四年越しの願い
『少年よ、その身体を借り受ける――』
土地神はそう告げると、翔太の身体に乗り移った。
翔太の瞳が青く輝く。
漆黒の扇子を小刀のように右手に構え、翔太は白蛇に向かってジャンプする。
「えいやぁぁぁぁぁぁーっ!」
扇子は弧を描いて白蛇の首を切り裂く――かに思えたその刹那。
白・黒・茶の順で3匹の猫が翔太の手を踏み台にして跳んで行き、ぐんぐんぐんと三段階で軌道が下方に逸れていく。
空を切る漆黒の扇子に呆気にとられる青い瞳の翔太。
彼の胸を小突くように白蛇が頭突きを食らわせる。
小柄な翔太の身体は襖に激突し、襖ごと隣の部屋へ飛ばされた。
「詩織どうした? 何があった――うっ!」
「どうしたの詩織――きゃ!」
詩織の父と母が騒ぎを聞きつけて部屋をのぞき、絶句する。
そこには壊れた襖の上に倒れ込む翔太と、彼をにらみつける3匹の猫、そして20メートル級の大蛇の姿があった。
父は部屋の隅で怯えている詩織をなだめに行く。
母はその場で腰を抜かして後ずさりする。
詩織たち母娘の蛇に対する恐怖心は常軌を逸するものがあるように見える。
「白蛇よ……神社に張られし結界をどうくぐり抜けたか知らぬが……私の前にのこのこと顔を見せたことを後悔するがいい――」
青い瞳の翔太が壊れた襖を蹴飛ばし、ゆらりと立ち上がる。
「桜木翔太、戦う理由は分からないがこの白蛇は俺の式神だ、手を出すな!」
白蛇の前に豊田庸平が立ちふさがる。
彼は短冊形の紙切れ――霊符を左手に持ち、身構える。
「その白蛇は我が巫女に呪いをかけた。そのせいで我が巫女は4年間苦しみ続け今に至る。この結界内では私の力は絶対。そこを退くのだ、人間の子よ――」
声は翔太だが、明らかに別人格が入っている。
そう庸平は確信した。
「俺は陰陽師の豊田庸平。そこにいるおまえは誰だ!?」
「私はこの神社に奉られる土地神。この結界内では陰陽師の技は使えない。むやみに動くとお前もただでは済まないぞ」
「白蛇のせいで我が巫女がとか……全く訳がわからない。ちゃんと説明しろ!」
すると、青い瞳の翔太はため息を吐き、回想話を語り出す――
「4年前……この地に渡鴉神という放浪の神がやってきてな、土地のパワーバランスが一息に崩れたのだ。悪意のある魔物たちが土地に集まり悪さをし始めたので、我が巫女とともに悪しきモノたちを成敗していた。もっともひどかったのはカラス天狗。奴らは束になって押し寄せてくるので難儀していた。私が少し目を離した隙に、あろう事か我が巫女をさらっていったのだ」
「あ、あの……その巫女さんって、詩織ちゃんのこと……ですか?」
佳乃が口を挟んだ。詩織を見やると、彼女は首をぶるんぶるんさせて否定した。
「その娘の母親だ。そして我が巫女はカラス天狗同士の仲間割れにより、森の中に落下した。そこが運悪く白蛇が封印されていた祠であった――」
佳乃と庸平、そして詩織が廊下で腰を抜かしている詩織の母をみる。
よほどのトラウマになっているのか、詩織の母は身動きもできず白蛇から視線を逸らし震えていた。
「なるほど、大体分かった。白蛇! どうしてこうなったのかを説明しろ!」
庸平が白蛇にそう命じると、白蛇はびくりと頭をすぼめ――
部屋が真っ白な霧に包まれた。
「妾もびっくりしたんだぞ? 突然その女が空から降ってきて……」
透き通るような澄んだ声色。それは若い女の声――
霧が晴れると、銀色に輝く長い髪の少女が立っていた。
白い着物に赤い帯。
おそらくはこれが白蛇の変化した姿なのだろう。
銀髪の少女は言い訳をするように、口をとがらせて言葉を続ける――
「妾が祠に封印されて400年……すでに誰も詣りにも来なくなって幾年月……ようやく人間が来たのだ。妾はうれしくなってなぁ、巫女と戯れようと話しかけた。すると……あろうことか、巫女は妾に敵意をむき出しにしたのじゃ。頭に来たので仕返しに呪いをかけてやったぞ……だめ……じゃったか?」
「普通に考えて……だめだろ……それ」
「そ、そうか……だめか……」
「ところでお前、そのときは姿を見せたのか? それとも声だけだった?」
「祠の穴から顔だけ出したよ?」
「蛇の?」
「もちろんじゃ。それが妾の本当の姿だからな」
「なあ……そのときに感じた神崎さんの母ちゃんの敵意って……今みたいなかんじ?」
「まさしく……あのような敵意に満ちた顔をしておったわ!」
庸平は額に手を当てて、ため息を吐く。
「あれは恐怖だ。敵意ではない。魔物のお前には見分けが難しかったかもしれないが……」
「そ、そうか……妾は勘違いしておったか……巫女は妾に敵意を向けていたのではないのか……それはすまんことをしたな……妾はどう償えばよいか、主様よ」
「頭を下げて謝るんだな。それが人間界の常識だ」
「ふむ……」
銀髪の少女は、トトトと詩織の母の元に走り、
「妾の勘違いであった。ほんにすまんかった。許してたもれ」
ぺこりと頭を下げた。
「わ、私こそごめんなさい。私、小さな頃から蛇が苦手で……思わず叫んでしまったの。蛇嫌いは娘にも遺伝してしまって、本当にごめんなさい」
いや、蛇嫌いは遺伝しないだろう……居合わせた者たちは一様にそう思ったが、誰一人口には出さなかった。
謝ったことにより逆に謝られた銀髪の少女は少し戸惑い気味に、
「そうか……ならば巫女らの前に出るときには今の姿に変化してから出ることにする。それならば大丈夫か?」
「はい、今のかわいらしいお姿なら、ぎゅっと抱きしめたくなるくらいですよ?」
「そうか……なら試してみるか?」
「はい、よろこんで」
詩織の母は銀髪少女に変化した白蛇を抱きしめた。
「ふむ……こういう戯れも良いものだな。妾は巫女とこういうことがやりたかったのかも知れぬな……」
「ごめんなさい……4年前に気づいてあげられなくて……」
「ん? 巫女はなぜ泣いておる?」
「白蛇さんが泣いていらっしゃるから……もらい泣きです」
「ん? 妾が泣いている? おかしいな……人の心は400年前に捨て去ったはずなのだがの……そうか……妾は……いま泣いておるのか……」
4年越しの白蛇の願いは今、成就した――
「苦しめてすまなかったな巫女よ。これで妾の呪いも解けたぞ。明日には元気になっていることだろう」
「ありがとうございます。白蛇さん」
二人が抱き合う感動的な姿を、部屋にいる皆が見つめている。
詩織と佳乃はぼろぼろと涙を流している。
翔太から抜け出した土地神は、うんうんと頷いている。
ただ一人、庸平はだけは真顔で心ここにあらずという感じである。
「ところで白蛇、お前、智恵子の家の寺へ行ったんじゃないのか? 付き添いの赤鬼はどうした?」
庸平が尋ねた。すると銀髪の少女ははっとした表情に変わり、
「そそそ、そうじゃったぁぁぁ-、主様たいへんなんじゃぁぁぁ、赤鬼が、赤鬼が、たおれてしもうたのじゃぁぁぁー!」
そう叫びながら庸平にすがりついた。
赤鬼が倒れた事件については『最弱の陰陽師』にて紹介する予定です。
今話を書いている時点では、白蛇が庸平の式神になったところです。