げて――
「そんなことだろうと思ったわ。ホンとーに男って情けない生き物だわね! 自分勝手に妄想して自分勝手に結論付けて……そんなの相手に聞いてみないとわからないじゃないの! アンタいったい何様のつもりなの? 女の気持ちを全部分かったつもりでいるどこかのイケメン野郎といっしょなのぉぉぉー!?」
大橋先生は翔太の背後から掴み掛かり、頭を噛んだ。
翔太は『ぎゃぁー』と悲鳴を上げ手をばたつかせる。
「アンタ、俺は昔からケンカに負けたことがないって言っていたわね。それって、負けそうな相手からは逃げていたってことなの?」
大橋先生は腕組みをして、翔太を見下ろしながら言う。
ぐうの音も出ない翔太。
「どんなに強い相手でも、惚れた女のためなら死ぬ気で挑みかかる。それが男ってもんじゃないの? いま教室では神崎さんが皆のために戦っているはず――アンタはその彼女から直接助けてくださいって言われないと助けないの? そんなアンタには惚れただの腫れただのと語る資格は無いわ! 1000000ネン早いのよぉぉぉー!」
翔太の眉間にビシッと人差し指を突きつけて大橋先生は叫ぶ。
翔太の目がはっと見開いた。
「――俺、行ってきます!」
「そう、ならば行きなさい。校舎までの直線コース、186メートルは先生が開けてあげるから!」
「はい! お願いします!」
翔太は校舎へ向かって走り出す。
そして先生が張った結界を突き破って進んでいく。
「――あの子、何を勘違いしているのよ……ただの人間が私の結界を突き破っていけるはずないじゃないの!」
大橋先生はそう呟きながら、走り去る翔太の方向に斜に構え――
「真空・波動烈風――――!!!!」
両手を伸ばし技名を叫ぶ。
すると、翔太の体を素通りしてトンネル状の結界空間ができあがる。
翔太は魔物の攻撃を受けずに昇降口までたどり着くことができた。
「ったく! 手間のかかる生徒だこと!!」
大橋先生はそう悪態をついて、再び空へ舞い上がっていった。