出会いの図書室
中学校の図書室は音楽室のすぐ下の2階にある。したがって吹奏楽部の演奏が階下へ響いてくる。
入口には返却用カウンターがあるが、夏休み期間中は無人の返却用ポストに様変わりしている。その隣の貸し出し用カウンターにはコンピュータ端末が置かれている。
田舎の中学校とはいえ、近隣の市町村とのライブラリーネットワークは整備されており、借りたい本はネット経由で予約しておくことで毎週木曜日に図書室に届くというシステムが完備されている。
詩織が図書室に入ると、すでに20名弱の先客がいた。
違う制服の生徒たち。
男子の体つきから判断するに、皆3年生であろうか。
噂に聞いていた隣村の生徒達である。
「あら、あなたが神崎詩織さん?」
入口付近で固まっていた詩織に気付いてカウンター席に座る女性教師が声をかけてきた。詩織の知らない先生。この先生もあちら側の学校の人であろう。
「大橋先生から補習用のプリントを預かっているわ。ここに書いてある英単語をしっかりと覚えてね。最後に再テストをするそうよ」
「分かりました。ありがとうございます。あの……うちの学校で他に補習を受ける人はどこにいるんでしょうか?」
「えっと……私が聞いているのは神崎さん、あなた1人ですけど?」
「がーん!」
白目を剥きながら言葉でショックを表明する詩織。
「ぷぷっ……あっ、失礼。じゃあ空いている席を使ってね……ぷっ」
その様子を見た女教師は苦笑する。
結局、英単語テストで合格点を取れなかった生徒は他学年を含めて自分1人だったという衝撃的な事実を知り、気もそぞろに手近な空いている席に座る詩織。
しばらく英単語の書き取りを行っていると、正面に座る女生徒が先ほどからチラチラ見てくるのに気付いた。相手は詩織と目が合うとばつが悪そうに目を逸らした。
「あの……何かご用でしょうか?」
詩織は勇気を出して声をかけてみた。
相手はどこか詩織に雰囲気が似ているぱっつん前髪の女生徒。
「あ、ごめんなさい。余計なお世話なのかもしれないけど、あなたは英単語の練習をしているのだと思うけれど……」
口に何かが挟まっているような歯がゆい言い方をしてきた。
「はい、そうですが。それが何か?」
怪訝な表情で詩織は聞き返す。
「日本語の方を書いてもあまり効果がないと思うのよね。ううん、全く無意味というわけではないとは思うけれど……」
「ええ――――!?」
自習室と化した図書室で大声を上げてしまい注目を浴びる詩織。
視線が痛い――
「でもぉー、これ英語を日本語に直す問題なので、答えは日本語なんですよ?」
周りを気にしながら小声で訴えかけるように話す詩織。
女生徒は哀れみが混じったような複雑な笑顔を向けてきた。
「それでも英単語を書き取りするのよ。そして書きながら声に出して読むの。そうすれば早く覚えられるよ?」
「そ、そうなんですか? ありがとうございます先輩!」
「いえいえどういたしまして。あなたこの学校の……1年生?」
「はい! 神崎詩織と言います。先輩達は隣村の学校の方達ですよね?」
「ええ、ここにいるのは皆3年生。ほとんどのメンバーが集まっているわ。私たちの学校、3年生は18人しかいないの」
「本当に小さな学校なんですね……あの……もしかして先輩は学級委員さんですか?」
「わ、私が? ととと、とんでもないない!」
女生徒は若干うわずった声を上げ、両手を横に振って否定した。
「ふふーん、佳乃ちゃん良かったわね、頼れる先輩って思われたみたいね!」
女生徒の隣にいたお下げの女子がからかうように言った。
彼女は隣の『佳乃ちゃん』の顔をのぞき込むような姿勢をとり、豊かな胸がぎゅっとテーブルに乗りあげていた。
詩織は破壊力抜群な胸の谷間を見て、ここに翔太がいなくて良かったと小さな胸をなで下ろす。
「ちょっと冷やかさないでよ。あっ、ごめんね。私は山水中3年の坂本佳乃。学級委員じゃないけれど……似たような立場の人間よ。そして隣にいる胸が重そうな子は――」
「佳乃ちゃんの親友、長谷川智恵子よ。よろしくね詩織ちゃん!」
握手を求められた詩織は素直に応じるが、長谷川智恵子の胸がゆさゆさ揺れる様子が気になって胸元ばかりを注視していた。
「あっ、ごめんね。補習の邪魔しちゃったね。どうぞ続きをやって。私たちはあと30分ぐらいしたら3年生の教室へ行って授業を受けるのを待っているのよ」
「そうなんですか。じゃあ坂本先輩に教わったやり方でやってみますね。ありがとうございました!」
「いえいえ、どういたしまして!」
坂本佳乃は可愛い後輩を得たような気分にでもなったのだろう。
にこにこしながら詩織の勉強を眺めている。
「よーし……じぇい、えー、あーる、えぬ、ゆー、えー、あーる、わいっと……なるほど!」
「えっと……ごめんね詩織ちゃん。今のは……なに?」
「英単語を書きながら声に出して……えっ、何か違いました?」
「ははーん、佳乃ちゃん、この子……天然ね!」
「そ、そうね……天然だわ」
「なっ、何ですか? 私、友達にもよく天然って言われますけど、天然って何――?」
「詩織ちゃん、あなたはそんなことを気にせずまっすぐ育っていってね? お姉さんたちからのお・ね・が・い・よ?」
智恵子が人差し指をちょんちょん動かしながらそう言い、最後にウインクをした。
「気になりますぅ――! 教えてくださいよ、先輩!」
詩織が佳乃に祈るようなポーズをして頼んだ。
しかし詩織が気にするべきことはそこではない。
「ねえ詩織ちゃん。英単語を覚えるときにはちゃんと発音しなければだめよ。綴りを言っても頭には残らないでしょう?」
「がーん!」
半ば癖になりかけている詩織のその反応。
それを真剣な表情で見つめていた長谷川智恵子は――
「ね、ねえ佳乃ちゃん……この子うちの寺に連れて帰っていいかな?」
「それは完全に犯罪だよね?」
「あれ? 長谷川先輩はお寺の人なんですか?」
「そうだけど?」
「私の家は神社なんですよ。山の麓にある下賀美神社です!」
「じゃあライバル関係だね」
「えっ? 何故ですか? 神社とお寺ってライバルなんですか?」
「冗談よ、じょ・う・だ・ん!」
「智恵子! 詩織ちゃんをからかうのはその辺でやめておきなさい。ごめんね、補習の続きをやってちょうだい。このお姉さんの面倒は私がみるから!」
佳乃が手を合わせて謝った。
どうやらお調子者の智恵子の話し相手を引き受けてくれるようだ。
しかししゃべり始めるのはやはり智恵子の方だった。
「豊田君遅いね、あの美人の女の先生に連れて行かれたっきり帰ってこないじゃん」
「そうね……何しているんだろう……」
「やっぱり心配?」
「なっ、なに言っているの! 相手は先生でしょう?」
「わかんないよ-、男って陰のある美人には弱いからねー」
「あの-、それって音楽の大橋先生のことですか?」
思わず詩織が口を挟んだ。『影のある美人の先生』というキーワードに反応してしまったのだ。
「あー、あの美人な先生、音楽の先生だったのね。私たちがここへ着いたとたんに血相を変えて彼を連れて行っちゃったのよ。ああ、彼っといってもこの佳乃ちゃんの彼なんだけど」
「先輩は彼氏さんがいるんですね。坂本先輩可愛いですものね。うらやましいです!」
「な、何言っているの。詩織ちゃんの方がずっと可愛いじゃない!」
「そんなことないですよ、坂本先輩の方が数段可愛いです!」
「はいはい、2人とも可愛い可愛い!」
胸の大きな智恵子がこれから成長予定の2人の褒め合いを止めた。
ちょうどその時――
図書室の入口ドアが激しい音を立てて勢いよく開かれた――