幸せ
陰陽師の豊田庸平と黒魔術師の坂本佳乃は式神とともに帰って行った。
詩織の母は、父に抱えられて寝室へ戻る。白蛇の誤解によりかけられていた呪いが解けたとはいえ、すぐに体力が回復する訳ではない。白蛇によると明日の朝には元気になる見込みである。
二人の先輩たちのことは気にかかるが、『この件に関しては俺らで何とかするからお前らは関わるな!』とすごい剣幕で言われてはどうにもならない。翔太と詩織は部屋に残り、壊れた襖の後片付けをしていた。
「なあ、お前の母ちゃんの呪いが解けたら、すっかり元通りになるよな?」
翔太は手を止めて、詩織に問う。
「うん。白蛇さん、明日には元気になるって言っていたわ」
詩織は喜々として答えた。
一方の翔太は沈んだ表情である。
「詩織は……母ちゃんが体を壊したから巫女になった訳だろ?」
「そうだけど……翔太どうしたの? なんかさっきから様子が変だよ?」
『少年が変なのは今に始まったことではないがな。はははっ……』
縁側であぐらをかいて外を眺めていた土地神が口を挟んできた。
もちろん土地神の姿は詩織には見えていないし声も届かない。
翔太は少しイラッときたが、今は相手にしない。
気を取り直して詩織に向かって――
「母ちゃんが元気になったら……おまえは巫女を続け――」
「辞めるよ?」
詩織は翔太の質問に食い気味に、端的に答えてきた。
「だって、まだ私には荷が重すぎるもの。今までは翔太に助けてもらって何とかやってきたけれど、まだまだ私は力不足……だから私が大人になって、一人前の巫女としてやっていけるようになるまでは、お母さんに巫女の力を返すの!」
下加美神社の巫女は一子相伝の力。土地神との交信は母から子へと受け継がれていくもの。4年前の事件で母が呪いを受け、緊急避難的に幼い詩織に受け継いだ巫女の力は母の元に返すのが筋というものだ。理屈的にはそれで合っている――
「詩織は……本当にそれで……いいのか?」
「うん! これで翔太ともたくさん遊べるね!」
詩織の屈託のない笑顔を見て、翔太はそれ以上は何も言えなかった。
翔太は土地神の様子が気になって縁側に視線を移すと、もうそこには土地神の姿はなくて、蝉の鳴き声がやけに騒々しく聞こえていた。
お盆休みに入り、山ノ神村ではあちらこちらでお盆の行事が行われていた。そのほとんどが『家』単位でのものであるが、各家は横のつながりをもち、村全体が凛とした雰囲気に包まれている。
翔太の家も例外ではなく、普段は都会で暮らしている親戚も里帰りし、大々的にお盆の行事が執り行われていた。
お盆休みといえど子供にとっては夏休みの中の数日。小学生の頃は神社で詩織とのんびりと遊んでいた記憶もあるが、中学生となった今は家の中での手伝いにかり出されていた。都会暮らしの親戚の子とは話が合うこともなく、丁度よいとすら思っていた。何しろ、携帯ゲームをただひたすら弄り、時々画面に向かって罵声を浴びせる彼らは気持ち悪い。だから翔太は大人たちに混じって家の手伝いを黙々とこなしていた。
詩織が巫女の力を母に返して以来、彼らはほとんど会う機会がなく一週間が過ぎた。巫女ではなくなったとはいえ、詩織は詩織で神社の手伝いに追われていることだろう。お盆の期間は神社も忙しい。先祖代々村人から親しまれている下加美神社は尚更である。
翔太はこの期間に、父と母との関わりを多くもち、できるだけ話をするようにしていた。彼には一つの思いがあった。
――自分という存在がいつ消えても良いように、悔いの残さないように――
あの日――詩織が非常階段から落ちているのを見たあの日――翔太は詩織を守るために土地神に命を捧げた。土地神は巫女である詩織を守らせるために翔太に力を授けた。詩織が巫女ではなくなった現在、自分の魂と身体はいつ消えてもおかしくない、そんな不安の中、翔太はこの一週間を過ごしてきたのだ。
巫女に戻って欲しい。幾度となく彼は下加美神社の方角へ走り出し、その言葉を詩織に伝えようとした。しかし毎回、田んぼ道を走る間に思い止まることができた。自分は詩織を守るために土地神に願った。それは彼女の幸せを願ったということ。そして今の彼女は幸せとだと言っていた。巫女の力がなくなったことで13歳の女の子らしく、おしゃれな服を着たり、買い物に出かけたりすることができるようになったのだから……
――それが詩織の幸せに繋がるなら俺はその運命を受け入れよう――
翔太は自分自身にそう納得させた。
桜木翔太、13歳の夏の日の出来事である。
明日は全校登校日。
久しぶりにクラスの皆の顔を見ると気が紛れるだろうか。
詩織とはどんな顔で会えばいいのだろうか。
翔太は布団の中で考え事をしているうちに頭の中が堂々巡りとなり……
気付けば夜中の3時を過ぎていた。
翔太はその夜、ほとんど眠ることができなかった。