教師と教え子
山に囲まれた山ノ神村は、東から登る太陽は山の向こう側、朝日が直接当たることはない。時刻は4時30分、中学校の校舎は朝靄に包まれていた。
「じゃ、次の魔物、行きますよ先生!」
「はいはい、136匹目の魔物さん、いらっしゃーい……」
「……先生、真面目にやってください! 次の魔物は結構大物ですよ?」
「はぁー? 嘘吐き小僧が私に命令するの? 結局一睡もできなかったじゃない。アンタのせいでイケメンの彼と会えずに朝を迎えちゃっているのよ? 寝不足の上にこの悶々とした気持ちを如何してくれるの? このうーそぉーつぅーきぃー小僧がぁぁぁ――!」
大橋先生は翔太の頭を両手で掴み、噛みついた――文字通りの意味で。
「うぎゃぁぁぁ……」
翔太は叫び声をあげ大橋先生を引き離そうともがく。
「おい邪神よ! その少年は我が巫女に返すのだから傷ものにするな! そもそも貴様は邪神に取り憑かれておるだけで所詮は人間の女だ。人は喰わんだろう!?」
土地神は、大橋先生がカラス天狗らを封印するために造った祠――屋上の隅に石を積んでいる――の近くのフェンスの上に腰をかけたまま、面倒くさそうに言った。
「はぁー!? 私は取り憑かれているんじゃなくて、渡鴉神の半身! 私は彼と契りを交わした対等の立場なの! 悪霊に取り憑かれているみたいな言い方、しないでよねっ!」
「先生……『ちぎりをかわす』ってどういう……」
「五月蠅い! 嘘吐き小僧は黙っていなさい!」
「うぎゃぁぁぁ――!」
大橋先生は翔太のこめかみを両こぶしでぐりぐり締め上げ、翔太はさらに悲鳴をあげる。
「ええい! 早く『封印の儀』を進めろ――! もう夜が明けてしまったではないか。少年を朝までには帰すと我が巫女に約束しているのだ! 神が約束を破るわけにはいかないだろが――!」
「えっ? 俺のこと詩織に何か言ったんですか神様?」
「そちらの巫女ではなくもう1人の……ええい、そんなことはどうでも良い! 早く少年が手当たり次第に神器の扇に封印した残りの魔物を選別しろ――!」
翔太が京都で『神器の扇』に封印してきた魔物の中には、害をなすモノとなさぬモノがある。害をなすモノは大橋先生が造った祠に眠らせ、害をなさぬモノは帰す。その選別作業を夜通しかけて行ってきたのである。
地域限定の神とはいえ、その逆鱗に触れては一溜まりも無い土地神の半身翔太と邪神を宿す女大橋先生は、祠の前に座り直す。
「じゃあ、ラスト3匹は大物ですからね、先生。気合いを入れて行きましょう!」
「そうね、ちゃっちゃっと済ませてシャワーを浴びてまた学校へ戻って来なければいけないわね。じゃあ桜木君、やっちゃってちょうだい!」
翔太は神器の扇をサッと一振り。
すると――
『キェェェェェェ――――!』
耳をつんざくほどの高周波の鳴き声が中学校の校舎を包み込む。
2人は耳を押さえ、上空を見上げると――
明るくなった空に体長10メートル級の2匹の龍が泳いでいた。
黄龍と黒龍である。
「何あれ、私の手には負えそうにないんですけどー! しかも2匹同時に? もう仕方がないわねぇぇぇ――!」
大橋先生は、封印された魔物を2匹同時に出すという失態を犯した翔太に怒りをぶつけながら、シャツの裾を持ち上げ、変身の準備を始める。しかし――
「結界障壁――――!」
翔太と土地神が同時に声をあげた。
2人がそれぞれに持つ扇子を、キュッキュッと正方形を描くように動かす。すると、2匹の龍の周りに正方形の結界が出現し、それが横滑りするようにギュインと移動し立方体のケースが出来上がる。結界障壁の中に閉じ込められた2匹の龍は何か騒いでいるようだが、その鳴き声は防音効果のある障壁によって届かない。
やがて、立方体のケースに収まった2匹の龍は、ゆっくりと屋上に着地する。
「あんたら、そんな力があるのなら、私は要らなかったでしょうが――!」
「ぎゃぁぁぁー!」
またもや変身の機会を逃した大橋先生は翔太の頭に噛みつく。
慌てた翔太が神器の扇をぶんぶんと振り回すと、最後の一匹の魔物まで外へ出てきてしまう。
――ズシィィィィィン!――
屋上が陥没するかと思われるぐらいの地響きと共に、体長5メートルを超える巨体が2本足で立っていた。
体中がどす黒く、しかしよく見ると赤色にも見える。
体からは異様な臭気も放ち、髪の毛は荒れ放題に伸び、腰まで届く長さ。
戦国武将の甲冑の様なものを身につけている。
頭の上には2本の突起物――角が生えている。
赤鬼は、翔太の存在に気付き、ジロリと見下ろした。
翔太の頭を掴んでいた大橋先生は、自分と目が合ったと思い込み、身構える。
そしてシャツの裾をまくり上げ変身を――
「よう、赤鬼! 京都では不意打ちを食らわせてすまなかったな。それがお前の本来の姿かぁ-、でかいなぁー」
「ようー、悪霊退治の小僧か。どうした今日は? ワシを退治するんじゃなかったのか? フハハハハハ……」
気心知れた間柄のように話し始めた翔太と赤鬼の様子をみて、またシャツを着直す大橋先生。端から見ると彼女の行動は痴女そのものであった。