悪霊の欠片
翔太の神隠し事件から1週間が経ち、夏休みまであと1週間を切った。
そんなある日のこと――
帰りの会が終わった直後、大橋先生が翔太と詩織に声をかける。
「あー、神崎さんと……ついでに桜木君は教室に残っていて!」
「あ、はい分かりました」
「えっ、俺も? ついでにって……」
ついで呼ばわりされた翔太が不満を漏らす。
「じゃあ詩織、うち先に行ってるからね。今日は東側の花壇だから!」
「あ、うん。用事が終わったらすぐ行くから鈴子部長に伝えておいて」
「そうだ、桜木君もおいでよ! 土運び手伝ってくれたら部長も詩織も喜ぶし」
「えっ、そ……そうか……じゃあ行こうかな……?」
「……あんたたち、やっぱり変わったよね。京都に2人で行って来てから……何か進展があった?」
「み、三咲ー! 私たちは何にもなかったから! もう早く先に行っててよー!」
詩織はリンゴのように真っ赤な顔で三咲の背中を押し出した。
皆が出て行った教室。
教卓の目の前の席に翔太と詩織が座っている。
「はい、これを今からやるのよ。あーあ、面倒くさい!」
「えっ? これって……ま、まさか……」
「英単語テストかぁ」
翔太のあっけらかんとした態度に対して、詩織の焦りっぷりは対照的である。
「ななな、なんで今これを?」
「あなた達がぁー、先週の金曜日にぃー、学校を休んだときにぃー、全学年一斉にやったのよ。合格点取れなかった生徒は夏休みの補習に強制参加ですぅー。あーあ、面倒くさい!」
「ええー、き、聞いていませんよぉぉぉ」
「今朝の職員打ち合わせで決まったんですぅー。あっ、ちなみにウチのクラスではあんたたち以外はみんな合格点を取ったからね。いい? 絶対に合格しなさいよ。そうでないと担任の私まで夏休みの補習に付き合わなくちゃいけないんだからね!」
「うぅー、翔太ぁー、どうしようぉぉぉ……」
「どうするも何も……ちゃちゃっとやって部活行こうぜ!」
「うぅー……」
英単語のテストは100問。A3用紙にぎっしりと印字された日本語に対する英単語を右側の四角い枠に記入する。
翔太はすらすらとシャーペンを動かす。彼は英語が比較的得意な方である。
一方の詩織は、早くも額から汗を流して止まっている。決して夏の暑さだけが原因ではない。彼女は英語が不得意。だからテストを受けずに済むならそれに超したことはないと思っていたのだが……考えが甘かった。
そんな対照的な2人を眺めていた大橋先生が、あることに気付く。
「ねえ、その子……なにか悪いモノが憑いているんじゃない?」
『どうした邪神、我が巫女の可愛らしさに貴様も嫉妬したか?』
いつの間にか土地神が詩織の隣にいて、答案をのぞき込んでいた。
「はぁ!? アンタ達の目は節穴なの? 男が2人も付いていながらなにやってんのよ!」
大橋先生はイスから立ち上がり、土地神を追いやり詩織の髪の毛を捲り上げる。
「なっ、なに? 何ですか先生?」
「ほら、ここを見てみなさいよ!」
大橋先生は詩織のうなじを指さす。
土地神は顔を近づけてのぞき込む。
「あっ、神様いつの間に?」
翔太が土地神に気付く。
「えっ? か、神様? ここ、ここにいらっしゃるの?」
「おお、いらっしゃるぞ。嫌らしそうな顔でお前の首筋をのぞき込んでいるぞ」
「ええっー、な、なにをしていらっしゃるんですか神様ぁぁぁ!?」
『はぁー? 何を口から出任せを言っておるのだ少年! いいからお前も見てみろ!』
今度は翔太が詩織のうなじ付近をのぞき込む。
すると黒いほくろのようなものが……ぴくぴく蠢いていた。
「うわぁぁぁー!」
驚いた翔太は飛び退く。
「えっ、えっ、えっ? なんなのぉぉぉ――!?」
どうすればいいか分からない詩織はただただ怯えている。
「はぁー、これだから男共は……」
ため息を吐きながら大橋先生は指の先に黒いほくろの様なものをすくい取る。
「あー、これが正体ね……桜木君が馬鹿みたいに京都で悪霊退治をしたときの残骸でしょう。ひび割れた扇子から漏れてこの子に憑いていたという所ね」
そう言いながら、ふっと指の先のそれを吹き飛ばす。
『――――滅っ!』
土地神が手を広げ、それを滅した。
「まったく、アンタ達2人が付いていながら何で今まで気付かなかったの? その子の護衛役なんでしょう?」
大橋先生は教卓のイスに座り、呆れたように言った。
「だって……あ、あんな所に憑いている何て思わなかったし……」
『そ、そうだとも! 我が巫女とはいえ、ああいう所までは……』
「はぁぁぁ? アンタ達ねぇ、その子が可愛い可愛いって普段から言っているくせに表面の顔しか見ていないでしょう? 女はね、全身をくまなく見てあげなくちゃ廃れていくのよ!」
「『ぜ、全身をくまなくぅぅぅー?』」
「ななな、何の話をしているんですか、先生!」
京都駅から詩織の様子がおかしかったのは悪霊の破片のせいだったのかもかもしれない。悪霊は時に取り憑いた人間の感情を増幅させることがある。しかし彼らがそのことに気付くにはもう少し時間が必要だった。